ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

救い主が来られた

 

 ベツレヘムでイエスがお生まれになったとき、御使いが羊飼いたちに現われ、告げました。「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」

 

 羊飼いたちは御使いに知らされたとおりのみどりごを見つけにベツレヘムへ行きました。そして、飼い葉おけに寝ておられるみどりごを捜し当てました。

 

 御使いは、聖書の教師や祭司たちにではなく、飼い葉おけに寝ておられる救い主を羊飼いたちに知らせ、ユダヤ民族に救いが訪れたことを知らせたのです。羊飼いと飼い葉おけは、密接な関係があるものです。

 

 住民登録のために、ダビデの系図であるヨセフは、許嫁の妻マリアとともにベツレヘムに入りました。町は、大勢の人でごった返していました。

 神は羊飼いたちに救い主イエスを知らせるために、ヨセフと臨月のマリアが泊まる宿の空室を満たし、家畜小屋でイエスが誕生するようにされました。

 

 家畜を飼う羊飼いの訪問は歓迎されるものではありません。卑しい職業とされていたのです。しかし、家畜小屋の中に入ることはできました。救い主は、飼い葉おけに寝ておられたのです。

 

 救い主としてお生まれになったイエスは、民を教え導く律法学者や、神の民が神に仕えるのを導く祭司のところに来られたのではありませんでした。メシアの出現を最もよく知り、民に教えるはずの教師や祭司は、古い律法に仕える人々です。

 

 救い主は厳格な律法家の中から現れたのではありません。律法の下にいて純真でへりくだる者の中から生まれたのです。また、主キリストは、神の民イスラエルに真理を教え、新しい律法を与えるために来られたのです。

 

 飼い葉おけは、家畜の糧を入れるものです。飼い葉おけに入った救い主は、羊にいのちを与える、いのちの糧なのです。神の羊たちに与えるいのちのパンなのです。神の羊たち(主キリストによって神の子どもとされる人々)に与える、いのちのパン(神のことば)なのです。

 

 救い主は、神から出て、天から遣わされた神のことばでした。神のことばが人(人の子イエス)となって来られたのです。

 

 救い主は、いのちの糧です。この方によらなければ、永遠のいのちはありません。飼い葉おけに寝ておられた救い主は、神の羊を養ういのちの糧(神のことば)であり、神の羊を導くまことの羊飼いなのです。

 

 主キリストは、神のことばを聞き、いのちのパン(イエスの肉)を食べ、キリストの贖いの血の契約を受けた者を、神の羊を飼う者とされます。

 

 ユダヤ人が待ち望んだ主キリストは、律法の完成者であり、永遠の祭司となられるお方です。イエスご自身が真理を教える唯一の律法家であり、まことの神を知る唯一の神と人との仲介者なのです。

 

 新しい契約を持って来られた主キリストには、古い律法の律法学者や祭司の務めは古いものとなりました。主キリストが必要とされる務めは、良い牧場で神の羊を養い、神の羊を飼う牧者なのです。

 

 救い主イエスがご自身の羊を飼い、主キリストが彼らを憩わせられるのです。救い主は、失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づけられます。(エゼキエル34:15,16)

 

 救い主は、弱った羊を強めず、病気のものを癒さず、傷ついたものを包まず、迷い出たものを連れ戻さず、失われたものを捜さず、かえって力ずくと暴力で羊たちを支配するものから羊を救い出し、彼らのえじきにさせません。(エゼキエル34:4,10)

 

 救い主は、自分を肥やしている肥えたものと強いものを滅ぼされます。そして、正しいさばきをもって、神の羊たちを養われるのです。(エゼキエル34:16)

 

 エルサレムには大祭司もいました。しかし、神の御使いは、祭司のところではなく、名もない羊飼いのところに、救い主の降誕を知らせに来たのです。神のことばは、レビ人ではない羊飼いに委ねられました。

 

 また、救い主イエスが宣教を開始されたとき、神は、レビ人ではないガリラヤ地方の人々をイエスの弟子として選び、キリストの羊を養う牧者として選ばれたのです。

 

 最初の契約は、レビ人のモーセと結ばれました。しかし、人として来られた神の御子イエスが律法を完成されて、新しい契約を与えられました。その新しい契約は、異邦人も住むガリラヤ地方に生まれた弟子たちと結ばれたのでした。

 

 最初の契約は、アブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫イスラエルと結ばれた契約でした。新しい契約は、救い主による契約です。創造主であり、裁き主でもあられる神のひとり子キリスト・イエスが与えられる、血の契約です。

 

 血肉によらず、神の子羊イエスの贖いの血を受け、ナザレのイエスを救い主キリストであると信じる者と結ばれる、霊的な契約です。天から遣わされた神のひとり子と結ぶ霊的な契約です。

 

 霊的な契約は、神の子羊イエスの贖いの血によって罪を赦し、義とされた者に、契約の保証として、キリストの御霊を与えます。御霊が、キリストのものであることを証してくださるのです。

 

 主キリストは、新しい契約、御霊の契約をもって来られた救い主イエスです。イエス・キリストは、罪を贖い、悪魔を踏み砕き、罪の世から救い出し、永遠のいのちを与え、新しい創造をして、新しい天と地に住まわせてくださる、救い主なのです。

 

 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)

 

 「御救いは主が万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカ2:31,32)