ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

恐れなければならないのは主です

 

 「主はこう仰せられる。

 『彼らは安らかで、数が多くても、刈り取られて消えうせる。わたしはあなたを苦しめたが、再び、あなたを苦しめない。

 いま、わたしは彼のくびきをあなたからはずして打ち砕き、あなたを縄目から解き放す。』」(ナホム書1:12,13)

 

 神を神としないで自由に振舞う者たちが栄え、この世の主導権を握っています。彼らは世を楽しみ、安らかに見えます。それに比べて、神の民は小さくて弱々しくて日の目を見ることがありません。彼らの数は少なくて、つまらない者のレッテルが貼られます。彼らの声は世の雑踏の中で、濁流にかき消されます。世には、彼らの居場所がありません。

 

 しかし、すべてをご覧になっておられる神は仰せられます。「世の者たちは安らかで、数が多くても、刈り取られて消え失せる。」神の御前で、彼らは存在しない者なのです。

 

 目に見えるものが現実で、真実だとみるならば、彼らは現実世界で大いに活躍するスターたちです。しかし、それは肉の世界の話です。肉は腐り、滅ぶものであり、やがて、栄えは消え失せます。

 

 目に見えないものは永遠に続きます。神の子らは、永遠に続く目に見えない宝を持っています。霊の目の開かれた者にしか、それを見ることはできません。

 

 パウロは言います。

 「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、思い永遠の栄光をもたらすからです。

 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(コリントⅡ 4:16-18)

 

 神の子たちは今は見ていないけれども、永遠の栄光ある復活のからだを得て、永遠に生きる、神の約束をいただいているのです。この世の人々の知らない宝を受ける希望を持っています。

 

 神はいつまでも、神の子らが苦しむのを放ってはおかれません。「わたしはあなたを苦しめたが、再び、あなたを苦しめない。」と言われるからです。神は、世の人々の蔑みや、権力行使、世に従わせようとする圧力や、地位を与えず奴隷のように卑しめる彼らの横暴なくびきを、神がはずして打ち砕き、神の子らを、世の苦しみから救い出されるのです。

 

 「主はねたみ、復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方。

 主は怒るのに遅く、力強い。主は決して罰せずにおくことはしない方。」(ナホム書1:2,3)なのです。

 

 誰がその憤りの前に立ちえよう。誰がその燃える怒りに耐えられよう。その憤りは火のように注がれ、岩も主によって打ち砕かれる。(ナホム書1:6)

 

 「万軍の主、主は、その最も頑丈な者たちのうちにやつれを送り、その栄光のもとで、火が燃えるように、それを燃やしてしまう。

 イスラエルの光は火となり、その聖なる方は炎となる。燃え上がって、そのいばらとおどろを一日のうちになめ尽くす。

 主はその美しい林も、果樹園も、また、魂も、からだも滅ぼし尽くす方」(イザヤ書10:16-18)なのです。

 

 イスラエルを選び、イスラエルを愛し、イスラエルを贖われる主は仰せられます。

 「わたしはほんのしばらくの間、あなたを見捨てたが、大きな憐れみをもって、あなたを集める。怒りが溢れて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたを憐れむ。」(イザヤ書54:7,8)

 

 「このことは、わたしにとっては、ノアの日のようだ。わたしは、ノアの洪水をもう地上に送らないと誓ったが、そのように、あなたを怒らず、あなたを責めないとわたしは誓う。

 たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」とイスラエルを憐れむ主は仰せられる。(イザヤ書54:9,10)

 

 人類の初子イスラエルの背信の罪を赦し、彼らを贖われる主は、生きておられます。イエス・キリストを信じて神の家に集いながら、離れて行った背信者たちにも、主は語りかけられます。

 

 人が悔い改めるならば、神は赦されます。いつまでも、怒ってはおられません。主に身を避ける者たちを、赦しを伴う愛で覆ってくださいます。

 

 「主は慈しみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。

 しかし、主は、溢れみなぎる洪水で、主に逆らう者を滅ぼし尽くし、その敵を闇に追いやられる。主はすべてを滅ぼし尽くす。

 仇は二度と立ち上がれない。彼らは、からみついたいばら。大酒を飲んだ酔っ払いのようであっても、乾いた刈り株のように、全く焼き尽くされる。」(ナホム書1:7-10)

 

 恐れなければならないのは、主なのです。