ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

御父が神の御子イエスにお与えになった希望

 

 神がイエスに用意された最初のしるしは、ガリラヤのカナの婚礼の席でした。花婿と花嫁がいます。祝いの葡萄酒が振舞われます。

 

 そこには、ユダヤの慣習に従って、八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてありました。

 客に振舞っていた葡萄酒がなくなる頃、イエスは手伝いの人たちに「石の水がめに水を満たしなさい。」と言われると、彼らは水がめを縁までいっぱいにした、とあります。

 

 この石の水がめは、きよめのための水の瓶であって、飲み水ではありません。しかし、イエスは、このきよめの水を葡萄酒に変えて、葡萄酒が切れた婚礼会場に神の御霊が造った最上の葡萄酒を与えたのです。

 

 イエスの最初のしるしが、婚礼の席であったことは、父なる神のはからいでした。

 神のひとり子は、人の子となられて、十字架につけられるために遣わされました。ユダヤ人の罪を贖い、人類の罪を贖うためです。そして、神の子羊イエスの贖いの血によって罪を赦し、神の御子イエスを信じる者に永遠のいのちを与えるためです。

 

 人の子イエスは、世の罪を取り除く神の子羊であり、神の御子キリストです。預言者の預言を成就させる方であり、神との和解を実現させる方であり、イスラエルの王として世界を治める方です。

 

 神は、これから十字架に向かって歩むイエスに、千年王国の希望を示されました。キリストが悪魔に勝利した後で実現する世界です。

 

 キリストの十字架の血で贖われたキリストの花嫁が天に引き上げられます。彼らは、天上で婚礼を行ない、花婿(復活のキリスト)とともに地に下って来る聖なる都、新しいエルサレムとして、地上の千年王国を迎えます。

 

 千年王国は、キリストの披露宴です。多くの人々が祝いに集まります。花婿がいて、花嫁がいて、祝福する兄弟姉妹がいて、盛大に祝われます。祝宴です。

 

 イエスは最後の過ぎ越しの食事の時、パンを祝福して、「これはわたしのからだです。」と言って、裂いて弟子たちに与えました。また、杯を取り感謝を献げ、「これはわたしの契約の血です。多くの人のために流されるものです。まことに、あなたがたに告げます。神の国で新しく飲むその日までは、わたしはもはや、葡萄の実で造った物を飲むことはありません。」と言われ、弟子たちに与えました。(マルコ14:22-25)

 

 千年王国は、悪魔を千年間縛り封じ込めた、平和な神の国です。キリストは、葡萄酒を飲んで楽しまれます。

 

 都にはいのちの木があり、いのちの書に書かれた人たちは、門をくぐって都に入り、その実を食べることができます。(黙示録21:27,22:14)

 

 父なる神は、これからいばらの道を歩む御子イエスに、その道の終わりにある希望を見させられました。

 

 イエスの苦しみは、人々の罪の赦しのためであり、花嫁の創造のためでもあるのです。

 イエスは、御父に従って、きよめの水がめに水をいっぱいにしました。その水は、肉体の渇きを満たす物質的な水ではありません。罪をきよめる生ける水の象徴でした。

 

 罪を悔い改める者は、水のバプテスマを受けてきよめられ、罪の赦しを受けます。それは、有るはずのものが無くなった時、もう頼るものがなく、希望が絶たれた時かも知れません。人には手だてもなく、道が無いように思われます。しかし、神は人の知らないところで、最上のものを用意しておられるのです。

 

 悔い改める者に、神はキリストの御霊を与え、神の子どもに造り変えて下さいます。きよめの水を最上の葡萄酒に変えられたように、悔い改め罪赦された者を御霊に満たされる聖なる者に造り変えられます。土の器を御霊の器に造り変えてくださるのです。また、水がいつ葡萄酒に変わったのかわからないように、いつ変化したかわからないけれども、確かに、キリストのいのちに変えられるのです。

 

 イエスは、葡萄酒を「わたしの契約の血です。」と言われました。神御自身がこの契約の血を用意されました。神の御子イエスは、ご自分の肉を裂き、血を流して、花嫁との永遠の契約を結ばれるのです。

 

 きよめの水だけでは、契約は成就しません。キリストは血をもって、契約を成就されたのです。きよめの水は、キリストの血の契約を受けるためでした。キリストの血の契約は、キリストの御霊を受け取ることによって婚礼の契約が成就し、また、披露宴に招かれて、神の用意された食事を味わうのです。

 

 父なる神は、イエスの弟子たちに、ナザレのイエスが神の遣わされた神の御子キリストであることを信じさせるために、イエスの指示で水を葡萄酒に変えられました。このことは、弟子たちにとっては、ナザレのイエスが神の御子キリストであることのしるしでした。

 また、このことは、父なる神の御計画(神のひとり子イエスを愛し、イエスが行く所にはどこにでもついて行く忠実で聖なる花嫁を、ひとり子のために用意される)を神の御子イエスに思い起こさせ、そのことがこれから始まることと、苦しみの先にある婚礼の喜びを確かなものとされました。イエスにとっては、いのちの激しい苦しみの先にある希望のしるしでした。

 

 神の御心は、神のひとり子イエス・キリストによって成し遂げられるのです。主イエス・キリストがすべてのわざを完成させ、主イエス・キリストを愛する者、主イエス・キリストに聞き従う者、主イエス・キリストの御名を呼び求める者らを御霊によって集め、神の御国は完成するのです。