ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

十字架は人類との契約

 

 神の契約は、イスラエルのものでした。アブラハム、イサク、ヤコブの子孫、ユダヤ民族のものでした。それ以外の民族は、契約の外にある異邦人でした。

 

 神との契約の無い異邦人は、望みの無い民でした。ユダヤ人のように、救い主を与えられる約束がありません。しかし、ユダヤ民族は、彼らのうちからメシアが現れることを知っており、望みを持つ民でした。

 

 預言者は、キリストのしるしを語りました。ユダヤ人は、キリストを待ち望みました。民族あげて、ひとりの救世主を待ち望んでいたのです。

 

 異邦人のように、救世主とは何かと言うことも知らず、思い思いに自分の助けを望んでいたのではありません。彼らは、ユダヤ民族のメシアを待っていたのです。

 

 ベツレヘムで、処女から生まれるはずです。エリアの霊が現れて、キリストを証するはずです。メシアは、永遠に生きる方です。

 

 イエスが来られた世は、ローマ帝国に支配されている時代でした。ユダヤ人は、ローマ帝国の統治下から救い出して、イスラエル国家を復興してくれる、ユダヤ人のメシアを待ち望んでいました。

 

 先祖をエジプトから救い出したモーセを待ち望んでいました。先祖が奴隷の家エジプトから救い出されたように、多神教のローマの属州から救い出し、モーセに律法を授けられたユダヤ民族のヤハウェの神の国民として回復されることを待ち望んでいました。

 

 神は、民をエジプトから連れ出して、アブラハムに約束されたカナンの地(現イスラエルの地)に導き入れられました。

 

 ローマ帝国の属州ですが、ユダヤ人は先祖の地イスラエルに住んでいました。住んでいる土地は先祖の地ですが、所有者がユダヤ人ではない状況です。それを取り戻すメシアを待ち望みました。

 

 神が約束されたメシアは、永遠に生きる方です。神は地上のイスラエルの回復ではなく、天上の住まいを与えるため、天上に引き上げるためにメシアを遣わされたのです。神は、死ぬ命のこの世から救い出して、永遠に生きる神の世に神の民を導くために、キリストを遣わされました。

 

 文字の律法の束縛を解き放ち、完全な自由の律法を与えるために来られました。しかし、イエスをメシアと認めないユダヤ人は古いものが良いと言って、新しい律法を軽んじました。

 

 イエスが十字架にかかり肉が破られて、文字の律法の奴隷から解放されたのです。律法が守れなくても、死に値することではなくなりました。何故ならば、イエスがユダヤ民族に代わって、律法の呪いを受けてくださったからです。イエスの十字架の死は、神が満足される、神の子羊の生贄だったのです。十字架で流されたキリストの血は、すべての人の罪を贖う、神の子羊の血でした。

 

 モーセが与えた律法は、地上のものです。肉なるイスラエルの律法でした。肉なる者は不完全です。モーセの律法も完全にすることができませんでした。しかし、神の子羊イエスが与えた律法は、神の霊、御霊によるものです。肉なる者をイエス・キリストの死にあずかるバプテスマを受けて新しく生まれさせ、御霊によって完全な者にする、完全な律法です。

 

 モーセの律法は、人を束縛しました。不自由の律法でした。しかし、御霊の律法は、キリストの死によって束縛から解放される、自由の律法なのです。

 

 イエス・キリストの十字架の死は、罪の奴隷を罪から解放して、義の奴隷としてくださるのです。罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着くところは永遠のいのちです。

 

 ユダヤ人の律法は、ユダヤ人と異邦人との間に隔ての壁を設けましたが、キリストの十字架によって、その隔ての壁は砕かれました。神の契約を持つユダヤ人と契約の無い異邦人その両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意は十字架によって葬り去られました。異邦人も聖徒たちと同じ国民となり、両者ともに一つの御霊において、キリストの父なる神のみもとに近づくことができるのです。

 

 キリストの十字架においてユダヤ人と異邦人の区別は無くなり、御子イエスにおいて新しいひとりの人(復活のキリストのからだ)を造り上げるのです。

 

 マタイの福音書12:18-21に書いてある、イザヤのことばの通りです。

 「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる(諸国の民に裁きを宣べる)。

 争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。

 異邦人は彼の名に望みをかける。」

 

 ユダヤ人が捨てたイエスは、異邦人の望みとなりました。イエス・キリストは、十字架において、人類と契約を結ばれたのです。

 

 十字架の贖いを信じ、イエス・キリストを「わが主。わが神。」と告白する人は誰でも、神の契約を受けるのです。

 

 十字架の契約は、キリストの贖いの血で罪赦され、御霊を受けて新しく生まれ、御霊の創造を受けて完全な人とされると言うことです。

 

 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。御霊の新しい創造によって、神の子とされる霊の子たちは、この世の裁きから救い出され、神が創造される新しい天と地で永遠に生きるのです。

 

 キリストの十字架の契約は、信じる人に、永遠のいのちを与えるものです。