人は、肉体と魂と霊の存在だと言われます。霊は、神の息が吹き込まれた部分であり、人はもともと霊的な存在です。霊があるという事は、永遠に存在するものなのです。
霊には、二種類あります。神の霊と悪魔の霊です。悪魔は、神から出たものです。神の霊によって存在していた御使いが、神よりも高くなろうとして、神の霊とのつながりを失い、悪魔となりました。
神の霊から外れたものは、神の霊ではありません。そのものは、神の霊を受けることが出来ません。神から外れているので、神の霊が流れて来ません。神の霊のないものは、いのちの無いものです。
生きているようで、実は死んでいるのです。今は、その真実が隠されています。最後の裁きによって、地獄に落とされる死人になるのではなく、神(父なる神と聖霊と御子)と神に仕える御使いたち以外の被造物はみな、死んだ霊なのです。天に属していないものはみな、永遠に生きるいのちを持たない死人でした。
御子イエスは、これらの死んだ被造物を、永遠に生きるものとするために、死人にいのちを与えるために、神の子羊として、肉体を持った人の子となって、地上に来てくださいました。
神の子羊の贖いの血がなければ、死人は目覚めることがありません。血はいのちです。御子イエスの血は、獣の血とは違い、罪を贖うだけではなく、死人を生かす血です。このイエスの血は、地に属する獣の血ではなく、天に属する神の子羊の血、永遠のいのちなのです。
イスラエルは、罪のための生贄として雄牛ややぎの血を、人間の造った聖所に持って入り、贖いをしました。これらの血によって、聖とされたのです。これらの獣の血は、聖めの働きをしました。これは、地上において有効な事でした。獣の血で聖とされたからと言って、天に属する者になるわけではありません。
イエス・キリストの血は、ただ一度、天にあるまことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。まことの聖所で聖とされたものは、天に属するものです。天に入るための贖いの血です。天上でも有効となる、唯一の血です。地上の獣の血では成し遂げられない、永遠の赦しと永遠のいのちを与える、御霊が伴われる血です。これが唯一、神の子羊イエスの血なのです。
神の子羊は、獣の羊ではありません。「人の子」です。神のひとり子が人間と同じような姿になられたのは、神の子羊イエスです。神に油注がれたキリストは、罪人のために、血を注ぎ出された生贄の子羊イエスです。
世には、多くの「キリスト」「救世主」と名乗る人が現れますが、誰ひとり、人を生かすために血を流すことがありません。彼らは、君主として君臨し、多くの命を犠牲にします。多くの命のために、自分自身を犠牲にすることはありません。自分自身を高く上げるために、多くの人々を食い物にします。彼は仕える者ではありません。人々を自分に仕えさせる者です。彼に従う者は、罪の中で滅びます。彼が本物のキリストではないからです。
神の子羊イエス・キリストは、人々に仕える者です。人々を生かすために、自分自身を献げる者です。天から来られた方は、天の本性をお持ちです。仕える霊です。
子羊イエスは、死人を生かすキリストです。霊を天上に引き上げる救世主です。まことのキリストは、いのちを与える方です。天から遣わされた、神のひとり子です。死人を生かす霊です。神の御霊を持たれるキリストは、イスラエルに生まれた、ナザレのイエスただひとりです。
天から来られたキリストは、永遠のいのちを与える方です。神の霊に繋ぐ、神と人との仲介者です。
神から遣わされていない救世主は、偽キリストです。偽キリストに従う者は、神の霊から離れたままです。偽キリストは、神の霊から離れている死人の霊を死者の世界に連れて行きます。イスラエルから出ていない偽りの救世主が多くいます。まことの救世主は、イスラエルのダビデ王の子孫であり、ダビデの町ベツレヘムで生まれた者です。
まことのキリストは、神の都エルサレムで、贖いの血を流した贖いの神の子羊イエスです。神が選んだエルサレム以外で、キリストが処刑されることはありません。キリストは、人々の救いのために、十字架につけられた生贄の子羊イエスです。
神の子羊イエスは、罪人の身代わりとなって死に、死に勝利して、墓から甦りました。神が、イエスを主ともキリストともされたのです。
イエス・キリストは、神に油注がれた贖い主です。聖霊を授けるキリストです。キリストは、子羊イエスの贖いの血を信じ受ける人に聖霊を与え、御霊によって新しく生まれさせ、死から甦る復活のからだを与えられます。
イエスは、十字架で死に、贖いの血を流してキリストとなられました。キリストは、死から甦り復活のからだで、永遠に生きるメシアとなられたのです。
約二千年前、神のひとり子イエスは、神の子羊「人の子」として、イスラエルに来られました。神の子羊イエスは、十字架につけられ、贖いの子羊の血を流し、罪人の罪を赦すキリストとなられました。死から復活したキリストは、天に上げられ、神の右の座に着座されました。天に上げられたキリストは、永遠に生きるメシアとして、再び、イスラエルに来られます。
その姿は、ユダヤ民族が待ち望んでいたメシアそのものです。死なないからだです。イエス・キリストは、永遠に生きるメシアなのです。
世界中のあちらこちらで「私がキリストだ」と言う者が多く現れますが、彼らは、肉体を持つ人間です。死んでゆくものです。本物のキリストは、肉体の姿ではありません。死んで甦られた方です。永遠に生きる方です。
本物のキリストの肉体は、罪の贖いのために献げられており、屠られたので、もう存在していないのです。
イエス・キリストを信じる者は、永遠に生きる復活のからだのキリストを慕っているのです。メシアを待ち望むイスラエルは、永遠に生きるメシアが来られるのを待っているのです。
メシアが来られると、イエス・キリストを信じる者も、イスラエルも、永遠に生きる復活のからだの新しい人に変えられるのです。