ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の目的

 

 永遠の昔から、神は存在しておられます。始まりがありません。すべてのものを創造されたのは、神です。すべてのものは、神によって生まれ、神によって保たれ、存在しています。

 

 神は神御自身によって、存在しておられます。神は他のものによって造られたのでもなく、他のものによって保たれ存在しているお方でもありません。神は、神御自身によって存在しておられる、いのちの根源であり、初めであるお方なのです。神は、「在って在るもの」と名乗られるお方です。

 

 神は力(エネルギー)であり、知恵であり、意思であり、愛です。愛は、安らぎと平安と喜びと豊かさです。満ち足りた安息です。

 

 神は、全きお方です。全き聖であり、全き義であり、全き愛なのです。神は光であって、神には少しの暗いところもないのです。

 

 神に仕える天使が造られました。また、神には、神の霊なる聖霊と、神のひとり子である神の御子がおられます。すべてを生んだ父なる神と、聖霊と、神の御子は、神として御使いに礼拝されていました。

 

 キリスト教で言うところの、三位一体の神です。父、子、聖霊の三つの神格の神が、父において、一つの意思、一つの義、一つの愛である、聖なる一心同体の神です。子の思いは父の思いであり、聖霊の思いは父の思いであり、子の思いは聖霊の思いであり、聖霊の思いは子の思いなのです。

 

 天使は三つの位格の神に仕えるものでした。天使には神が定めた天使長がおり、天使長により、大勢の天使が統制され、秩序をもって仕えていました。

 

 しかし、幾人かいる天使長のうちのルシファーが、子を軽んじ、神のようになろうと考えました。神の御子の上に立つことは、神の神格を汚すことであり、神の定めた秩序に逆らうことです。

 

 子に逆らうことは、神のご主権に背くことです。子に対しての背きは、父に対しての背きなのです。神の定められた秩序に守られていた光に歪みが生じました。神のご性質の聖に反します。聖に反するものは留まることができません。消滅してしまいます。

 

 愛なる神は、天使が消滅するのを憐れまれました。神に逆らうものに、闇の次元を造り、光から追放し、闇で生きるようにされたのです。次元が異なるので、光から続く場所に闇があるのではありません。光は全き光であって、闇は存在しないのです。どこまで行っても、光は光なのです。

 

 闇の次元に、神は、天地万物を創造されました。それは、ルシファーが率いる天使たちも、天使長ルシファーとともに堕ちてしまったからです。天使長ルシファーの高慢の罪ゆえに、ルシファーの権威の下にいた天使たちも高ぶる指導者の罪をともに負ってしまったのです。

 

 神は、堕天使たちの救済を計画されました。その救済計画のために、現象を造られました。天体を造り、環境を造り、従順を学ばせようとされたのです。その管理者として、塵から人を造られました。塵から造られた人が治めるのです。

 

 ルシファーは、光り輝く天使でした。最も麗しい天使でした。この天使長のもとで仕えることで、彼らも輝いていました。それが、塵から造られた卑しい人に管理されることとなるのです。霊なる存在であった堕天使が、塵の人に従わなければならないとは、屈辱です。それでも、従うことができるのか。これは、謙遜の試みです。へりくだった者でなければ、光で生きることができません。

 

 また、塵で造られた人は、神のことば(神の御子)に従う者として造られました。神の御子に従う人に、へりくだった堕天使が管理されるはずでした。

 

 しかし、堕ちた天使長ルシファー(悪魔)は、神の救済を憎みました。神から奪った堕天使たちは、悪魔のものです。悪魔は闇の王として、神に敵対する国を完成させたいのです。神の支配は受けたくないのです。神の御子に敵対する悪魔ですが、父なる神のご主権に逆らうことはできません。

 

 父に逆らうことは、消滅を意味します。悪魔は活動したいのです。悪魔も父なる神の権威の下にいる者なのです。父の許しがなければ、何もすることができません。

 

 悪魔は、試みる者です。塵の人を、神のことば(神の御子)に逆らうように誘導しました。塵の人の心をわくわくさせるような言葉(御子に逆らう悪魔の言葉)で、巧みに誘導するのです。人は、悪魔の言葉に従い、神の御子を裏切ったのです。

 

 ルシファーが神に逆らい、堕ちたように、人も神のことばに逆らい、闇に落ちました。光を失ったのです。悪魔が支配する闇に捕らえられてしまいました。

 

 神の計画は、反逆の子ルシファー(悪魔)と反逆の堕天使(悪霊)を永遠の火に投げ入れ、従順な天使を光に戻して、光の秩序を回復させることでした。闇が造られる前の全き光を取り戻すことでした。闇の無い全き光の状態に戻すことでした。

 

 神は管理者として造った人を、神の御子に従順な者とすることから、救済計画を再スタートさせられました。堕天使の救済は、人の回復によって始められるのです。

 

 人の罪を神の子羊が贖われました。神の御子が人の子となられて、イスラエルに遣わされ、神の祭司の国民イスラエルによって、屠られました。神の子羊イエスの贖いの血で、父は、父の御心を満足せられ、人の罪の赦しを宣言されました。

 

 贖いの子羊となられた神の御子キリストを信じて御子に従順な者を、神の御国の管理者として、回復されました。回復というよりも、管理者として新しく創造されたのです。

 

 最初の人アダムとは異なる、新しい創造です。神の御子が人の子となられて、罪(神への不従順)に死んで、死を打ち破り、死から甦って、栄光のからだで復活されました。新しい創造は、神の御子に従順な、御霊のわざによって造られた人です。御霊によって新しく生まれ、新しい創造を受けた神の子どもです。

 

 神のことば(神の御子)とひとつの神の子どもらが、アダムの子孫から創造されるのです。神は、地に彼らの国を造られます。復活した神の御子イエス・キリストを王とする、イスラエルの国です。贖われる者の国です。

 

 この国は千年の間続き、世界はイスラエルの王、神の御子キリストによって治められます。堕天使たちは、女から生まれる人の子となって、贖いを受けます。神の御子、イスラエルの王に従順な者は、神の子どもとされます。

 

 千年が終わるころ、神の御子に従順な者と、反逆の心を持ち続ける者とに分かれます。千年間、縛られ底知れぬ深い穴に閉じ込められていた悪魔が解き放たれると、反逆の者たちは、悪魔とともに、神の都に攻め寄せます。しかし、神は天からの火をもって、彼らを焼き尽くしてしまわれます。

 

 白い大きな御座で裁きが行なわれます。イスラエルの王(御子キリスト)の国民は、贖われた者として裁きが免れ、天の御国に移されます。そうでない者は、裁きを受けて、悪魔と悪霊どものために設けられた永遠の火の池に投げ込まれます。

 

 天地万物現象はすべて消滅します。闇も死も永遠の火に投げ込まれ、永遠に燃やされるのです。燃え尽きることのない火は、神に反逆した悪魔を燃やし続けます。永遠に生きる魂は、永遠の火の池の中で、永遠に苦しむのです。もはや、死ぬことがありません。永遠の火の中で永遠に生きるのです。もはや、救済はありません。神の時が満ち、すべては完了したのです。これは、義なる神のわざです。

 

 神は、闇が造られる前の状態を取り戻されます。すべてが満ち足りた安息の全き光です。闇はありません。幾つもの次元はありません。すべてが神にあって、ひとつとなるのです。

 

 神の御子は、復活のキリストとして、新しい御姿となられました。塵で造られた人も御霊によって新しく生まれた新しい創造、神の子となりました。堕天使も新しい創造を受け、新しいものとなったのです。

 

 見よ。すべてが新しくなりました。(コリントⅡ 5:17)

 

 神の御子、主イエス・キリストの血によって贖われたすべてのものが天の御国に集められ、永遠の神の安息に入り、神は安息されるのです。