ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の試みは日常にある

 

 今の世代は、終わりの時をくぐる世代です。その先には、キリストの再臨があるのです。キリストを迎えるために、古いものが壊されます。人間の知恵と知識と手のわざでかたち造った地球の有様を崩壊させた後に、天からのものを迎える新しい世が現れます。

 

 復活のからだの、天からのものも住まう世界です。死に勝利した者たちが永遠のいのちで生きる世界です。悪魔のいない世界です。肉体のままの人もいます。キリストが治める新しい世の中で生まれて来る人々もいます。

 

 今の世がどんどん悪くなって、悪が台頭する世界で、神に立ち返る人々もいます。悪魔が正義となり、神が呪いとなる世界です。人間は、この世の正義に忠誠を誓います。生まれ持った霊に目覚め、良心を持って生きる人は、悪魔の勢力の手から逃れます。

 

 世の人々は、世の終わりを恐れますが、命を得ようとして悪魔に引きずられ、魂を奪われます。神を知る人や求める人は、真理を得ようとして神に命を託します。

 

 悪魔に従う者たちにとっては、世界の終わり、世の終わりですが、神により頼む者にとっては、世の終わりの後に、新しい世を生きることになるのです。死を通して、いのちを得るのです。永遠に生きるために、肉体の死を通ります。

 

 悪魔は、神の人がいなくなれば、世は楽園になると言います。しかし、神の人たちがいなくなった世は、悲惨なものです。良心の欠片のある人は、こんなはずではなかったとうろたえます。しかし、もう遅いのです。

 

 復活のからだの人々が住む不思議な世界。肉体の人もいます。今までと同じ地球に起こる国ですが、地球上の誰も体験したことのない、天国のような世界が始まります。悪魔の教えた楽園とは違います。悪魔の国を滅ぼしたイスラエルの王が治める世界です。人は天使のようです。お金も争いもない、人を生かす神に生かされる世界です。すべての人がイエス・キリストを知っています。

 

 このイエス・キリストの世界が地上で起こるために、世が終わるのです。多くの痛みが伴いますが、産みの苦しみであって、将来に希望があります。地獄のような苦しみと患難の後に、聖書の言う真実な平和の世界が訪れます。神の民が、待ち望んで来た「エデンの園」の回復の時です。

 

 悪魔に惑わされることなく、イエス・キリストに従うためには、日頃からイエスと交流を持ち、イエスを知ることが大切です。イエス・キリストの御名によって祈り、父なる神に感謝し、御霊の喜びを味わう生活です。

 

 いまの時代、世界中どこにいても、神の測りが用意されています。いつも、神はひとりひとりの魂の値打ちを測っておられます。これが、ふるいにかけると言うことです。信仰の試験のようで、実は生き方の試験です。日常生活の中に置かれています。試験を受けているとは思わないで、ひとりひとり自分の良いと思うものを選んだ結果、その実を結ぶのです。

 

 いま世に起こっていることをどう捉えるのかの、積み重ねです。人情を働かせるのか、自分の義を優先するのか、世の評価を参考にするのか、神の試みはひとりひとりの人生に張り巡らされています。

 

 神がどう見ておられるのか、神は何と言っておられるのか、神を目の前に置いて物事を判断する人は、意外に少ないのです。

 

 神はこのことをご覧になっておられます。神を通して物事を見ることは、習慣の賜物です。常日頃そのような意識で生きている人に、身に着いたものです。信仰生活ではなく、日常生活にそれを鍛える鍵があるのです。

 

 ニュースで流れる出来事を見聞きして、神がそのことをどうご覧になっておられるのかと言うことに、意識を向けることです。普段から、人の意見や感想とは別に神に聞くという姿勢が大切になって来ます。

 

 日常生活の在り方が、信仰をかたち作って行くのです。人は日常の過ごし方で、信仰が成長するものです。日常生活をこの世の人のように過ごして、信仰が得られるものではありません。神は、「絶えず祈りなさい」と言っておられます。教会の中や、信仰の兄弟姉妹との関わりの中だけではなく、世の人の中にある時にも、心は絶えず主に祈ることが大切です。神の人は、肉においては世にありますが、霊においては神とともにあるのです。

 

 「すべてのことについて、感謝しなさい」と言っておられます。自分にとって良いことも嫌なことも、自分の身に起こるすべての事を感謝せよ、と言われるのです。この御言葉の力を体験するのは、神に言われた通りに感謝する時です。

 

 「いつも喜んでいなさい」とも言っておられます。喜ぶことは、神の力です。神は、人が気落ちして希望を失うことを心配しておられるのです。

 

 神の御言葉の中を歩む時、御霊が働かれ、その人のうちに新しいいのちを創造していかれるのです。「思い煩いをいっさい神に委ねよ」と言われるのは、神が神の子らのことを心配してくださるからです。

 

 「あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(ペテロⅠ 5:10)

 

 今まで、自分の身の回りに起こった出来事すべて、終わりの日の試みに勝利する者とするため、また信仰の不動の者に造り変えるためなのです。

 

 逃げないで苦しみを耐えて来た人に、不動の信仰者としてくださる神の恵みが用意されているのです。