「第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナの入った金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板がありました。
また、箱の上には、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。」(ヘブル9:3-5)
契約の箱は、聖所の奥にある至聖所(大祭司が年に一度、民の罪の贖いのために入る、最も聖なる所)に安置されました。
箱の中には、マナの入った金の壺と、芽を出したアロンの杖と、シナイ山でモーセが受けた契約の二つの板とが入っていました。
マナは、四十年間、神が荒野でイスラエルを養うために、安息日を除いた毎日、天から降らせたパンです。荒野で神がイスラエルに食べさせたパンを子孫が見ることができるように、イスラエルの子孫のために保存されました。そのことは、出エジプト記16:31-33に書かれています。
アロンの杖は、十二部族の中からレビ族を、神が神に仕える民として選んだしるしとして、アーモンドの実をつけたのです。そのことは、民数記17:1-10に書かれています。神が選んだアロンの杖は芽を出しました。それで、アロンとアロンの子孫は、その年に立てられる大祭司の務めを担うのです。
契約の二つの板は、モーセがシナイ山に上って神から授けられた、神の指で書かれた十戒の二枚の石の板です。そのことは、出エジプト記31:18と申命記10:1-5に書かれています。
箱の上には、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。ケルビムは、いのちの木への道を守る御使いです。
神の命令に背いて悪魔の言葉に従い、善悪を知る知識の木の実を食べ、神から身を隠すアダムとエバ。神である主は、アダムとその妻エバのために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださいました。
「神である主は仰せられた。『見よ。人はわれわれ(御父、御子、聖霊)のひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。』
そこで神である主は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。」(創世記3:21-24)
いのちの木の実を食べるならば、神の御前で永遠に生きる者となります。人が神に背く不義のままで永遠に生きるならば、悪魔への裁きが無効となってしまいます。悪魔の言葉を信じた人を永遠に生かすならば、天の御国は、悪魔の言葉を受け入れることになります。天に受け入れられるということは、悪魔が許されることになるのです。
天の御国は、不義を受け入れることができません。神御自身が全き義であり、全き聖であるからです。神のことばを軽んじ、聖なる神を汚すことは赦されません。神は、義を立てて、人をエデンの園から追放して、入って来ないように、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれたのです。いのちの木への道を守るためでした。
いのちの木の実は、永遠のいのちです。ケルビムは、永遠のいのちを守護するものです。契約の箱は、永遠のいのちを守護するケルビムに守られていました。つまり、至聖所に安置された契約の箱は、いのちの契約が入った神の箱だったのです。
箱の中のマナの入った金の壺と、芽を出したアロンの杖と、契約の二つの板とは、のちに来られる永遠のいのちを与える方(神の御子キリスト)のひな型でした。契約の箱は、神の御子イエス・キリストご自身を象徴しています。
天から与えられたマナは、「いのちのパン」と呼ばれる、神のことばである神の子羊イエスの影です。
芽を出したアロンの杖は、神が選ばれたアロンの大祭司の権威を現わします。神は、アロンの位ではなく、メルキゼデクの位に等しいと呼ばれる祭司を立てられます。神は、ユダ族から出られた神の御子キリスト・イエスに「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」と仰せられます。
アロンは死にました。アロンの子孫も、死ということがあるため、務めにいつまでも留まることができず、大勢の者が祭司となりました。しかし、神がとこしえの祭司として立てられる御子イエスは、死んで、三日目に墓から甦られ、永遠に生きる祭司です。
契約の二つの板(十戒)は、モーセの律法です。律法は、キリストが現れるまでの養育係でした。律法は弱さを持つ人間を大祭司に立てますが、律法のあとから来た誓いのみことば「あなたはとこしえに祭司である。」は、律法の完成者であり、永遠に救いを全うされた御子を立てるのです。(ヘブル7:28)
キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、執り成しをしておられるからです。(ヘブル7:24-25)
祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりません。(ヘブル7:12)
永遠に生きる祭司キリストには、神の誓いがあります。
「主は誓ってこう言われ、御心を変えられることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです。」(ヘブル7:20-22)
神は、律法を完成された御子イエスによって、新しい契約を立てられました。石の板に書かれた律法ではなく、神の子羊イエスの肉と血による契約です。それは、十字架で流された贖いの血と、死から復活された主キリストの御霊による契約です。
契約の箱は、次に来るものの影であって、本体はキリストにあります。ケルビムが守る契約の箱は、天から与えられるいのちのパン(永遠のいのちを与える霊の糧、主イエス・キリストのことば)であり、神が誓って立てられたとこしえの祭司であり、新しいいのちの契約を与える方、御霊を授ける、主キリスト・イエスの影だったのです。
主イエス・キリストが、永遠のいのちなのです。そして、神が与えたいのちの契約なのです。
第七の御使いがラッパを吹き鳴らすと、天に大きな声々が起こって言いました。「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される。」
神の御前で自分たちの座に着いている二十四人の長老たちも、地にひれ伏し、神を礼拝しました。
「それから、天にある、神の神殿が開かれた。神殿の中に、契約の箱が見えた。」と、黙示録11:15-19にあります。
イスラエルが運んだ契約の箱は、聖なる神御自身を現わし、神の臨在でした。イスラエルから失われた契約の箱には、契約の二つの板だけが残っていました。地上では、契約の箱も、神殿も、大祭司も失われました。
しかし、天にある神殿には、まことの契約の箱、主イエス・キリストがおられるのです。
神が遣わされた神の御子キリストを拒んだイスラエルは、思いが暗くなり、啓示の光を失いました。
「イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。
かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。
しかし、人が主(イエス・キリスト)に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。}(コリントⅡ3:14-16)