ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

どこから来てどこへ行くのか

 

 イエスは、ご自分が何処から来て何処へ行くのか知っておられました。

 イエスは、パリサイ人に言われました。

 「わたしは、わたしがどこから来たか、また、どこへ行くのかを知っています。しかしあなたがたは、わたしがどこから来たのか、またどこへ行くのか知りません。」

 

 パリサイ人は、ナザレから起こった大工ヨセフの息子、正規の学びのないイエスを見ていました。また、神を父と呼び、肉裂かれ十字架につけられ血を流して死んだイエス、ユダヤ人たちに罪ある者と認められて処刑されたイエスを見るのです。

 

 しかし、イエスは、神の預言通りにダビデの町ベツレヘムでヨセフの許嫁の処女マリアから生まれたダビデの子キリストです。幼子イエスは、外国の学者たちが東方の地からやって来て、「ユダヤの王」と呼び拝んだ救世主でした。

 

 神の子羊としてイスラエルに生まれ、父なる神について、神の御国について、永遠のいのちについて、権威をもって語られたメシアです。

 

 キリスト・イエスは、贖いの神の子羊として、イスラエルに遣わされていました。遣わした方は、永遠の昔からおられる全能者です。アブラハムの神であり、イスラエルの神です。イエスは、神から出た方でした。

 

 イエスは、アブラハムが生まれる前から神とともにおられた神のひとり子です。天で御使いたちに礼拝されていた神の御子です。三位一体の創造主の位格を持たれる神です。

 

 イエスはご自分の罪で処刑されたのではありません。イエスの口に欺きはありませんでした。イエスは病を癒し、盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者に福音を宣べ伝えられました。隠された真実を明らかにし、神の国の力を現されたのです。

 

 イエスは、父なる神がご自分を遣わされたことをユダヤ人に知らせ、天地万物を造られた全能者であるイスラエルの神が、人を造られた真の父である、と教えました。ユダヤ人も聞いたことのない新しい教えでした。

 

 十字架で処刑されるのは、神の御心でした。神の子羊イエスは、十字架の死まで、父に従われました。人間は、イエスが罪人だから十字架で処刑された、イエスによる救いの計画が失敗し神に裁かれ捨てられて、十字架で死んだ、と捉えました。それは、彼らは、イエスがどこから来たのか、どこへ行くのか知らないからです。

 

 イエスは、人の原罪を赦すために、十字架で贖いの子羊の血を流されました。贖いの効力を持つ血は、罪を犯さなかったイエスの血だけです。イエスは父とともにおられ、神のことばのうちを歩まれました。神が罪を認められない、唯一の生贄です。

 

 父に従順な子羊イエスは、贖いの子羊の血をもって死の国に行かれました。死に縛られた魂を救うためです。ご自身の贖いの血で死に勝利したイエスは、キリストとなって死から甦り、永遠に生きる復活のからだで天の父の御元に帰られました。

 

 ユダヤ人の王として来られた神の子羊イエスは、復活したキリストとなり、世の終わりに、イスラエルの王として再び天から来られるメシアです。

 

 イエスは、ご自分が父なる神のもとから来られて、父のわざを成し遂げて、父のもとに帰るキリストであると、弟子たちに教えました。弟子たちは、目に見えるイエスを見ていたのではありませんでした。肉なるイエスとともに過ごしながら、イエスとともにおられる霊なる方を見たのです。

 

 御霊が注がれた弟子たちは、はっきりと知りました。イエスが、全能なる神が天から遣わされた神の子羊であり、父のわざを成し終えて、父のもとに帰られた神の御子であることを悟ったのです。イエスは、神が預言者たちを通して語っておられたキリストであることを知りました。

 

 「見ゆるところによらず」という聖歌があります。

 見ゆるところによらずして 信仰によりて歩むべし

 何をも見ず聞かずとも 神の御約束に立ち

 歩めよ 信仰により 歩め 歩め 疑わで

 歩めよ 信仰により 見ゆるところにはよらで

 

 見えるところではなく、また神の姿が見えず神の声を聞くことができなくても、イエスが天の神が遣わされた神の御子であることを信じ、この天から来られたイエス・キリストをわが神わが主と告白する人には、神の御国に迎え入れられるという神の約束が実現するのです。

 

 パリサイ人たちのように、見えるところでイエスを判断せずに、信仰によってイエスを主キリストであると告白する人は、イエスがどこから来て、どこへ行かれたのかを知る者です。

 

 イエスがどこから来てどこへ行かれたのかを知るのは、御霊によります。「アバ、父」と呼ぶキリストの御霊を受けた者は、イエスが父と呼んだ全能の神を、イエスのように、父なる神、天の父、と呼ぶのです。

 

 イエスは、人が創造主である全能の神によって造られた者であり、キリストの血によって神と和解した魂は、すべてのものの父なる神(イエス・キリストの父)のもと、天に帰ることを明らかにされました。

 

 イエス・キリストを信じる者は、イエスが十字架で死に、墓から甦り、天に上られたことを信じています。信じる者は、信仰によって、その真理を悟っています。

 

 また、イエス・キリストを信じる者は、御霊の力で、イエスと同様に肉体が死んでも死から甦り、イエスと同様に復活のからだで永遠に生きる神の子とされることと、天の父のもとに帰ることを知っています。

 

 イエスが天の父なる神から来られ、天の父のもとに上られたことを信じ、信仰によって歩む者の霊と魂は、創造主のもと、イエスのおられる天の父のもとに行くのです。

 

 長子なるイエス・キリストは、兄弟姉妹である神の子らが、父のもとに帰るのを待っておられます。