ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の和解の恵み

 

 異邦人の使徒であるパウロが、異邦人に向かって語っています。

 「ですから、思い出して下さい。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。

 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。

 敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。

 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。

 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。

 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:11-22)

 

 神との契約を持つ神の民ユダヤ民族は、律法と戒めによって、異邦人と区別されていました。彼らは、食物規定に従い、安息日を守り、律法を覚え掟を守ることを常に意識します。生まれた時から死ぬまで、生涯続く彼らの生き方なのです。

 

 ユダヤ民族は、アブラハム、イサク、ヤコブに与えられた契約を相続した神の民です。神は仰せられます。「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」

 

 神の律法の下にいる民は、律法を守るためにうめきます。人間の肉なる性質は、律法を守ることができないのです。律法ゆえに苦しみます。律法がなければ、違反もありません。律法と違反に縛られ、罪を意識します。自分のうちにある、逆らう思いや欲望との戦いです。

 

 一方、律法の下にいない異邦人は、罪に対して、自由に振舞います。国家の刑法に違反する罪以外は、罪ではないとばかりに、罪に無頓着です。自分が神の御前で罪人であるという事実を知ることがありません。

 

 ユダヤ民族と他の民族とは、法が異なります。ユダヤ民族の法は、神の律法であり、天に属しています。その他の民族、異邦人の法は、肉から出た人間の法であり、地に属しています。キリストが現れるまでの世界は、このようでした。

 

 ユダヤ民族は、神との契約のしるし、割礼を持つ民です。異邦人は、無割礼の人々と呼ばれ、イスラエル(神の選びの民)から除外された者でした。神の契約のない異邦人は、契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

 

 異邦人は、自分たちを造られた創造主である天の神から遠く離れ、神の救いの約束のない者でした。

 

 ユダヤ人は、ユダヤ民族に遣わされた神の子羊イエスの贖いの血によって、律法の違反による罪が赦されました。ユダヤ人の間を歩まれた「ユダヤ人の王」が、ご自分の民のために、罪の生贄となられたのです。

 

 ユダヤ民族は、神が造られた被造物の初穂とされています。初穂が、神の子羊イエスの血によって罪が赦されて聖なるものとされました。初穂を聖いと宣言される主は、被造物全体を聖とされるのでした。初穂が聖ければすべては聖いのです。

 

 以前は神から遠く離れていた異邦人も、主キリストの血によって神に近い者とされたのです。キリストの福音は、罪に自由に振舞っていた異邦人に罪を教え、罪の報酬の「死」からの解放を告げました。

 

 異邦人も主イエスを信じ、主キリストの御名の中にあることによって、心に割礼を受ける者とされました。肉においては異邦人ですが、キリストにあって、ユダヤ民族に約束された祝福のうちに入るのです。

 

 肉の割礼と律法によって隔てられていた、割礼の民ユダヤ民族と無割礼の民異邦人とが、罪の贖いの子羊イエスの血によって、ともに、さばきを過ぎ越される、新しい神の創造とされるのです。

 

 神は、神の子羊イエスの肉を裂くことで、ユダヤ人と異邦人との隔ての壁を打ちこわし、ユダヤ人も異邦人もなく、二つのものを神のひとり子イエス・キリストにおいて、新しいひとりの人に造り上げてくださいます。一つの国民(主キリストが天から来られイスラエルの王として治められる国の国民)としてくださるのです。

 

 神の国は、平和です。イエス・キリストは、十字架の贖いの血によって、両者(ユダヤ人と異邦人)を一つのものとして和解させ、また、神から遠くに離れていた者をも、神と和解させるのです。そして、両者ともに聖霊を授け、一つの御霊において、父なる神のみもとに近づくことができる者としてくださるのです。

 

 神の御子イエス・キリストによって、キリストのうちにいる異邦人は、ユダヤ民族と同じ国民であり、神の家族です。

 

 神の家族は、使徒と預言者という土台の上に建てられています。使徒たちの信仰と働きと預言者たちの預言の成就によって建てられるのです。そして、その礎石は、キリスト・イエスご自身です。この礎石は、かつて、家を建てる者(祭司たち)に捨てられた石です。しかし、神は、この主イエス・キリストを礎石とし、このキリストのことばの上に建て上げ、御霊によって、建物全体を成長させ、主にある聖なる宮とされるのです。

 

 ユダヤ人も異邦人もありません。このキリストにあって、両者ともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

 神の御子イエス・キリストによって、異邦人も神を知る者とされました。神の用意された和解によって義なる者として数えられ、心に御霊による割礼を授けられて、神の子としての新しい創造を受けることができるのです。