ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖霊が証されるキリストのしるし

 

 律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」

 しかし、イエスは答えて言われた。

 「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのはかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。

 ニネベの人々が、裁きのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネべの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。

 見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。」(マタイ12:38-41)

 

 旧約聖書にヨナ書が書かれているのは、キリストの予告であり、キリストのしるしを知らせるためだったようです。

 

 ヨナの時代も姦淫の時代でした。イスラエルは偶像を慕い、道徳は乱れ、王は預言者のことばを憎み、神の人、預言者を迫害し、民も好き勝手に生活していました。

 神は神に反逆するイスラエルをご覧になって、救いの御手をイスラエルの敵であるアッシリアのニネべに伸べられました。ユダヤ人の預言者ヨナをニネべに遣わし、悪の道と暴虐な行ないを悔い改めるならば、神が思い直して憐れみ、その燃える怒りを収め、滅びないですむかもしれないことを、宣べ伝えさせました。

 「もう四十日すると、ニネべは滅ぼされる。」ヨナは、ニネべを歩き回って叫びました。ニネべの人々は神を信じ、断食をして、悪の道から立ち返るために努力しました。それで、神はニネべに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされませんでした。

 

 この預言者ヨナの話は、すべてのユダヤ人が知っています。ヨナは、異教の地、ニネべの人々に神の滅びと悔い改めによる救いを語りました。

 イスラエルでは、多くの預言者が立ちイスラエルの人々に神のことばを告げても、誰も聞こうとはしません。かえって、預言者が語る神の呪いのことばを嘲笑います。そして、預言者たちを捕らえて殺してしまいます。

 神の民イスラエルが神のことばを軽んじ、神のことばを語る預言者を辱めていたのに、イスラエルの敵であり、まことの神から遠く離れた異教のニネべが、イスラエルの神を畏れ、神のことばにへりくだり、悔い改めて、神の憐れみを受けたのでした。

 

 ヨナは、三日三晩大魚の腹の中にいて、神を讃え、ニネべに運ばれました。船から海に投げ落とされた神のことばを取りつぐヨナは、海で死んだものと思われました。しかし、神は、大魚を備えてヨナを飲み込ませ、ヨナは、三日三晩大魚の腹の中にいて生き伸びて、ニネべに辿り着いたのでした。

 

 イエスは言われました。

 「悪い、姦淫の時代はしるしを求めます。預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子(キリスト)も三日三晩、地の中にいるからです。」

 

 まことの神がわからず、偶像の神々を拝む不信仰な(真の神を信じない)時代は、まことの神が遣わしたキリストを信じるのに、キリストである証拠を求めます。霊の鈍くなった人々は、霊によって悟ることができないからです。

 

 ヨナが三日三晩大魚の腹の中で、消化もされず、生き延びたことは、神の奇跡です。神は、キリストにもっと大きな奇跡を現わされます。神は、御自身が遣わしたキリストのために、死んで墓に入り三日目に墓から永遠のからだで甦るという、人が想像することも困難な奇跡を備えておられるのです。

 

 墓に入る前には、ナザレのイエスがキリストであることを信じなかった人々にも、死からの甦りによって、イエスがキリストであることを証されるのです。

 

 そのとおり、弟子たちが御霊を受けた後に、多くのユダヤ人が、弟子たちの宣教のことばを信じ、復活のキリスト・イエスを信じたのです。

 

 イエスの復活は、神に立ち返る者のための福音です。イエスが神の御子キリストであることの証であり、イエス・キリストによる救いが真実であることの証拠です。

 

 神のことばに心頑ななイスラエルよりも先に、異教の異邦人ニネべが、イスラエルの神にへりくだり、悪の道と暴虐な行ないとを悔い改め、悪の道から立ち返るために努力しました。ニネべは、預言者ヨナのことばが神のことばであることを信じ、神を信じたのです。

 

 同様に、ナザレのイエスを神の遣わされたキリストであることを信じないイスラエルから、キリストの福音は異邦人に伝えられました。イエス・キリストの復活の福音が先に、異教徒の地に広められたのです。

 

 異邦人は、異教徒ですが、神に心が開いていました。イスラエルは、神の民でありながら、律法の文字に仕え、霊は暗くなっていたのです。闇の中を歩んでいた異邦人は、光を求めています。

 

 イザヤの預言「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」(イザヤ9:2)とあるとおりでした。

 

 光を求め、真理に飢え渇く異邦人は、イエス・キリストに光を見たのです。そして、主イエスは彼らの神となられ、神に立ち返った異邦人は、イエス・キリストの御名を呼ぶ者とされました。

 

 主イエス・キリストが神の御子であり、救い主であることは、霊によらなければわかりません。人の知識や知恵では理解できないのです。霊によって求める者に、神の御霊(聖霊)、キリストの御霊が証してくださるのです。聖霊によらなければ、「イエスが主です。」と告白することはできないのです。

 

 また、復活のキリストがお与えになる聖霊は、信者のためのしるしです。キリストの御霊を受けた者は、キリストのいのちを受け、信仰の結果である魂の救いを得て、人間の言葉で言い表すことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

 

 御霊とともに、キリストのわざを完了されたイエス。キリストの御霊とともに、神の子たちは新しく生まれ、永遠のいのちによる創造を受けます。そして、聖霊によって、神の救いは完成するのです。

 

 神が遣わされたキリストは、聖霊が証されます。また、キリストが集められるキリストのしもべたちもまた、その人の霊とともに聖霊が証してくださるのです。