ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

エジプトからカナンへ  この世から天の御国へ

 

 人類のひな型であるイスラエル。「罪人の救い」をテーマに、ユダヤ民族の歴史は神の人の人生を映し出しています。神は、ユダヤ民族の歴史を通して、人の救いの神の導きを表しておられます。

 

 ユダヤ民族は、人間の本質と罪深さと神の憐れみと愛を、世界に明らかにする神の民です。ユダヤ民族が良いものだから選ばれたのではなく、神はユダヤ民族を人類のひな型として選ばれたのです。人類の象徴的存在です。

 

 神は、ユダヤ民族を世界に散らし、苦しめて、国々の見せしめとされました。国々は、ユダヤ人という、国を持たない民が自分たちの間に、独立精神をもって存在しているのを見て来ました。国々に対抗するわけではなく、国々に馴染もうとせず、彼らの文化と伝統を固持してきました。

 

 国々に迷惑をかけるわけではありません。国々の国民を自分たちユダヤ人のようにしようとしたわけでもありません。自分たちの風習を失わないように、守っただけです。しかし、国々は、彼らを憎みました。国々の中にあって、少数派のユダヤ人が祝福されるのを見たからでした。

 

 かつて、ユダヤ人の祖のヤコブが、伯父ラバンのもとで仕えた時、ラバンはヤコブゆえに、祝福されるのを見ました。ヤコブの神が、ヤコブを祝福されるので、ヤコブを預かるヤコブの妻の父ラバンの家もともに祝福のうちに入ったのです。

 

 ヤコブの祝福を見て、ラバンは妬み、憎みました。ヤコブを保護したラバンの垣を超えて大きくなっていくヤコブは、もはや敵です。ラバンが受け入れてあげなければヤコブの居場所はなかったはずなのに、また、ラバンのふたりの娘をヤコブの嫁として与え、ふたりの女奴隷も与えたのに、ヤコブはラバンよりも栄えているではないか。

 

 ラバンは、ヤコブゆえに、ラバンの家も祝福されていることを忘れ、ラバンの妬みは火のように燃え上がりました。ラバンは妬みに支配されたのです。

 

 神は、ヤコブに多くの財産を与え、ヤコブ一家をラバンの家から逃がし、父イサクの家に導かれました。

 

 かつて、ヤコブの子孫がエジプトの地、奴隷の家で苦しみ喘いだ時、神は、一人の神の人モーセを立てて、彼らを奴隷の家から救い出されました。

 

 神の御使いがエジプトを行き巡り初子を打つ時、子羊の血が塗られたユダヤ人の家々を過ぎ越されました。ユダヤ人の家は、子羊の血によって裁きを免れたのです。

 

 神は、苦しみが満ちて泣き叫ぶヤコブの子らをご覧になり、その叫びを聞き届けられて、奴隷の家から救い出されたのです。神は、怒りをもって、残忍な支配者の家々を裁かれました。その時、奴隷の子ら(ヤコブの子孫)を子羊の血によって守られました。

 

 モーセに導かれたヤコブの子らは、奴隷の家を出て荒野でユダヤ民族としての掟を受け取ったのです。アブラハムを選ばれ、アブラハムと契約を結ばれた主が、ヤコブの子らを選び、神の民としてユダヤ民族(イスラエル)と契約を結ばれました。

 

 モーセに導かれて荒野に入ったユダヤ民族は、エジプトの奴隷から、神の奴隷となったのです。エジプトの奴隷であったユダヤ民族は、肉なる者に残虐な支配を受けて苦しみました。神と契約を結び、神の奴隷となったユダヤ民族は、この世の支配者から解放され自由の子とされるのです。

 

 ユダヤ民族は、荒野を通って、神に信頼することを学びました。神に生かされる民族です。他の国々とは違います。神の大能の力によって、造られる神の民です。

 

 神の号令によって、ユダヤ民族は、カナンの地を占領しました。神がアブラハムに与えると約束されたカナンの地を、アブラハムの契約を受け継ぐヤコブの子らイスラエルが相続しました。

 

 神は、契約の地カナンで、契約の子キリストを、イスラエルに与えられました。約束の地カナンを相続したイスラエルに実現しました。

 

 預言者の預言通り、神の子羊イエスは生まれ、神の預言通り、神の子羊イエスはユダヤ人の訴えで木にかけて屠られ、贖いの血を流されました。神の子羊の贖いの血は、イスラエルの地に流されたのです。ユダヤ民族の罪を贖うためです。また、ユダヤ人の福音宣教によって、多くの国々の民を神の民に招き入れるためです。

 

 イエスの弟子たちは、聖書に書かれてある通りに、イエスが死から甦り、墓から復活したのを目撃しました。イエスこそ、まさしく預言者たちが書いていたメシアだと、はっきりと知りました。

 

 弟子たちは、キリスト・イエスのおことば通り、エルサレムで真理の御霊を受け、聖霊に満たされて肉の思いに死に、御霊によって新しく生まれ、キリストの信仰と一つのものとなり、復活のキリスト・イエスを証する者となりました。

 

 御霊に導かれ、御霊に聞き従ったユダヤ人の弟子たちの働きの結果、キリストの福音は、全世界に広まりました。

 

 さて、人類のひな型であるユダヤ民族の証(復活のキリスト、神の御子イエスの福音)を受け入れた人々は、ユダヤ人の主イエス・キリストの足跡を歩みます。

 

 この世の支配者に苦しめられ、奴隷となって呻いていた人々は、耳を傾けます。救いを求める彼らは、贖いの子羊イエスの血で癒され、慰められます。イエス・キリストのことばに耳を傾けます。真理の御霊が彼らとともにおられ、知恵と知識を与え、希望と信仰と愛を与えられます。

 

 かつて、エジプトの奴隷の家から出て、荒野に導かれたユダヤ民族のように、彼らもまた、この世にあって旅人、この世の寄留者となるのです。荒野で、モーセの律法という神の民としての契約を受けたユダヤ民族のように、彼らもまた、御子イエスの契約の民となり、御霊を受けるのです。

 

 ユダヤ人たちが神の契約の地カナンのために戦い、勝ち取り相続するように、キリストの民もまた、御国を受け継ぐために、この世の支配者(悪魔)やこの世のものと戦い、御霊の勝利を得て行くのです。

 

 キリスト者は、エジプトからカナンへの道、つまり、この世から永遠の神の御国に入るための戦いを、日々しているのです。これは、ユダヤ民族の歩みであり、十字架の主イエスが歩まれた道なのです。

 

 神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、キリスト者を捕虜として凱旋の行列に加えられました。

 

 出エジプトの救いは、ユダヤ人たちの嘆きと泣き叫びから始まりました。終わりの時もまた、世界中に人々の嘆きと呻きと叫びが神の御手を動かします。この世を肯定する者のところに現れるのではありません。悪に満ちて行く世を嘆き、助けを求める者のところに聖霊が訪れるのでしょう。