ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

持続可能

 

 今まで、常識だと思われていたことが、当たり前ではなくなっています。夏は暑く、冬は寒い。日陰に入れば、夏の暑さもしのげたという記憶を書き換える時代となりました。

 

 昨今、家の中で熱中症にかかり、亡くなる人もいます。昔の人は、帽子も被らず日差しの強い場所にいて、日射病にかかりました。身体を守ってくれる安全な家の中で、熱中症の症状が出るのです。密閉性の高い新建材の家であることが原因の一つかもしれません。すべてが昔通りとはいかなくなっています。

 

 冷房で身体がだるくなる私は、高めの温度設定でクーラーをつけています。喉も渇いた感覚がなく、温度計を見ると、30度を超しているのに驚いて設定する温度を下げます。知らず知らずのうちに、子ども時代の感覚で過ごしています。家の中は安全、家が守ってくれるというのは、妄想です。

 

 冷凍庫の中に、頭を冷やす冷却枕アイスノンがあったことを思い出して、夜タオルで巻いて枕にして寝ると、クーラーを付けなくても朝まで気持ちよく眠れました。それで、日中は、保冷剤を薄手のタオルに包んで首に巻いてしのぐことを思いつきました。

 

 身体を健康に維持するのも、信仰の歩みです。自分の身体の警鐘は、自分が一番わかるものです。頭の芯が痛いなと感じたなら、頭を休めてあげることが必要です。頭を冷やしたり、水を飲んだり、冷たい物を食べたり、体温を下げるように外から働きかけてあげることが大切です。無理をさせない。自分の身体に確認しながら、また、空気が熱いな、乾いているなという状況を判断して、対応してあげることです。

 

 暑い中では、その環境にいるだけで、体力を消耗しています。エネルギーを作る炭水化物(ご飯やパンや麺)を朝から体に入れてあげることも必要です。

 

 通常体制を変更して、いつもよりもこまめに水を飲んだり、身体をリフレッシュさせる休憩が必要です。人の体には、そのようなアラーム機能が備わっているのです。

 

 今まで当たり前と思って来たことが、当たり前ではないことを実感する昨今です。それで、眠っていたアラーム機能が呼び覚まされています。神が、自分のうちにあるアラーム機能の動きを捉えさせてくださいます。神の警鐘に気づいたら、素直に応答することが大事です。

 

 持続可能なことを求める声が世を覆っています。現在ではエネルギーも、食料も、地球存続ですら、当たり前のことに思う人はいないでしょう。今世界は、目覚めています。本当のことを知ったのです。自分の命が自分の意思とは別のところにあること、家も国も地球も守ってくれるものではないこと、先が見えない世界を前にして、人々の思考は入り乱れています。民族や国を超えて混沌としています。

 

 これは、人間が持続することが当たり前と思っていた世の終焉の時が近づいているからです。世は、これから終焉を迎えるのです。世の現象が確かなものと確信して来た世界は終わるのです。

 

 持続可能を求めるならば、人の意識を変えなければなりません。今見ているものは持続しないのです。消滅して行くものに、持続を求めても適いません。

 

 世が持続しないことに思いを至らせた人だけが、本当に持続可能なものを求めることができます。環境も、社会も、また、自分の命すら思い通りにはならないことを悟った者は、持続可能ではない人間の営みの外に、真実を探ります。

 

 持続可能に見えた穏やかな世界では、考えもせず、思いつきもしなかった、永遠への思いが見え隠れします。永遠への思いは、神が創造の時に、人のうちに造られたものです。

 

 本来、人の中には、永遠を思う想いが入れられているのです。世を信頼し、自分を取り巻く環境と自分の思いを信頼する時代には、人の心を堅く閉ざす世の殻がその存在を否定し、永遠のことを嘲笑っていました。

 

 しかし、世への信頼の覆いが破れると、信頼するものを失い、自分自身のうちに入り、心の奥深くにあった永遠を思う想いを見つけるのです。

 

 世も自分の命も持続可能ではありません。これが真実です。この真実を受け入れると、永遠への思いが発動し始めるのです。持続可能でないものに、望みを持ちません。望みがないはずなのに、諦められない希望を求める心が自分のうちにあるので、不思議に思います。

 

 自分の命の底に、命を支える目に見えない存在を捉えます。自分の願い通り、思い通りにならない人生だけど、生きている。生きていると思って来たけれど、生きていることが当たり前ではない状況の中で、生かされていることに気づくのです。

 

 持続可能ではない世の覆いが破れた時、持続可能なものが自分の内にあることを、目に見えないものに教えられます。目に見えない存在が、目に見える現象や世よりも確かなものに思えます。世の持続が期待できなくなって、初めて知るのです。

 

 人を造られた神が、ひとりひとりの心に働きかけておられます。人の目には、絶望的に思えるこの時代は、神の目には、永遠のものの収穫の時です。今まで永遠のことに無頓着であった心の暗い人々に陰りゆく世の輝きの実態を知らせ、永遠に朽ちない光を投じられます。影のない真の輝きです。

 

 自分の命に素直で、いのちを大切に思うものは、永遠のいのちへと導かれて行きます。いのちの根源である、まことの神に立ち返り、イエス・キリストの父なる神を、天の父と崇める者に生まれ変わるのです。

 

 世のものは、持続不可能ですが、救い主キリストによって世から救い出される者たちは、永遠に持続可能な天上のものに造り変えられ、世が終わった後にも、神のもとで永遠に生きるのです。

 

 天は、持続可能なものではなく、持続しかありません。持続可能なのではなく、永遠なのです。世は、持続可能なものを人間に求めさせます。しかし、神は、人に永遠のものを与えられるのです。

 

 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれる御業を、初めから終わりまで見極めることができない。」(伝道者の書3:11)