ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

わたしの民エジプト

 

 万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手で造ったアッシリア、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」 (イザヤ書19:25)

 

 神は、イスラエルと並べて、エジプトとアッシリアを祝福されます。神はおひとりです。世界中に神がおひとりならば、すべての民は、このおひとりの神によって造られたのです。エジプトもアッシリアも神が造られました。

 

 人間は、おのおの神を作り、神々に満ちていると考えますが、真実は、神はおひとりで、神がすべての民族を造り、生まれさせたのです。世界は、おひとりの神によって造られ、すべてのもの、すべての魂はこの創造主によって保たれているのです。

 

 世界は創造主のご計画のうちにあって、存在しています。世界の神々と呼ばれるものの上におられ、神々もこのおひとりの神に服しているのです。まことの神は、すべてのものの主権者です。

 

 神はエジプトをさばかれました。万軍の主が、エジプトに対して宣告されたからです。

 「見よ。主は速い雲に乗ってエジプトに来る。エジプトの偽りの神々はその前にわななき、エジプト人の心も心底からしなえる。わたしは、エジプト人を駆り立ててエジプト人に歯向かわせる。エジプトの霊はその中で衰える。

 わたしがその計画をかき乱す。彼らは偽りの神々や死霊、霊媒や口寄せに伺いを立てる。わたしは、エジプト人を厳しい主人の手に引き渡す。力ある王が彼らを治める。」(イザヤ書19:1-4)

 

 「ツォアンの首長たちは愚か者、ノフの首長たちはごまかす者。その諸族のかしらたちは、エジプトを迷わせた。

 主が、彼らの中に、よろめく霊を吹き入れたので、彼らは、あらゆることでエジプトを迷わせ、酔いどれがへどを吐き吐きよろめくようにした。それで、エジプト人のために、なすべきわざがない。

 その日、エジプト人は、女のようになり、万軍の主が自分たちに向かって振り上げる御手を見て、恐れおののく。

 ユダの地はエジプトにとっては恐れとなる。これを思い出す者はみな、万軍の主がエジプトに対して計るはかりごとのためにおののく。」(イザヤ書19:13-17)

 

 神から出たことは、だれにも止められません。

 

 「その日、エジプトの国には、カナン語を話し、万軍の主に誓いを立てる五つの町が起こり、その一つは、イル・ハへレスと言われる。

 その日、エジプトの国の真中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、証となる。彼らが虐げられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。

 そのようにして主はエジプト人に御自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、生贄と献げ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。

 主はエジプト人を打ち、打って彼らを癒される。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らを癒される。

 その日、エジプトからアッシリアへの大路ができ、アッシリア人はエジプトに、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人はアッシリア人とともに主に仕える。」(イザヤ書19:18-23)

 

 わざわいを与えるのが主ならば、祝福を与えられるのも主です。

 

 四百年間、御自分のものであるユダヤ民族を奴隷として苦しめたエジプトにわざわいを送り、エジプトを苦しめられるのも主です。

 

 「イスラエルを祝福する者を主が祝福し、イスラエルを呪う者を主が呪われる。」という神の契約の成就でしょうか。地上のすべての民族は、イスラエルによって祝福されることが、神の摂理です。

 

 神には、もう一つ、異邦人を救うご計画があります。イスラエルだけで、神の御国を完成されるのではありません。イスラエルとともに救われる多くの異邦人を定めておられるのです。

 

 エジプト人は、万軍の主が自分たちに向かって振り上げる御手(わざわい)を見て、恐れおののきます。すると、エジプトの国には、イスラエルに友好を示し、万軍の主に誓いを立てる五つの町が起こります。イスラエルの敵のエジプト人の中から、主によってイスラエルの神にへりくだる者が起こるのです。

 

 その日、エジプトの国の真中に、主のために、一つの祭壇が建てられ、その国境のそばには、主のために一つの石の柱が立てられ、それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、証となります。

 

 エジプトの偶像の神々に仕えていたエジプト人が、イスラエルの生ける神、万軍の主を求めるのです。主を恐れ、主に降参し、主の祭壇を建て、主を求めます。彼らが虐げられて主に叫ぶとき、主は、エジプト人のために戦って彼らを救い出す救い主を送られるのです。

 

 神は、いつまでも怒ってはおられません。主は、エジプト人に御自身を示し、その日、エジプト人は主(まことの生ける神)を知り、生贄と献げ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たされます。主が、彼らの神となられるのです。

 主はエジプト人を打ち、打って彼らを癒されるのです。エジプト人も、万軍の主が造られた民なのです。万軍の主は、天地万物を造られた全能なる神です。神は、エジプト人を滅ぼすために打たれるのではありません。打って、真理に目覚めさせ、創造主であるまことの父を知り、主に立ち返らせるためなのです。

 

 エジプト人が主に立ち返れば、主は、彼らの願いを聞き入れ、彼らを癒されるのです。エジプト人はイスラエルにへりくだったのではありません。イスラエルの神にへりくだり、イスラエルの聖なる方を恐れたのです。

 

 その日、エジプト人はアッシリア人とともに主に仕えます。彼らのまことの居場所は、天地創造の神です。神はイスラエルのものではなく、地上のすべての民族の神だからです。

 

 神のものである民イスラエルは、地上のすべての民族の救い主キリストを生み、イエス・キリストにおいて、永遠のいのちを与えて、地上のすべての民族を祝福する民です。

 

 神は、神の御子イエス・キリストにおいて、すべての民族の主となられます。エジプトにも、アッシリアにも、御自分の民を見出されます。

 

 万軍の主は祝福して言われます。

 「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリア、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」

 

 今の世代の人々は、主イエスに出会い、父なる神に立ち返り、永遠のいのちを受けるために、地上に生まれているのです。どこの国民であろうとも、主イエス・キリストにおいて、一つの国民、神の民、神の子どもとされるのです。