ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

処刑されたユダヤ人の王

 

 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東の方でその方の星を見たので、拝みにまいりました。」エルサレムに訪れた東方の賢者たちの言葉に、ヘロデ王は恐れ惑った。

 そこで、ユダヤの民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。(マタイ2:2-4)

 

 ローマ帝国の支配下にあったユダヤ人に、イスラエルの国はありません。ユダヤ属州だったのです。ヘロデ王は異邦人です。それで、ユダヤ人の祭司長や学者たちを集めて、問いただしました。

 ヘロデ王は、ユダヤ人に王が生まれることを知りませんでした。属州のユダヤに王は必要ありません。ユダヤは、ローマが支配しているのですから。しかも、その王は、ユダヤ人を救うキリストだと言うではありませんか。

 ユダヤに王が立ち、ローマの政治的権力に立ち向かい反乱を起こすことがあってはなりません。また、ユダヤに王が立てば、ヘロデ王の王位はどうなるのでしょう。ヘロデは、自分の王位を守らなければなりません。また、ユダヤが反乱を起こしたとなれば、カイザルから、どのようなお咎めを受けることになるでしょう。

 

 ベツレヘムでお生まれになることを知ったヘロデ王は、直ちに「ユダヤの王」なる幼子を殺す計画を立てます。東方の賢者たちが、ユダヤの王の居場所を知らせてくれるはずです。しかし、夢でヘロデのところに戻るなという戒めを受けた賢者たちは、別の道から自分の国に帰って行きました。

 

 賢者たちに騙されたことがわかったヘロデ王は、非常に怒って、人をやって、ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させたのでした。

 

 そのヘロデの息子ヘロデ・アンテパスが王の時、「ユダヤ人の王」と噂されるナザレのイエスの処刑を、ユダヤ人たちが要求していました。

 

 刑執行の権限を持つ総督ピラトは、イエスに何の罪も見出せませんでした。ピラトは、ユダヤ人の過越しの祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていました。ピラトはイエスを放免することを望みました。

 

 ピラトが裁判の席に着いていたとき、彼の妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人には関わり合わないでください。ゆうべ、私は夢で、あの人のことで苦しいめに会いましたから。」

 

 しかし、祭司長、長老たちは、バラバのほうを願うよう、そして、イエスを死刑にするよう、群衆を説きつけた。

 

 総督ピラトは、ユダヤ人が集まったとき、「あなたがたは、だれを釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか。あなたがたは、ふたりのうちどちらを釈放してほしいのか。」

 

 ユダヤ人たちは言った。「バラバだ。」

 

 ピラトは彼らに言った。「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」ユダヤ人たちは一斉に言った。「十字架につけろ。」

 ピラトは言った。「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。

 

 そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」

 

 すると、民衆(ユダヤ人)はみな答えて行った。「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」(マタイ27:15-25)

 

 ユダヤ人たちは、イエスをキリストとは認めませんでした。認めないどころか、処刑することを願ったのです。ユダヤ人たちの願いは受け入れられました。そして、ユダヤ人たち自ら、イエスの血の責任は自分たちにあることを宣言しました。

 

 ヘロデは、自分の兵士たちと一緒にイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、派手な色の上着を着せて、ピラトに送り返した。

 

 総督の兵士たちは、イエスの着物を脱がせて、紫色の上着を着せた。そして、いばらで編んだ冠を頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、「ユダヤ人の王様。ばんざい。」とからかって言った。彼らは、イエスの顔を平手で打ち、イエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたき、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけました。

 

 互いに敵対していたヘロデとピラトは、この日、仲良くなった、とあります。(ルカ23:12)彼らは、自分たちの手ではなく、ユダヤ人たちの手によって、「ユダヤ人の王」ユダヤ人を救うキリストを処刑することとなったのです。

 

 ピラトは、イエスを処刑することでユダヤ人の暴動を鎮めました。また、ピラトの「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」との問いに、祭司長たち自らが「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」と答え、ローマ帝国の威厳を保つことができたのです。ローマ帝国にとって、良い総督でいられました。

 

 ヘロデは、ユダヤ人たちから憎まれ嫌われているイエスに、何の脅威も感じません。ユダヤ人たちは、イエスが王になることを望んでいないのです。父ヘロデ王が、「ユダヤ人の王」に恐怖を感じ、幼子イエスの命を狙って殺意に燃えたのとは異なりました。ヘロデ王の王位が脅かされることはありません。

 

 ユダヤ人たちは、ユダヤ人の王よりも、ローマ帝国の皇帝カイザルを選んだのです。イスラエルの復興よりも、ローマ帝国に隷属することを選んだのです。

 

 奴隷の家エジプトから連れ出したモーセに、ユダヤの民は、荒野の生活を嘆き、エジプトに帰ろうとしました。エジプトではただで魚を食べていたことを思い出して、大声で泣いて言いました。「エジプトにはきゅうりもすいかもニラや玉ねぎやニンニクもあった。だが今や、私たちののどは干からび、何もない。」(民数記11:4-6,14:2-4)

 

 奴隷の苦しみを忘れ、父祖アブラハムに約束されたカナンの地に向かう道中で、奴隷の家に帰ろうとしました。神が民の叫びとうめきを聞いて、奴隷の家エジプトから解放してくださったのに、エジプトのほうが良かった、というのです。神がユダヤ人たちに用意されたユダヤ人の国よりも、ユダヤ人を苦しめたエジプトを慕ったのです。

 

 ローマ帝国の支配下でうめき、イスラエルが贖われ、エルサレムが慰められることを望んでいたユダヤ人たちが、「ユダヤ人の王」を退けて、ローマ帝国の皇帝カイザルの名を呼び、ローマ帝国の支配下に留まることを求めるのでした。

 

 ピラトはイエスの罪状書きを書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いてあった。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いて下さい。」と申し出ると、ピラトは、「私の書いたことは私が書いたのだ。」と答えた。(ヨハネ19:21,22)

 

 ふたり仲良くなった総督ピラトもヘロデ王も、「ユダヤ人の王」をユダヤ民族の国王として捉えていました。国のないユダヤ民族に、国王は立ちません。イエスがユダヤ人の王であっても、彼らには問題ありません。それは、実現しないからです。

 

 「ユダヤ人の王」が処刑されることは、ピラトにとっても、ヘロデにとっても、都合の良いことです。ユダヤ人自ら、「ユダヤ人の王」と掲げられたイエスを処刑するのです。それは、ユダヤ民族に国が与えられないことを意味するからです。神の御前でユダヤ人は、そう望んだのです。

 

 ユダヤ人たちは、外国人に隷属する民のままでよいのです。彼らを国の無い属州の民として、ローマ帝国に隷属する状態に留めることができます。ユダヤ人は、ユダヤ人の王を望んでいないのだから。こうして、ヘロデ王もピラトも、カイザルに忠誠を尽くすことができたのです。

 

 東方の賢者たちが待ち望んだ「ユダヤ人の王」は、ユダヤ人から出る王でした。ユダヤの国王ではなくて、ユダヤ人から生まれる、悟りの世界を治める王を待ち望んでいたのです。彼は、その世界に導いてくださるお方です。そして、星に導かれた幼子イエスが、そのお方であることを知って、拝んだのでした。

 

 ユダヤ人たちとローマによって処刑された「ユダヤ人の王」イエスは、死から甦り、復活されました。ユダヤ人から生まれた主キリストです。死をくぐって、永遠に生きるイスラエルの王となられました。

 

 終わりの日にイスラエルの王は、悪魔の勢力を滅ぼし悪魔を縛って、ユダヤ民族とキリストにつく異邦人を救うために、天から来られます。