ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ゲルニカに隠された救いの過程

 

 向かって右側に描かれた、地獄絵。生まれつきのままの人間の行く世界です。この世のことであくせくし、霊的な事に無頓着です。死後の事など考えが及びません。人生を見限って、命を生きながらえるだけです。この世を自分なりに解釈して、助けを求めることなく、神を否定します。神を求めることがありません。

 

 人生に僅かながらでも望みを持つ人間は、人生の意味を知りたいと、答えを捜します。ただ生きながらえるのではなく、心のうちに望みを持ちたいのです。彼らは、捜し求めます。それで、多くの宗教が生まれました。

 

 真理を捜し求める人間たちをご覧になって、死が定まっている人類に、真理を知らせようとされたのが、天地万物を造られた創造主なる神です。

 

 人間は、死の恐怖からの解放と、老いて劣化して行く不安と、健康を失い日常生活を失う心配と、生きる苦しみからの救いを求めました。確かなものが欲しいのです。

 

 熱心に真理を探求する人類に、神は、神の御言葉を与えられました。御言葉は、渇いた魂に希望を与えます。滅びの闇、思考の闇から抜け出して、偽りの真理を教える宗教に辿り着く人が多いです。しかし、神は、アブラハムと契約を結び、イサクの子ヤコブの子孫イスラエルに、真のともしび、神の御言葉を与えられました。

 

 神の御言葉を受けたイスラエルによって、聖書の御言葉は、すべての民族に広がりました。世界中の人々は、聖書を受け取って、ユダヤ民族に与えられた契約を共有しました。聖書の御言葉に励まされ、信仰と希望を得ました。

 

 イエス・キリストが与えたいのちには、武器の無い平和と廃墟に咲く花のいのちのような、本当の平和と希望があります。人類の犠牲となった贖いのキリストの血は、希望の無い心に、いのちと希望を与えます。

 

 希望の無い闇の世界で、真に飢え渇く者は、神の御言葉に辿り着きます。彼の霊が、哲学や宗教等人間が作った偽りのものに満足できずに、真理を求め続けるからです。

 

 しかし、聖書の御言葉に辿り着いた者のうちで、目的とする事柄の違いで、行き着く場所が分かれます。

 

 御言葉の慰めで満足する人もいます。人生に活力が与えられ、御言葉の希望を喜び、いのちを楽しみます。しかし、イエスが犠牲となった十字架のことは、よくわかりません。

 

 御言葉を学ぶ人たちは、イエス・キリストの契約を知ります。イエスを主と告白して、キリストの死が与える、平和といのちの希望を信じて、主に感謝します。彼らは、御言葉のともしびに照らされています。彼らは、光の中でキリストの救いを喜び楽しみます。しかし、イエスの死と同じになることは望んでいません。ただ、イエスの与える、神の国と永遠のいのちの約束に感謝し、主を賛美します。

 

 御言葉を学び、イエスの苦しみと死の痛みを知ると、イエスを愛する者となります。イエスの死を身に負い、イエスの歩まれた足跡をたどります。他人からの誤解や中傷や、思いがけない出来事に心が破れます。しかし、彼は知っているのです。死の陰の谷が義の道であることを。痛みに耐えかねて引き返す人もいるでしょうが、先に進む人々もいるのです。義の道に、神が共におられることを彼の霊は悟ります。

 

  イエスとともに歩むことを決めた人は、イエスの歩まれたいばらの道を行く覚悟をします。すると、御言葉の光の中で楽しんでいた時には意識することの無かった御霊を体験するようになります。また、御霊を受けなければ歩めない細く危険な道です。

 

 御霊の働きに、馬を代表とする被造物全体が贖われることを願って叫び求めているのです。彼らが、父に叫ぶことは、御霊の働きを求めることなのです。

 

 御霊を受けた人には、贖いの働きがあります。人々の贖いと、被造物全体の贖いは連動しています。人間がキリストの贖いの血を信じ、罪赦されるならば、被造物全体も罪の呪いから解放されるのです。

 

 罪を犯したのは、アダムであって、被造物ではないからです。アダムの罪が、被造物全体を死の呪いの中に入れたのです。人間が贖われ死の呪いから解放されるならば、被造物全体も贖われるのです。

 

 絵画の向かって左側には、牛の姿をした父なる神が世をご覧になっています。御霊によって変えられた人は、死んだ我が子を抱き、父なる神に向かって叫んでいる女のように、「アバ、父よ。」と神を呼ばわり、大胆に神に祈る者となるのです。

 

 エゼキエル書1:5-10に、四つの生き物のことが書かれています。彼らの顔かたちは、人間の顔であり、右側に獅子の顔、左側に牛の顔、後ろに鷲の顔があった、とあります。獅子は、ユダの獅子のイエス・キリスト、神の御子。雄牛は、父なる神。人間のような顔は、贖われた人。空飛ぶ鷲は、聖霊。と捉えました。なんと、天では、父なる神、御子イエス・キリスト、聖霊と並んで、キリストの血によって贖われ御霊によって新しく生まれ新しい創造で神の子とされた人たちが、御使いに仕えられる者となっているではありませんか。

 

 神の救いは完全です。滅びの世から救い出すのではありません。神は人を、御霊による新しい創造によって、御使いらが仕える神の子とされるのです。

 

 御霊によって新しく創造される神の子らは、イエスが言われた通り、御子とともに神の御国を相続するのです。