ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

旧統一教会

 

 三十年前、日本国で統一教会が霊感商法で問題視されていました。キリスト教会では、統一教会の洗脳を問題視していました。

 

 統一教会から脱会させてもらえない信者たちが怯えていました。統一教会に入会した家族を何とか救出したいと悪戦苦闘する家族がいました。

 

 キリスト教会から、そういった相談窓口となるグループが生まれました。難航します。統一教会は宗教は宗教でも、闇側の宗教です。悪魔と悪霊の住処です。人の目には見えませんが、明らかに悪魔の支配下にあります。

 

 聖書を使った教えをしますが、キリストの教えではありません。キリスト教は、統一教会を異端と認定しました。聖書を知らない人は、キリスト教の一派とみなしますが、イエス・キリストを主とするキリスト教会にとっては、全く別物です。

 

 文鮮明をイエス・キリストの生まれ変わりとします。神の地はイスラエルではなく、韓国になったと言います。しかし、聖書に、韓国は出て来ませんし、終わりの時に、イエス・キリストの生まれ変わりを神が地上に遣わすことは書かれていません。そのような預言はありません。

 

 イエスが警告しておられたとおりです。

 「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。」

 

 文鮮明は、イエスが言っておられた、惑わす者の一人なのです。

 

 イエスは、イスラエルにいるユダヤ人の弟子たちに語られました。この時は、まだ、異邦人に宣教されていない時です。彼らは、惑わす者はイスラエルから出ると思って聞いていたことでしょう。まさか、イスラエルの神を知らない国民から出るとは思わなかったでしょう。

 

 救い主を待ち望んでいたのは、イスラエルの国民です。神と契約を持つ民です。神の約束通り、天から遣わされるメシアを待ち望んでいました。

 

 他国人は、神の契約がありません。神の約束も知りません。それで、救いの方法を探りました。それが、悟りへと繋がっていきます。イスラエルにとって、救いは約束でした。しかし、他国人にとって、救いは求めでした。悟りの先にあったのが、目に見えない存在でした。

 

 イスラエルは、目に見えないけれどもイスラエルと契約を結ばれた全能の神に仕え、イスラエルの神のみことばによって、約束の救い主を待ち望みました。他国人は、救いを求めて、目に見えない存在に辿り着いたのです。

 

 神との契約を持たない異邦人が、イスラエルのメシアを待ち望む時が来ようとは、ユダヤ人にとって不可解なことです。異邦人は偶像に仕える者たちではないですか。まさか、異邦人の口から「私こそキリストだ。」と名乗る者が現れるなんて、予想だにしなかったでしょう。しかも、そのキリストは、ユダヤ人の聖書のメシアを名乗っているのです。

 

 イエス・キリストは、十字架の死によって、割礼の民ユダヤ人と無割礼の異邦人の隔ての壁を打ち壊し、互いの敵意を廃棄されました。二つのものを一つにし、二つのものをイエスご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現されるのです。

 

 両者(ユダヤ人と異邦人)を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためであり、敵意は十字架によって葬り去られました。ユダヤ人も、異邦人もありません。イエス・キリストの十字架において、等しく神の子とされるのです。

 

 イエス・キリストの贖いのわざは完了しています。十字架で息を引き取られたとき、天の聖所が開かれました。神の聖所はエルサレムだけではありません。御霊が降臨して、全世界に満ち、世界のどこであっても、神を礼拝することができるようになったのです。神とは、イスラエルの神、聖書の神、イエス・キリストの父のことです。

 

 地上に住む人は、誰でも、イエス・キリストの御名によって、天の神、生けるまことの神を礼拝する者とされたのです。救いのわざは完成しています。

 

 イエスは言われました。

「わたしは甦りです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

 

 これは、十字架にかかる前に言われていることばです。まだ、死んでもおらず甦ってもいない時に、イエスは言われました。

 

 神の子羊イエスが罪の生贄となって、罪の贖いのために木にかけられ、呪われた者となって死んでくださること。そして、死に勝利して、死から復活することが、キリストの務めだったのです。神のひとり子イエスは、父に遣わされた目的を果たされたのです。

 

 神は、イエスが従順に従い通すことを知っておられました。イエス・キリストにおいて、人の救いが完成することを定めておられたのです。

 

 神は、もう一度、やり直すことがありません。すでに、神の救いのみわざは完成しているのです。イエスはユダヤ人を贖われました。ユダヤ人はナザレのイエスによって聖い者とされるのです。異邦人も、キリストの贖いの血によって聖とされ、イエス・キリストの御名によって救われるのです。

 

 神は、神の用意された救いのわざに、人間の助けを必要とされません。神御自身で成し遂げられたのです。イエス・キリストの生まれ代わりとは、神に恥辱を与える人たちです。

 

 韓国の道路を走ると、左右に十字架が目に飛び込んで来ます。キリスト教会です。韓国では、日本のお寺や神社のように、多くのキリスト教会があります。国民の30~40%と言われるほどの人がキリスト教信者だと言います。

 

 韓国国民は、日本と日本人を憎むことが教育され、憎むことを決めています。聖書には、マタイ18:22-35に、赦すことが書かれています。

 

 ペテロがイエスに尋ねた。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」

 

 すると、イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。」つまり、赦し続けなさい、と言われたのです。

 

 「あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

 

 マタイ6:14,15でも、イエスは言っておられます。

 「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」

 

 統一教会は、日本人を赦さないことを決めた韓国のキリスト教会の結んだ実なのだと思います。また、隷属させる強い霊に洗脳された日本人は、聖書の知識がないのです。

 

 聖書の知識がないと、聖書のみことば(真理)を混ぜ合わせた偽りの教えを真理と勘違いします。ましてや、洗脳ともなると、悪い霊がその人の霊深くに入り込んで縛り上げ、捕らえてしまいます。そして、牢に閉じ込めます。

 

 洗脳を解くことは容易ではありません。日本人としてではなく、人間としての精神を病みます。正しい歩みができなくなります。永遠のいのちはそこにはありません。

 

 悪い霊に隷属する者たちは、イエスの言われた『荒らす憎むべき者(反キリスト)』が世界の覇権を握る時が来たら、何のためらいもなく従うでしょう。

 

 キリストを名乗りながら、神の救いの道を塞ぎ、魂を永遠の死と滅びに導く彼らの罪は、永遠に残ります。