ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

肉のからだ 御霊のからだ

 

 「天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。

 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに甦らされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものに甦らされ、弱いもので蒔かれ、強いものに甦らされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだに甦らされるのです。

 血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」(コリントⅠ 15:40-44)

 

 天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なります。また、栄光にもいろいろあり、個々の被造物によって栄光が違います。クリスチャンだからと言って、すべての人が同じ栄光ではないようです。同一の神を信じていても、それぞれの栄光は異なっています。

 

 死者の復活もこれと同じです。ある者は、滅んで行くにふさわしい者であったのが、キリストの贖いの血によって、永遠のいのちで甦ります。ある者は、卑しい者であったのが、御霊の創造によって、栄光ある者に甦らされ、臆病者であった者が、御霊に聞き従い、大胆な戦いの勇士として甦らされるのです。

 

 肉に属する土の器が、神の御子キリストの贖いの血によって義とされて、御霊の創造によって聖とされ、御霊の器として甦らされるのです。

 

 神の御子ナザレのイエスは、十字架で贖いの血を流して死なれました。墓に入り、三日目に、死から甦られ、新しい復活のからだで弟子たちに現われました。復活のからだは御霊のからだです。空間の拘束も時間の拘束もない、天上のからだです。思いとともに一瞬にして移動するからだであり、永遠に生きる天上のからだです。話すことも聞くことも食べることもでき、また、食べなくても永遠に生きるからだです。

 

 神が肉体を造られ、「人の子」としてイスラエルを歩まれた神の子イエスは、十字架の死と復活の栄光のわざを成し遂げられました。肉の姿のナザレのイエスが、十字架で肉が破られ、死から甦られた時には、新しい御霊のからだで復活されたのです。

 

 それと同様に、イエスを主キリストと信じ従う者は、キリストが与えられた御霊によって、イエス・キリストとひとつに結ばれます。その人は、イエスとともに十字架上で肉に死んで、御霊によって甦る者とされるのです。

 

 ナザレのイエスが血肉のからだを持ち、御霊のからだで甦られたように、御霊に導かれる人は、地上の肉体とは異なる、御霊のからだをいただくのです。血肉のからだがあるように、御霊のからだもあるのです。

 

 パウロは言っています。

 「聖書に『最初の人アダムは生きた者となった。』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。

 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。

 第一の人(アダム)は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人(ナザレのイエス)は天から出た者です。

 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。

 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。

 兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。」(コリントⅠ 15:45-50)

 

 最初の人アダムは、塵から造られたからだに神の息を吹き込まれて生きた者となりました。神に生かされる者です。最後のアダム(死から復活した御霊のからだのキリスト)は、生かす御霊となりました。

 

 十字架で流されたキリストの血が、朽ちて行く者を生かすのです。そして、キリストの御霊が、生ける水の川となって、神の御子イエス・キリストを信じる者を生かします。御霊によって新しく生まれ、御霊の器となった者のうちに泉が湧き、生ける水が溢れ流れて、朽ちて行く者を生かすのです。

 

 これは、神の御霊による新しい創造です。天から出た神の御子キリストによる、御霊によって生まれた新しい人です。

 

 土で造られた者はみな、この土で造られたアダムに似ています。そして、土で造られた者のかたち(肉体)を持っています。しかし、天からの者はみな、この天から出た者(神の御子イエス・キリスト)に似ています。そして、キリストの名によって受けた御霊により、天上のからだ(御霊のからだ)を持つのです。

 

 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。誰でも、初めは血肉の子どもとして地上に生まれ出ています。朽ちる者として生まれました。しかし、死が終わりではありません。

 

 死に勝利したキリスト・イエスにある者は、キリストの御霊によって新しく生まれた者です。肉体を持っていても、死んだ霊は生き返り、生かす霊(御霊)とともにあるのです。彼のうちにある生かす御霊は、肉体の死から甦らせて、御霊のからだを与えます。彼の霊はキリストの御霊とともにあり、キリストと同様に、御霊のからだで復活するのです。

 

 血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できないのです。神の国を相続する者は、御霊のからだと永遠のいのちを持つ者なのです。永遠のいのちの希望を持っていても、御霊のからだの無い者は、血肉のからだとともに滅びてしまいます。

 

 主イエスは、天上に上られて、地上に残る弟子たちを捨てて孤児にはされません。もうひとりの助け主(真理の御霊)をお与えになります。その助け主がいつまでもキリストの弟子たちとともにおられるためにです。

 

 復活されたキリストが、弟子たちに現れて言われました。

 「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。聖霊を受けなさい。」(ヨハネ20:21,22)

 

 聖霊を受けることで、イエスのことばを語り、イエス・キリストのわざを行なうのです。聖霊によらなければ、天上のことはわかりません。イエスは、御霊によって、父に聞き従われました。同様に、キリストのしもべは、御霊によって、キリストに聞き従うのです。

 

 肉体のからだの者であるから尚更、御霊に聞き従わなければ、キリストの御足跡をたどることはできないのです。御霊に聞き従う歩みによって、御霊のからだとされるのです。