ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

契約に基づく神の愛

 

 愛は根拠のないものです。どうしてだか、好きになってしまって、互いに愛していると告白して結婚します。

 

 結婚は恋愛とは違います。ただ好きなのではなく、互いに夫として、妻として契約を結んで、夫婦となります。契約を結ぶと、もはや他人の集まりではなく、公的な家族となるのです。

 

 夫と妻の関係は、愛が土台ではなく、契約が土台にあります。夫婦に期待される家庭は、契約を土台として、互いに責任を果たすことに忠実であることです。夫としての責任、妻としての責任。夫婦それぞれのかたちがあります。現在では、夫が家族を養い外部の危険から家族を守り、妻が夫を支え家族が円滑な生活を送れるように助ける、と言う日本古来の家庭の在り方は、多様化しています。

 

 しかし、昔も今も変わらないのは、結婚は契約によって結ばれ、契約によって守られていると言うことです。愛が無くても、結婚のかたちは存在し続けます。愛は、土台ではなく、それぞれが忠実に責任を果たす結果、夫と妻が互いに労わり家族を守る「家族愛」が生まれ、家族を覆うのです。愛は土台ではなく、互いにそれぞれの立場の責任を果たす結果、互いが愛着を感じる「家族愛」に成長して行くのです。

 

 恋愛のときに持っていた愛とは、次元の違うものとなります。責任が伴う契約なのです。契約に守られて、家族愛は成長して行きます。この契約には、力があります。愛が覚めていても、契約ゆえに遺産を相続します。契約には、公的な権威があります。社会的に認められているものです。それで、契約は守りとなるのです。この契約は、どちらかの死によって、解かれます。

 

 人間の契約に力があるならば、神の契約はより確かなものです。神は永遠に生きる方です。死ぬ事がありません。それ故、終わりになることのない契約なのです。

 

 人類は、この永遠に生きる方から、契約を受け取っています。約四千年前のアブラハムから始まりました。そして、救いの契約が、アブラハムの子のイサク、イサクの子のヤコブに受け継がれたのです。

 

 契約は取り消されないものです。人間の結婚も、夫と妻の合意によって離婚が成立するまでは、公的には契約の下にあります。愛が覚めようと、別居していようと関係ありません。契約は存続します。

 

 もし、契約を破り、契約に違反するならば、その者は訴えられます。そして、裁判にかけられるのです。これは、公的に守られていることです。契約を破った方に、責任が課せられます。

 

 結婚は、婚姻届けと言う契約に守られているのです。公的な契約のない恋愛とは異なります。

 

 神は、アブラハムと契約を結ばれました。そして、その契約はアブラハムの子イサクから、イサクの子ヤコブに受け継がれたのです。ヤコブの子らがアブラハムの契約を相続しました。そして、ヤコブは神に「イスラエル」と言う新しい名前をいただき、ヤコブの子らはユダヤ民族、イスラエルとなったのです。

 

 世界中の民族の中で、全能の神創造主との契約を持つ民族は、ユダヤ民族だけです。神は彼らに聖書を与えられました。神を記録する民です。また、人類に用意された、キリストは彼らから生み出されました。

 

 キリストは、ユダヤ民族の預言者たちに語っておられたメシアであり、世に遣わされた救い主です。世の罪を除き、神の民ユダヤ民族と人類の罪を贖う、神の子羊です。神のひとり子が人となって、イスラエルに来られ、祭司の国民イスラエルに屠られたのです。

 

 主は、迷える羊のイスラエルに預言者たちを遣わし、いつも語っておられました。イスラエルは、神が契約を結んだ民です。神はイスラエルに、御自身のひとり子を夫として与えられました。神の御子子羊イエスが夫ならば、契約を結ぶイスラエルは妻の関係です。父なる神は、神のひとり子の妻としてイスラエルを選ばれました。しかし、イスラエルは拒みました。

 

 神とイスラエルは、契約によって結ばれています。永遠に生きる方の契約は、永遠に有効です。神がイエス・キリストとイスラエルの結婚を定めておられるのです。イスラエルがどこに逃げようとも、この契約が破棄されることはありません。

 

 イエス・キリストの十字架の死によって、イスラエルが受けた契約は新しいものとなりました。神により、一方的に結ばれたアブラハムの契約が、夫であるイエス・キリストが遣わされたことによって実現し、人類との永遠の契約となったのです。

 

 イスラエルが受けた契約の「律法」をイスラエルは守ることができませんでした。それで、律法を守ることができない許嫁の妻イスラエルに代わって、夫である神の御子イエスが、律法を破る呪いを受けて、十字架で死なれました。それで、イスラエルの罪は贖われたのです。

 

 死から甦られたキリストは、肉なるからだに死んで、永遠に生きる霊のからだで復活されました。復活のキリストは、律法の契約に代えて、新しい創造を約束する御霊の契約を与えられました。復活のキリストの、花嫁との契約です。

 

 アブラハムやモーセの契約は、イエス・キリストを得て実現し、イスラエルは神の契約を実行したのです。神は、ユダヤ民族との契約のうちに、夫(イエス・キリスト)との結婚の契約を打ち立てられました。この契約は、ユダヤ民族の律法の契約から、人類の御霊の契約となりました。

 

 イエスは、神とユダヤ民族との契約のうちに、新しい御霊の契約を保っておられます。神の契約は、アブラハムの子孫であるユダヤ民族から取り去られることがありません。ユダヤ民族との契約の上に、イエス・キリストの契約は成り立っているのです。

 

 契約に忠実な神は、最初の妻イスラエルをいのちを掛けて愛しておられます。裏切られようと、拒まれようと、夫であるイエス・キリストの愛が変わることがありません。契約に基づく愛は、強いのです。

 

 イスラエルに対する神の愛を知ることは、イエス・キリストを信じる者を慰め励まします。ユダヤ民族を愛された愛と等しい愛で、主イエスの民を愛されていることを知るからです。イスラエルに対する変わらぬ神の愛は、聖書を貫いています。

 

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