ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

この世の権威は空しい

 

 「さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らは皆で揃って彼を訪ね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食料を得ていたからである。

 定められた日に、ヘロデは王服を付けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けた。

 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫に噛まれて息が絶えた。

 主のみことばは、ますます盛んになり、広まって行った。」(使徒の働き12:20-24)

 

 ヘロデはエドム人のようです。ヤコブの双子の兄エサウの子孫です。アブラハム、イサクの子孫ですが、神と契約を結んだイスラエル人ではありません。

 

 神は、「イサクの子が、アブラハムの子孫と呼ばれる」と言われました。エドム人は、アブラハムの子孫ですが、アブラハムの契約を受け継いだ子孫ではありません。アブラハムの契約と祝福を受け継いだのは、ヤコブの子孫ユダヤ人でした。それで、ユダヤ民族がカナンの地(現イスラエルの地)を相続したのです。

 

 イエスの時代、イスラエルはローマ帝国の属州であり、エドム人ヘロデが治めていました。ヘロデは、ユダヤの王イエスが生まれた事を知ると、イエスを殺すためにベツレヘム近辺の二歳以下の男児を殺させました。バプテスマのヨハネの首をはねさせ、自分の地位を危うくさせる者は、容赦なく、殺しました。

 

 自分の地位を維持するためには、人を人とは思いません。神をも恐れない者です。不用な人を虫けらのように潰していくのです。そして、彼の周りには、保身を図る口先だけの強欲な者らが群がります。彼らには、真実がありません。彼らの心にあるのは、ヘロデの顔色を伺いながら機嫌を損ねないようにすることです。心が伴わなくても良いのです。それを演じていれば安全なのです。

 

 ツロとシドンの人々は、ヘロデから食糧を得なければ生きていけません。彼らは、ヘロデの演説を褒めそやし、ヘロデを上機嫌にしました。「神の声だ。人間の声ではない。」との民衆の声を真に受けて、神に栄光を帰さなかったヘロデ。権威に物を言わすヘロデは、神の御前で理性の無い獣のような心で、神を冒瀆しました。

 

 ヘロデを王に立てたのは、神です。この世の権威は、神によって立てられています。権威者は、神を恐れなければなりません。神によらなければ、その権威を受けることも、権威の座に留まることもできないのです。ヘロデは、自分を神と等しくし、神に栄光を帰しませんでした。人々の上に立ち、神のように心高ぶったヘロデは、神に打たれました。

 

 人々の命を虫けらのように扱い、圧力をかけ締め付けることを何とも思わないヘロデは、神が送られた虫に噛まれて死んだのです。神は、虫けらのように人を扱ったヘロデを一匹の虫で退治されました。

 

 イエスは、ヘロデを狐と呼んでいます。狐は、荒らし回る獣です。

 

 ルカの福音書13:31-33にこのような記事があります。

 「何人かのパリサイ人が近寄って来て、イエスに言った。『ここから出てほかの所へ行きなさい。ヘロデがあなたを殺そうと思っています。』

 イエスは言われた。『行って、あの狐にこう言いなさい。『よく見なさい。わたしは、今日と、明日とは、悪霊どもを追い出し、病人を直し、三日目に全うされます。

 だが、わたしは、今日も明日も次の日も進んで行かなければなりません。何故なら、預言者がエルサレム以外の所で死ぬことはあり得ないからです。』」

 

 神の御子キリストは、地上の権力者であるヘロデ王を狐と呼び、警告しておられます。権威者だから従うのではなく、魂の値打ちを見て、神に従われたのです。キリストの御霊を受けるキリスト者は使徒たちのように、イエスの歩まれた道を歩みます。

 

 ヘロデが虫に噛まれて死んだのを見て、神の人たちは、神を畏れます。ヘロデが死んで、民の目が開かれ、主のことばは、ますます盛んになり、広まって行ったのでした。

 

 この世の権威は、消えてなくなる泡のように、儚いものです。

 「露と落ち 露と消えにし わが身かな 浪速のことは 夢のまた夢」と謳った豊臣秀吉は、目指していた高嶺に辿り着いた天下人でしたが、天下は命あればの事、死んで行く身には社会的名声も権力も関係なく、死を目前にして、すべてが儚い夢のようなものであったことを悟ったのでした。

 

 神の民は、自分の権威を求めません。まことの権威者なるイエスを知り、永遠に堅く立つイエス・キリストの権威に身を寄せるのです。自分の利益を求める人たちには、つまらない道です。自分に益があるどころか、イエスに従う道は自分を失い、自分を献げる歩みです。欲望にまみれて、利益を貪るために群がる者たちを魅了するものが、そこには無いのです。

 

 「主よ。まず言って、私の父を葬ることを許して下さい。」と言う弟子に、イエスは言われました。「わたしについて来なさい。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせなさい。」(マタイの福音書8:21,22)

 

 ここで言われた死人とは、霊的死人のことです。神から遠く離れたこの世の人たちのことです。彼らには、神を畏れる心がありません。

 

 イエスは、神の子らに言われます。死んだ者のことは、死んで行く人々に任せなさい。神の子は、永遠に生きる者として、神を求める者に神を知らせ、神を恐れる者にいのちを与えるため、神の御国のために働きなさい。

 

 ヘロデの死によって、死を支配される主の主権を見て神を恐れる者たちは、神を求めて神のことばに耳を傾け、そして、主のことばはますます盛んに広まって行ったのです。