ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

同情のわな

 

 日本人は、心の優しい民族だと思います。相手をおもんぱかる心があります。言葉に言い表せないけれども、日本人特有の精神性があります。和する文化です。個ではなく、集団の均整を尊びました。

 

 人と人とが繋がっていたのです。個人ではなく、家族の安寧、村の安寧、社会の安寧、国の安寧を基礎にしていました。家族のために存在し、村のために存在し、国のために存在していました。

 

 家族は村のためにあり、村は国のためにありました。繋がっていたのです。

 

 志のある者が先導することもあります。志ある者も、自分の栄誉のためではなく、家族のため、村のため、国のため、他者のために心尽くしたのです。群れを大切にしていました。

 

 日本人は、徳を重んじていたのです。徳のある人を敬いました。

 権力者の中に、お金に目がくらむ者が現われると、社会が乱れました。お金持ちになりたがる権力者たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げかける、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛する権力者によって、悪がはびこるのです。お金を求める者の思いは、自分のことだけです。

 

 動機が人のため、社会のためでないので、社会は分断され、日本人の精神は揺るがされました。人を羨み、自分もおいしい目に会おうとする者が現われ、和合することは軽んじられました。

 

 先進国の仲間入りをした日本は、他の国々のように個人主義に走りました。個人の繁栄を目指しました。個人の栄えは、周囲を幸せにするものとは異なりました。自分だけの精神で、日本人は病みました。もともと、日本人は群れによって生活していたのです。個人主義は、受け売りでした。

 

 個人主義によって精神が孤立した日本人は、孤独でした。魂の拠り所も、休み場もありません。日本人特有の精神性を育みません。自殺者が増加しました。

 

 お金の価値よりも、物の価値よりも、精神的なものに価値を見出し始めました。追いやられ、瀕死の状態の心が我に返り、軌道修正し始めたのです。

 

 これから、精神的に目覚める日本人が多くなると思います。物品もお金も幸せにしてくれないことを悟ったからです。幸せは心にあったのです。大切にする心、慈しむ心、感謝の心が、自分を本当に豊かにするものでした。

 

 日本人が精神的に回復し始めると、日本人独自の優しさも目覚めるでしょう。他と寄り添い同調する心。特に、同情心が回復します。同情する者の心に侮蔑の思いはなく、優しさがあります。

 

 この同情心によって心に憐れみが芽生えた日本人は、争いの心がなくなります。穏やかです。これこそが、日本人だと思うのです。

 

 しかし、神の国にとっては、厄介なものでもあるのです。神の国の主権者は、神です。人の思いがそのまま受け入れられるわけではありません。神の国では、神の御思いが正しいのです。神の御思いが真理であり、いのちです。

 

 神は、人が生きることを望まれます。神の敵である悪魔は、滅ぼすことを目的とします。人道的な精神で止めて置きたいのです。神のない和合を用意しているのです。神を知らない人々は、精神的な充足で満足します。しかし、その先は、死です。

 

 神は、いのちを与えるために、偽りの同情心を憎まれます。神が介入しない平和には、永遠のいのちがないからです。

 

 選挙運動中に起きた事故によって、同情票が集まりました。同情心は、日本人の長所であって、また、神の観点からすると、厄介なものです。日本人が良いとする同情心が、永遠のいのちのためのわなとなるのです。

 

 ニュース番組を観ていたら、「他の政党に入れるつもりだったけど、あんなことが起こって、なんか応援したい気持ちになって、自民党に票を入れました。」という人が何人もいて、びっくりしました。

 

 選挙結果が出るまで、「あのことが追い風になると思います。」と言う意見が、アナウンサーたちの口から出ていましたが、私は(まさかそんなことはないだろう。)と思っていました。

 

 結果を見て、本当にそんなことがあるのだと驚きました。同情の感情が人々の心を動かしたのです。

 

 この結果を知って、危惧しました。もし、クリスチャンの中にそのような人がいたとしたら、神の試みのときに、簡単に向きを変えてしまうのだろうなと懸念しました。

 

 日本人の長所である思いやりの心、同情心は、悪魔の惑わしの拠点とされます。悪魔はずる賢いです。人が良いと思うことをもってその人を救いから遠ざけるのです。良いことを選んだと思っていると、実は、感情を利用されて救いの外に迷い出ているのです。

 

 良いこと、正しいことを尊ぶ日本人に仕掛けるわなは、親切心であり、同情心です。心穏やかにして、救いから外されます。悪魔の策略に飲まれないように、信仰に立ち続ける祈りが必要です。感情で、動かされないように、常に神の救いを求めていきましょう。

 

 

 イエスが、人の子(キリスト)は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後に甦られなければならないと、弟子たちに教え始められた。

 

 するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。ペテロの同情心、イエスを思う心が働いたのです。

 

 しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロを叱って言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マルコ8:29-33)

 

 ペテロは、イエスに「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白して、イエスから称賛されました。そして、言われたのです。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」

 

 ペテロの口は、神のことばを語りました。ペテロは、神の御子から褒められました。その後に、ペテロは同じ口で、悪魔の言葉を語ったのです。

 

 「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と。ともにいた弟子たちも、(そうだ。そうだ。)と思ったに違いありません。人間的に見たら、決して悪いことを言っているわけではありません。

 

 しかし、イエスは、ペテロに言われたのです。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」ペテロの人間的な気遣いは、神のご計画の邪魔をするものだったのです。

 

 神は人の同情に頼られるお方ではありません。人は、神が定められたことを受け入れ従うだけです。神の計画は、わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものなのです。(エレミヤ29:11)

 

 神の計画は、神の御国に入る希望と永遠のいのちを与えるものです。

 

 日本人は、日本人の長所である優しさや同情心を御霊に支配していただかなければなりません。