イエスが生誕される六、七百年前から、神の御子の降誕を告げる預言者が現われました。イスラエルは、事前に、イスラエルを贖い平和を与えられる救い主の存在を知り、待ち望んで来ました。彼らが待ち望んだお方は、イスラエルの神がイスラエルに遣わしてくださるメシアでした。
異邦人の地では、釈迦が悟りを得て、明けの明星が現れることを知りました。釈迦のもとには悟りを求める弟子が集まっています。釈迦の悟りは、生老病死の苦しみから解脱し、この世の次に訪れる心安らかな新しい未知の世界を説いていました。
ひとりひとりが悟りを開きそこに到達することは、気の遠くなる難題なのです。釈迦自身がわかったことは、自分の悟りは、自分から出たものではなく、すでにあった摂理を見たにすぎないということでした。悟ったものの、それを実行して生きることの無力さを味わいます。
すべての人が到達することのできる奥義を求め続けていた釈迦が悟ったことは、釈迦が得た悟り、永遠の昔からある摂理を、自ら実行して生きる偉大なお方が世に現れるということでした。釈迦は、明けの明星として現われ、暗闇の世に光をともす方の存在に行き着いたのでした。
釈迦は異邦人です。イスラエルの神を知りません。神の存在を知らない釈迦が、神のひとり子の存在を知りました。釈迦は、その方が神であることを知りません。神という概念は持ち合わせていないのです。しかし、人が解決できない生老病死の悩みを解決してくださるすぐれたお方が現れることは理解しました。
それで、釈迦は弟子たちに、明けの明星が現われてその方が来られるとすべてのことが明らかになり、解決してくださることを告げました。
イスラエルの神は、唯一まことの神です。世界中すべての人にとっても、神なのです。天地万物を造られた神はおひとりですから、すべての国々、すべての民族は、このおひとりの神によって造られているのです。
神は、御自分の民イスラエルには、人の子として来られる神の御子の訪れをいろんな角度から告げ知らせられました。ベツレヘムで生まれること、処女から生まれること、ユダ族に生まれダビデの子と呼ばれること、飼い葉おけにおられること、命狙われエジプトにのがれ、エジプトからナザレに呼び出されること。
神を知らない異邦人の釈迦は、「明けの明星」の訪れを知らされました。
明けの明星を待ち望んだ賢者たちが、東方で見た赤い星に先導されてイスラエルに訪れ、ユダヤ人の王である幼子イエスをひれ伏して拝んだのです。
使徒ヨハネに黙示をお与えになったイエスは言われました。
「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたに証した。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」(黙示録22:16)
イエスは、永遠に生きる神の子らの御霊の教会について、また、神の御計画を証する黙示を、ヨハネと使徒たち、弟子たちに与えられました。
イエスは、ダビデの根、つまり、神のひとり子を生むユダヤ民族を造られたイスラエルの根源であるイスラエルの神の御子であり、また、ダビデの子として生まれた人の子であり、そして、罪人の世を終わらせ、新しい神の世を開かれる希望の「明けの明星」なのです。
神がイスラエルの預言者たちに告げておられ、イスラエルが待ち望んだメシアも、東方の異邦人の賢者たちが待ち望んだ明けの明星も、同じ「救い主」をさしていたのです。それは、天地万物を造られた神が世にお与えになった、神のひとり子「主キリスト」です。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。
そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりも闇を愛した。その行ないが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行ないが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
しかし、真理を行なう者は、光の方に来る。その行ないが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」(ヨハネ3:16-21)
神がアブラハムを選び、ユダヤ民族を造り、イスラエルに国を与えたのは、神のひとり子を世に与えるためでした。
アブラハムとの契約、イサクとの契約、ヤコブとの契約、モーセとの契約(ユダヤ民族との契約)、ダビデ王との契約(イスラエルのとこしえの王の契約)、すべての神の契約は、蛇の頭(悪魔)を踏み砕く女の子孫(女から生まれる神のひとり子)を与えるためでした。そして、蛇の頭を踏み砕くために神が遣わされた神のひとり子「人の子イエス」を救い主、主キリストと信じる人々に、永遠のいのちを与えるためでした。
神の契約は、神のひとり子イエスを世に与えることであり、イスラエルは、そのために存在しました。神のひとり子イエスは、イスラエルの王となられるお方です。
イスラエルが万軍の主から受け取り、イスラエルの神と結んだ契約は、イスラエルの王であられる主イエス・キリストに従順に仕える、という誓いだったのです。
神のひとり子イエスの御名を信じる者は、イスラエルが待ち望んだメシアを迎えた者たちです。彼らは、主イエス・キリストが救い主であることを信じています。
しかし、イエス・キリストの御名を拒み憎む者は、神が約束されイスラエルに遣わされたメシアを拒絶する者です。天から来られた唯一の救い主を拒む者に、永遠のいのちはありません。彼らは、イエス・キリスト以外の者をメシアだと聞けば、その者を救い主とするのです。神のひとり子を拒む者に、救いはありません。神の裁きを待つだけです。
救い主として来られた主キリスト・イエスは言われました。
「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見ず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
助け主、父(神)がわたし(神の御子イエス・キリスト)の名によってお遣わしになる聖霊(御霊)は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:16,17,26)
救い主イエス・キリストは、罪の赦しと魂の救いだけではなく、もうひとりの助け主「真理の御霊」をお与えになって、血肉のいのちによらず新しく生まれる「御霊の子」としてくださり、永遠に生きる神の子どもとして新しい創造をしてくださいます。
神の契約は、神のひとり子イエス・キリストによって悪魔を永遠に滅ぼして、神の御子イエス・キリストを信じ従う者を永遠に生きる神の子どもとされることで全うされるのです。