それぞれの国に、国語があります。日本では、日本語を使います。日本では、各地に方言がありますが、日本語の標準語を使えば、どの地方へ行っても、言葉が通じます。
言葉の通じない場所に居てコミュニケーションがとれないのは、生活するのに大変不自由です。感情表現ができて、身振り手振りで意思を伝えようとする人や、社交性のある人は何とかなりますが、そうすることにためらいのある人は、孤独になります。
世界中に信者のいるキリスト教会では、言葉が通じなくても、クリスチャン同士、何か懐かしい感覚を持ちます。
同じ主イエスを信じているからです。各国語によって、イエス・キリストの呼び方は違いますが、同じ神を信じ、十字架にかかり罪を贖ってくださったナザレのイエスを主とする、キリストの兄弟姉妹、神の家族だからです。
各民族は、同じ言語を使い、同じ文化、共通の特徴を持っています。それぞれの民族は、他民族と比較して、自分の民族の独自性に気づきます。同民族内だけでは、気づかなかったことです。異なるものに触れて、自分たちの共通点を知るのです。そして、それが自分の属する民族や国の文化であることを認識します。
それぞれの宗教で、その宗教に属している者は、それぞれの宗教の神の子だと思っていることでしょう。それぞれが信じている神が神であって、その信者は、その神の子だと理解しています。
キリスト教では、十字架にかかって罪を贖い、永遠の死と永遠の滅びから救ってくれたナザレのイエスを主とします。イエスは、人となられた神のひとり子であり、罪の贖いのために、生贄の神の子羊として屠られました。そして、神の御霊が死の呪いを打ち砕いたイエスを、死から復活のからだで甦らせなさいました。イエスは、死から甦られた永遠に生きるキリストです。
イエスはイスラエルを巡り、父なる神について、神の御国について、永遠のいのちについて語られました。イエスは、天地万物を造られた創造主なる神が、天から地に遣わされたキリスト(救世主)なのです。
永遠の昔からおられる創造主は、イエスのまことの父です。イエスは、天の神のひとり子であり、永遠の昔からおられる、神の御子なのです。神の御子が、人の肉体の姿で現れた生贄の神の子羊として、地に遣わされたのです。
イエスは、人の姿で来られましたが、実は、宇宙が造られる前、永遠の昔から神とともにおられた、神のひとり子なのです。初めから、神であるお方なのです。十字架にかかり、死から甦られたから、神となられたのではありません。イエス・キリストは、世界中の人々が「天の神」と呼んでいる、目に見えない偉大な神の御子なのです。
イエスとして地上に生まれる前から、神でした。神の御子が人となって、罪の贖いのわざをご自分のからだで成し遂げ、死から栄光のからだで復活して、今は、神の御座の右の座に着座しておられます。イエス・キリストは、神なのです。人となられた神なのです。それで、キリスト教徒は、イエスを「主」と呼ぶのです。
神の御子イエスは、天の神を、「父」と呼んでおられました。ご自分の父だからです。しかし、神に仕えて来たユダヤ人は、代々仕えて来た先祖の神を、気安く、「父」と呼ぶイエスが赦せませんでした。神は聖なる方です。イスラエルの神は、全知全能の神です。全能者を自分の父と呼ぶイエスを、神を貶め、神を汚す、赦されない罪人だと考えました。
地に来られた神の御子イエスは、ユダヤ人の弟子たちに、神のことばを伝え、彼らの長子となられました。キリストは、父から聖霊のバプテスマを授ける権威を与えられています。それで、キリスト・イエスは、ご自分の弟子たちに御霊を与えられました。弟子たちは、御霊によって、霊にて新しく生まれ、永遠に生きる神の子として創造されます。
イエスは、長子であり、新しく創造される神の子らは、兄弟姉妹なのです。彼らは、長子のキリストとともに、神の御国を相続する神の子です。イエス・キリストの父は、キリストの兄弟姉妹である、キリスト信者の父でもあるのです。
キリストが与えてくださった御霊は、イエスが父と呼んだ全能の神を、「アバ、父。」と呼びます。それで、御霊の器である信者たちは、神を、「天の父」と呼ぶのです。
神の子は、御霊によって、肉なる者から霊の子として意識を造り変えられ、天に故郷を持つ者たちです。神の子の住まいは、天の御国に造られています。神の御国をともに受け継ぐ兄弟姉妹です。神の子には、ひとりの父がいます。また、ひとりの長兄がいます。ひとりの父は、全能の神、イスラエルの神であり、また、ひとりの長兄は、イスラエルの神がイスラエルに遣わされた御子イエス・キリストです。
世界中の神の子らは、それぞれ国が違い、国語が違い、民族が違い、言語が違い、文化が違っていても、ひとりの父を持ち、ひとりの長兄によって、一つ家族です。
イエスの父なる神と、御子キリストと、ひとつの御霊、聖霊によって、同じ神の家族です。それは、御霊が証してくださいます。
神の子らの言語は、この世の言語ではありません。神のことばです。そして、神への信仰が、互いの霊の交わりです。信仰に御霊が留まり、祈りに御霊が働かれます。
互いに言葉が通じなくても、御霊の働きに、それぞれ神の子のうちにおられる御霊が反応します。同じひとつの御霊が互いを結び合わされるのです。
神の子の共通語は、主イエスへの信仰であり、御霊の力です。互いの間に御霊がともにおられ、天の喜びに溢れるのです。