ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

一つの違反で罪に定められ 一つの義の行為で義とされる

 

 「一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。」(ローマ5:18)

 

 最初の人アダムは、神から「食べてはならない。それを食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と命じられていた、禁断の木の実、善悪を知る知識の木の実を食べて、死ぬ者となりました。

 

 善悪を知る知識とは、神の助けを受けず、人が自分で判断し決断する力です。神を主とせず、自分自身を主とする生き方の根っこです。

 

 人も天地もすべてのものは、ひとりの神によって造られました。神は創造主であり、万物は神の被造物です。神が「主」であって、被造物は「従」なるものです。神は目的をもって天地万物を造られました。造られたものは、目的を悟りません。すべてものの知恵は神御自身です。

 

 目的をもった神の知恵の中に留まり、神の御意思に従うと、被造物は目的を意識しなくても、神の目的どおりに存在していることになります。すべてのものに調和があり、安息と平安と喜びがあります。神の霊が覆っているからです。

 

 神のことばは神の意思であり、神御自身なのです。神のことばを守ることは神とひとつであるということです。神とひとつであることは、被造物も神の栄光の輝きを放ち、永遠に存在するということです。

 

 しかし、アダムは自ら神の命令を破り、神のことばに従わなかったのです。神のことばに、いのちがあります。神のことばを退けることはいのちを失い、死を受けることです。

 

 神の命令は、いのちだったのです。人を縛るためではなく、人をいのちの中に守るための命令でした。

 

 ひとりの人アダムによって罪が世界に入りました。アダムの罪によって死が入り、死が人類に広がったのです。全人類が、ひとつであった創造主から離れ、死に向かう罪を犯したのです。

 

 善悪を知る知識の木の実を食べたアダムの違反、この一つの違反によってすべての人が罪に定められました。

 

 神は、御自分とともに人を創造した、御自身のひとり子を、死んだ人を生かす者として、地に遣わされました。人類の罪の生贄として、罪の無い全き神の子羊が屠られるためです。

 

 罪によって死人となった人類を、永遠の死から救い出して生きる者とするためです。初め神は、塵から造った人の鼻にいのちの息を吹き込まれて、人を生きたものとされました。

 

 神のいのちの息が吹き込まれて生きたものとなった人が、いのちの息に逆らい、死を迎えたのです。死は神が与えたものではありません。人が自ら、神に敵対する悪魔の死の言葉に従ったので、死を受けたのです。

 

 神の御子は、人を死と滅び(悪魔の世界)に巻き込み罪のとりこにした悪魔を滅ぼし、死人に加えられた人々を死から救い出すために、贖いの子羊として来られました。神が用意された神の子羊イエスです。

 

 人々を死から救い出すためには、死をもたらした罪を清算しなければなりません。罪がある限り、死は罪人を捕らえるのです。神の子羊イエスは、罪人の身代わりの生贄となられました。

 

 全き聖なる生贄によって、神の罪人への怒りはなだめられました。子羊イエスの血は、罪を贖う血として人類に与えられました。「主イエスが神の御子キリスト・救い主である。」と信じる者は、キリストの贖いの血を受けた者です。

 

 神が用意された子羊の贖いの血を受けた者は、神から罪が贖われた者とみなされます。神の御子がその人の代わりに罪の処罰を受けてくださったので、その人は「罪がない。」と神に宣言されるのです。罪が認められない者は裁かれることがありません。神に義と認められるのです。

 

 神の御子イエス・キリストの一つの義の行為(十字架の贖い)によって、すべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。一つの違反(アダムの神に背いた罪)によってすべての人が罪に定められ死が入ったのと同様に、一つの義の行為(神の御子ナザレのイエスの神への完全な聞き従い)によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。

 

 ここで注意しなければなりません。アダムの違反によってすべての人が罪に定められて死が入り、すべての人が死人となりました。そして、神の御子イエス・キリストの聞き従いによってすべての人が義と認められたのですが、つまり、罪が赦されたのですが、神の御子の聞き従いの中に入らなければ、いのちは与えられないということです。

 

 自由人であったアダムが罪を犯し、捕らわれ人となりました。悪魔の牢に入れられたのです。牢の中で子孫が増え広がりました。人類は、牢に囚われた者として増え広がりました。

 

 神の御子が遣わされて、牢の権力者の悪魔を滅ぼし、牢の戸を開けました。牢は開いたままです。御子の手を取って牢から出て天に引き上げられる自由人となる者もいれば、牢を開けてくださった御子の手を拒み、他の救い主を求める者もいます。彼らは、牢を出ても、尚、悪魔の地に留まったままです。また、ある者は、牢の中にこもったままです。牢から出ようとはしません。また、ある者は悪魔の手下どもとともに悪事を働きます。

 

 いのちを得るためには、人の意志が必要です。神に聞き従う神の御子イエス・キリストの歩まれたいのちの道に歩むならば、イエスが死から復活されたように、死んでも甦って生きるのです。復活のからだを受けて、永遠に生きる神の子とされるのです。

 

 神は、いのちの道を歩む道案内として、真理の御霊を地に遣わしておられます。イエスを主とする者に、神はキリストの御霊を住まわせてくださいます。神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。神の子どもは、神の御国の相続人です。神の御子イエスとともに、神の御国を相続するのです。

 

 神の御子イエス・キリストは、罪人を永遠の死から救い出すために来られました。神に背き神に逆らう、神の敵であった私たちを、御子イエスの死によって神と和解させられたのです。主イエスは、私たちのために和解を成り立たせてくださった、救い主です。

 

 永遠の死と滅びから救い出し裁きを免除して、永遠のいのちを与えられる救い主です。

 

 人を造られた神の命令は、「永遠のいのちを受けよ。」です。

 善悪の木の実を食べてはならない、という神の命令に従うことを失敗して死ぬ者となった人に、「わたし(神)のひとり子イエス・キリストを信じよ。」と新しい命令を与えられました。死から救い出し、生かすための命令です。

 

 すべての人は、悪魔に虜にされ、罪のとりことなって、神が悪魔のために用意された永遠の火に向かっています。そこから救い出すのは、神の御子、救い主イエス・キリストです。神が定めた唯一の救世主です。キリストにならい、神の御霊に聞き従うことが、神が定めたいのちに続く道です。

 

 創造主であり裁き主である神は、命じられます。「神の御子イエスを信じて、生きよ。」