ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

永遠のいのちと復活のからだ

 

 「この方(神の御子イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」(ヨハネ1:12,13)

 

 神は、主イエス・キリストのことばを受け入れた人々、ナザレのイエスが神が遣わされた救い主キリストであることを信じた人々は、天の神の子どもとされる特権をお与えになりました。

 

 天の神の子どもとされる人々は、神と契約を結ぶ契約の民ユダヤ人の血統であるからでもなく、神の律法を厳格に守ったからでもなく、人が熱心に願い続け修行を積んだからでもありません。ただ、神の御子イエス・キリストのみわざ(十字架の贖いの死)により永遠のいのちの約束を受け、御霊のわざ(キリストの復活)とキリストの御霊により新しく生まれたのです。

 

 天の御国は、霊の世界です。物質は存在しません。地上の世界とは全く異なります。肉体は存在しません。肉眼で見える現象のすべて、物質は存在できないのです。天には朽ちるものは存在しないのです。

 

 ナザレのイエスは、罪の生贄の神の子羊として、木(十字架)にかけられ、贖いの血を流して死なれました。ナザレのイエスの血は、人類の罪を贖うための罪人の身代わりの血でした。

 

 聖なる神は、罪を見過ごすことができません。永遠に生きる者とするためには、人を天の御国の法に従う者としなければなりません。神は、人々を聖とするために、神のひとり子に肉体を与えて贖いの子羊とされたのです。

 

 神の御子イエスは、罪を犯さない全き人でした。彼自身に罪を見出すことができません。神に完全に服従した、唯一の人の子だったのです。神が満足される、神の望みどおりの義人です。

 

 神は、この全き人を、ご自身の御心を喜ばせるだけでは満足されません。ご自分の宝としてその完全さと麗しさを愛でるわけでもありません。

 

 この完全な土の器を木にかけて呪われた者とし、それを打ち砕かれたのです。この土の器からいのちが吹き流れました。

 

 この完全な土の器(イエス)のうちには、神の御霊のいのちがあったのです。天の御国で生きることのできる永遠のいのちです。死なないいのちです。土の器が砕かれると、勢いよく永遠のいのち(イエスの血潮)は溢れ流れました。

 

 神は、罪の無い永遠のいのちを、罪人である人類に与えるために、神の御子イエスの血を流されたのです。十字架にかけられたナザレのイエスは、人類の罪を贖うために、神が天から遣わされた天の人、神の御子キリストだからです。

 

 イエスは、神から、預言者の油、祭司の油、王の油、三つの油を注がれたキリストでした。預言者であるイエスは、ユダヤ人に聖書のことばを解き明かし、預言者たちのことばを思い起こさせました。また、預言者たちの預言を成就させました。そして、これから後に起こることをユダヤ人に告げ知らせ、父なる神のこと、神の御国のこと、永遠のいのちと最後の裁きのことを教えられました。

 

 祭司であるイエスは、律法の契約に代わる新しい契約を用意されました。イエスはとこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司と呼ばれるお方です。なぜならば、主は誓われたからです。そして御心を変えないのです。「あなたは、メルキゼデクの状にひとしく、とこしえに祭司である。」(詩編110:4)

 

 神は、アロンの子孫の大祭司に代わって、神の御子キリストをとこしえの祭司として立てられました。祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません。(ヘブル7:12)律法の契約を古いとし、新しい御霊の契約を与えられました。石に書かれた文字による律法ではなく、律法を人の思いの中に入れ、人の心に書きつける御霊を与えられたのです。

 

 天から遣わされた御子イエスが祭司となり、天から遣わされた御霊が新しい律法となられたのです。まことの天と結ぶ契約が成立しました。天上の法が地上に与えられ、この天上の法に服する(神の御霊に聞き従う)者は、天に引き上げられ、永遠に生きる者、天の神の子どもとされるのです。

 

 天上の法とは、肉のわざではありません。肉体を脱いだ者のわざです。神の御子イエス・キリストの死とともに、肉に死んだ者が、キリストの御霊を受けて、御霊に聞き従う歩みを行なうことです。御霊に聞き従う歩みは、キリスト・イエスが御父に聞き従われた歩みです。

 

 イエス・キリストの贖いを信じる者、イエスを救い主として告白する者、イエスの御名を呼ぶ者は、天の神の子どもとされる特権を受けます。イエスを信じる者は、キリストの贖いの血によって罪赦された者であり、神に義とされる者です。天で生きる永遠のいのちを受ける恵みに与かるのです。

 

 王であるイエスは、復活のからだのキリストです。死に勝利した甦りの主です。キリストがお与えになった御霊に聞き従う者は、御霊によって甦り、復活のからだをいただきます。復活のからだをいただいた者は、天の御国で永遠に生きる、天の神の子どもとされるのです。

 

 神の子どもとされるためには、キリストの贖いの血による永遠のいのちと、御霊による復活のからだが必要です。

 

 自動車免許証を手にすることにたとえるならば、免許取得のために自動車教習所に入所して学ぶ者は、救いを求めて聖書を学ぶ者にたとえられます。学びが進んで仮免許学科試験を受け合格すれば仮免許を取得できます。そのように、イエス・キリストを主と信じて、水のバプテスマを受けた人は、神の子どもとされる特権を受けるのです。

 

 仮免許を取得し、いよいよ公道での練習が始まります。しかし、まだ運転免許証を取得したわけではありません。運転免許本試験を合格して、自動車運転免許証が交付されるのです。イエス・キリストを信じ、水のバプテスマを受けた者が、キリストの名によるバプテスマ(聖霊のバプテスマ)を受けると、天上の法を心に書き記された者となります。その方(御霊)に聞き従う者は、永遠のいのちとともに復活のからだも受ける者となります。

 

 神の子どもとされる特権を受けた者は、神の御霊によって新しく生まれた者です。永遠のいのちが与えられました。しかし、天上で生きるためには、復活のからだ(死んでも甦るからだ)が必要です。神に贖われた聖なる者が着る白い衣です。

 

 神の子どもとされる特権をないがしろにしてはいけません。特権を持ちながら、肉ある者と同じ考えで生きるならば、天の者となっていないのです。天の神の子どもとするために、イエスは、助け主として、御霊を遣わされました。御霊に導かれる者は、キリストに教えられる者です。キリストを愛する者は、キリストの教えを受け守ります。

 

 キリストのいのち(神を崇め神を愛しへりくだる心)で生き、御霊によって天上の喜びを味わいます。地上にいながら、天の御国の平安を味わうのです。その人には、永遠のいのちと復活のからだが約束されているからです。