アダムとエバは、悪魔の言葉を受け入れて神のことばから外れると、エデンの園から追放され、人間の住む地に置かれました。
この地は、整えられたエデンの園とは違い、開墾しなければならない荒地です。そこには、御子のために神の息を吹き入れて造られた人とは異なる、人間が住んでいました。
神の救いの計画の中で造られた地球に、宇宙の星々で鍛錬された堕天使たちが、人と同じ姿の人間として暮らしていました。人は、塵から人間の姿に造られていたのです。
人間は男でした。アダムと同じです。アダムは、塵から人間の形に造られていたのです。アダムには助け手としてのエバがいました。
アダムとエバは、生きることに疲れ果てていました。エデンの園にあった安息が無い地です。指揮者であったルシファーが悪魔となって、堕天使たちの住む星々を破壊しました。攻撃する悪魔と戦い続け悪魔の支配に屈しなかった堕天使の辿り着いた先が、人間の姿です。
人間には、戦いが身についていました。自分の必要のために勝ち取り、自分の身を守るために戦う者たちです。しかし、神が彼らに用意された地球は、いのちの星でした。悪魔の破壊から、神が守っておられる救いの星です。
地球に置かれて、彼らは人間の姿を頂きました。神が与えてくださった肉体です。地球には、山があり海があり、あらゆる種の生き物がいて、神が造ってくださった木の実や植物を食べ、水を飲んで生きる生活です。
他の星々とは違います。霊体ではなく、霊は朽ちる肉体に入れられ、飲食をして生きます。肉体を維持するためには、神が用意してくださった食べ物を必要とするからだです。
地球に置かれた堕天使たちは、他の星で体験しなかった、神に生かされて生きるという実感を持つ生活を続ける中で、次第に人間らしく生きるようになりました。最も神の近くに寄せられた堕天使たちです。
人(アダムとエバ)が人間たちのところに置かれました。エデンの園は、平和で穏やかでした。エデンの園の中にいる被造物もまた、安息していました。すべてのものが満ち足りていました。争いも涙も悲しみも嘆きもない場所でした。エデンの園の中にいたふたりは、安息から始まっていたのです。
人間たちにとって、地球はいのちの星でした。破壊の苦しみから守られた星です。荒廃から地球にやって来た人間は、エデンの園の安息を知りません。まだ耕されていない地球であっても、必要が備えられている地球は、夢のような星です。
エデンの園の安息を味わっていたアダムとエバにとっては、地球は自分たちで労働して作り上げていかなければならない苦しみの地でした。
アダムとエバに子どもが生まれました。カインとアベルです。アダムとエバは、人間の地で疲れ果て、希望を失っていました。そして、生まれたカインは、両親の嘆きと失意の中で育ちました。彼らの家庭には神に捨てられた嘆きと悲しみがありました。
カインを育てるうちに、いのちの恵みを知ったのかも知れません。弟のアベルを産む頃には、神を求める心が芽生えたのでしょう。神が命を生んで生かしてくださることに気づき、「この実を食べたら必ず死ぬ」と言われた善悪を知る知識の木を食べたのに、まだ生かして下さっているだけではなく、新しい命を生んでくださる神を畏れたでしょう。
神は、女の子孫(神の子羊イエス)によって、彼らの罪の呪いを砕き、死の呪いから救い出すご計画を持っておられたのです。
アベルは、神を畏れる者として成長しました。同じ父と母から、神に捨てられたと思い神を尊ばない兄のカインと、神が生かしてくださる方であると思い神を敬い畏れる弟のアベルが生まれ、成長しました。
最初、アダムを造られた時、神は満足されました。非常に良いものだったのです。しかし、神のことばよりも蛇の語る悪魔の言葉に従い、罪ある者となり、死を宣告されました。罪ある者は、必ず死ぬのです。
アダムとエバは、霊的死人となって、人間の地に置かれました。神のことばから外れた人の内には、創造されたときには無かった罪がありました。すべての罪の源である原罪を持つ者として、エデンの園の外での生活がスタートしたのです。
非常に良かった人は、人間の地で、人間と同じ罪ある者としての歴史をスタートさせたのです。
原罪を持って生まれたカインとアベル。カインは、原罪の実を結びました。神を畏れないカインは神に心の伴わないうわべだけの献げ物をしました。神を敬うアベルは、真心のこもった最良の献げ物をしました。神は、アベルとアベルの献げ物を受け入れ、カインとカインの献げ物を退けました。
カインは怒りました。弟の正しいのを妬み、神に受け入れられた弟アベルを憎んで、アベルを殺してしまいました。激しく怒ったカインは、怒りをコントロールすることができず、自分の感情を治めることをしなかったために、殺意の感情のまま、犯行に及びました。
原罪が、殺意を生み出し、弟を殺してしまったのです。「必ず死ぬ」と宣告された禁断の実を食べた人は、死を生み出したのです。アダムの子は、アダムの罪を受け継ぎました。死人から、いのちは生まれません。
死が宣告されたアダムとエバから、命が生まれたのは、神の憐れみでした。カインとアベルは、神の賜物でした。しかし、カインもアベルも、その後生まれる子どもたちもみな、罪の中で生まれ、罪の中で死んでゆくのです。それが、罪の呪い、死の呪いです。
アダムとエバが生んだ最初の子は、殺人者となりました。霊的死者が、死を生み出したのです。アダムは、殺害の加害者の父となり、被害者の父となりました。
原罪が無くならない限り、罪が繰り返されます。罪を止めるのは、霊的死人の内から原罪を取り除くしかありません。母の胎内を出るときから、原罪は肉体に組み込まれています。
肉体に原罪が共生しています。この原罪の呪いを断ち切るために、神は、身代わりの神の子羊の肉を裂いて原罪を滅ぼし、子羊の血で罪を赦して、罪の赦しを宣言されました。子羊イエスの血は、いのちです。イエスの血を受ける者は、罪の赦しとともに、永遠のいのちを受けるのです。
アダムとエバに娘たちが生まれると、人間たちは、自分たちの妻としました。こうして、罪ある者たちの歴史が始まりました。人の悪が増大し、地が暴虐に満ちた頃、神は、ノアとノアの家族以外の者をすべて、洪水で滅ぼされました。カインの子孫も、星々から地球に置かれた人間もすべて消滅しました。
神は、アダムとエバに、アダムに似た、彼のかたち通りの子を与えられました。このセツからノアが生まれ、アブラハムが生まれ、キリストが生まれたのです。