ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

極楽と神の御国

 

 善良な人々は、神仏を敬い善い行いを心掛けます。彼らは、極楽あるいは天国を目指します。地道な努力をする真面目な人も、徳を積む人や良い事に熱心な人もいます。

 

 争いの無い、良い心の人々が集まる平和で幸せな国。どの民族の人も、どの国の人も、同じ望みを持っています。善良な人の集まるところです。涙も悲しみも嘆きも無い、心穏やかでいられる美しい場所を思い描きます。

 

 神はすべての人の神です。人間が「あなたは神ではない。私が信じている神こそが本当の神だ。」と言い張ったとしても、天地万物を造られた神はひとりしかおられません。天地万物を造られた創造主は、人類のために皆が夢見る平和な世を用意しておられます。

 

 争いの無い世です。武器はありません。すべての者が肉を食べず、植物が食物となります。ライオンも草食となります。草食動物だけが生き残るのではなくて、すべての生き物の食物が緑の草や木の実となるのです。互いに食い合うことは、もう無いのです。

 

 アダムとエバが暮らしていたエデンの園の世界が回復します。ノアの洪水以降、肉食となった獣と人間の世界が、神のことば(神の御子イエス・キリスト)とともにある世界となるのです。

 

 世界を治めるのは、イスラエルの王です。復活したキリストが王となって、地を治められます。イスラエルの王が天から来られた復活のイエス・キリストであることを、すべての者が知ります。

 

 イエス・キリストに永遠のいのちがあることを知ります。イエス・キリストの主権によって世界は治められます。それでも、すべての国々の民は、おのおの自分の神の名によって歩みます。しかし、ユダヤ民族と主の民は、主の御名によって歩みます。

 

 千年王国は寿命が長く、今の世界では想像できない世界です。極楽浄土を夢見た者も天国を夢見た者もともにいるでしょう。神は、彼らの思い描いた世界の中に彼らを招かれます。キリストを信じていない人も聖書を知らない人も入るでしょう。

 

 神はおひとりです。神は、すべての人の願いを知り、それを叶えてくださいます。「天国なんて無い。死んだら終わりだ。」と言っていた人には、そのようにされます。その人の思い描いた通りになります。

 

 極楽や天国を望んだ人々も、きっと地上の楽園(千年王国)に入るのでしょう。彼らは、千年王国を味わいます。

 

 死んでいた者も甦って、夢のような平和な世界を満喫します。神は、真実な方です。人間の願いを叶えてくださいます。すべてのものは、キリストの父なる神とキリスト・イエスが造られたからです。

 

 国々の人々は、平和な新しい世に入れたのは、自分の神のおかげだと思うのです。それで、彼らの信仰は彼らの神とともにあります。世界を治める王がイエス・キリストであると知ってもなお、自分の神に固執するのでしょう。

 

 神は大きな方です。天が用意した千年王国は、ひとり子である神の子羊イエスの結婚の披露宴です。神は喜びをもって、王子の披露宴を被造物によって祝福されます。キリストの民とユダヤ民族は、神が用意された婚礼の礼服を着て集います。婚礼の礼服のない人々は、イエス・キリストの救いが真実であること、イエス・キリストがメシアであることを目撃するのです。

 

 ユダヤ人を蔑み、キリストの民を侮っていた人々は、彼らの信仰が正しかったことと、彼らの信仰が彼らを義としたことを悟るのです。

 

 信仰によって義とされた人々は、神の御国に入る喜びに満ち、従順にイスラエルの王に仕えます。患難をくぐり抜けて来た人々は、自分が信じたイエス・キリストが真の神であったことの確証を得ます。彼らを救ってくださり、永遠のいのちを与えてくださった主を褒めたたえるのです。

 

 イエスを主とする者も、そうでない者も、千年王国の恵みを味わいます。地上で、このような平和な世界を夢見た人々が、現実に体験するのです。神の憐れみです。また、神の愛の広さ、高さ、深さのゆえです。

 

 患難時代の後、すぐに天国と地獄に分かれるのではありません。天国を望んだ人には、それを味わわせられるのが、すべてのものの主です。喜びに満ちた時を過ごします。

 

 エジプトで奴隷であったイスラエルを、雄羊の血で守り、裁きを過ぎ越されて、奴隷の家エジプトから救い出された主は、荒野の仮庵の時を過ごした彼らをカナンの地に導き入れられました。

 

 約束の地カナンで、イスラエルの王となる神の子羊イエスを与えられました。神の子羊の血は、エジプトの雄羊の血のしるしと同様に、裁きを過ぎ越すしるしです。

 

 いまの時代が終わると、世から救い出される神の子イエス・キリストの仮庵の時が始まります。千年王国は永遠の世ではありません。人々が思い描いていた極楽や天国のような世界ですが、神の御国ではありません。

 

 地上に設けられた仮庵です。まことの神の御国に入るために通る、地上の神の国です。父も子羊イエスもおられます。しかし、神の民だけではありません。出エジプトしたイスラエルの中に、在留異国人がいたように、千年王国には、国々の民もいます。

 

 キリスト教会に、羊と山羊が共存し、麦と毒麦がいるように、イスラエルの王が治められる千年王国の世界にも、イスラエルの民とそうでない民がいるのです。創造主の憐れみによるのです。すべての人は、神の御国の実体を知ったなら、誰でも入りたいと思うのです。しかし、本当に入るためには、神の手順通り婚礼の礼服が必要です。

 

 キリストの血で罪赦され、イエスを主として御霊を受け、神を賛美する復活のからだが必要です。しかし、多くの者は、手順を踏むことなく、神の御国に無理にでも入ろうとします。神のことよりも、自分が助かりたいことが優先です。神を讃えることよりも、自分のいのちを求めます。彼らには、神への感謝がありません。邪悪な心のままです。神よりも自分が大事です。自分を捨てることができないのです。

 

 神は、この地上の仮庵の後、永遠の御国へと導かれます。イスラエルの王の民だけが入るのです。