「御救いはあなたが万民に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカ2:31,32)
「真理」とは何か?
古代から探求されて来た、つかみどころのない謎です。「真理」という言葉を知り、普遍で絶対的なものの正体を尋ねますが、誰も見出せないのです。
人々は、真理と思われるものを掴み、探究しますが、誰も明らかにすることができません。それで、時代とともに、変化し続けるのです。
世には、絶対的なものは存在しません。生まれる星もあれば、消えてゆく星もあります。悠久と思われる山や川さえも形を変えます。岩や石も風化します。人も生まれては死んで行きます。何も不変のものはないのです。
国が変われば、文化も代わり、法も代わり、常識も変わります。すべての人に当てはまるものはあるのでしょうか。どの民族であっても、男であっても女であっても、どの時代に生きようと、変わらない、絶対的なものは存在するのでしょうか。
人の権威は移り変わります。民族や国の栄も時代とともに変化します。繁栄と衰退は、オーロラのようになびき、やがて見えなくなります。
地上では、真理を追究しても出会う事がありません。人の目に見える天にも地にも、「絶対」は存在しないのです。それが、真理です。それゆえ、人々が地上で真理を見出せなかったことは、正しかったのです。
時間も空間も流れ去って行きます。今有ると思っていたものが消え、無かったものが現われます。人の存在もまた、その流れの中で、肉であらわれ、塵となってゆくのです。
最初の人アダムについて知る人はいません。言い伝えの人なのです。すでに世を去った人です。
しかし、人の探求は続きます。それは、人のうちに、「永遠を思う想い」が与えられているからです。与えられているとは、与えるものがいるということでしょうか。人は、自分の始まりを知らず終わりも知らない存在です。自分自身のことを知らないのです。自分のことがわからない人々が集まって、真理を探っているのです。
「永遠」とは何かを考えます。時間の無い事。時間が無い状態を思い描こうとしても、実感がわきません。地を捜しても、永遠も真理も見つけられないのです。
宇宙は漆黒の闇です。その闇の中に、人が見ている天も地もあるのです。天には太陽や月や星々があります。大空には雲が現われます。地には、海があり、陸には山や川があります。どこの国に生まれても、人々はこれらの存在を知っています。人々は、地を住まいとして生きているからです。
人が知る宇宙のほかに何か存在しているのでしょうか。闇の外に何かあるのでしょうか。
闇の外に、絶対なるものが存在していました。人には知られていません。月ではありません。火星でもありません。宇宙の外にありました。不変のもの、絶対なるものは、宇宙の外にあったのです。
宇宙の外、正確に言えば、宇宙とは別の次元にある、永遠の光です。暗いところが一つもない全き光です。無限の光です。
太陽の光には、影ができます。しかし、無限の光には、影が存在しないのです。この光は、宇宙が始まる前から存在していました。永遠の昔から存在していたのです。時間や空間の束縛のない、永遠のいのちです。それは、いのちの根源です。他の何者によっても損なわれることのない、絶対者です。永遠に変わることのないお方です。不変のいのちです。普遍の真理です。それは、全き聖であり、全き義であり、全き愛に満ち満ちたいのちです。
人が聞いた事もなく、見た事もなく、想像すらしなかった、完全なるいのちなのです。このいのちを「真理」と言います。
宇宙を捜してもどこにもおられなかった絶対者のひとり子が、人の姿で、地上に降りて来られました。これこそが、宇宙全体が震えおののく絶対者の遣わされたキリストです。彼のうちに、真理がありました。
「絶対」の存在しない世が、天にも地にも権威を持たれる「絶対者」キリストを迎えました。人は、初めて、キリストを通して、神の栄光をはっきりと見たのです。
「光が、闇の中から輝き出よ。」「光よ。あれ。」と仰せられた神(絶対者)は、人々の心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。
人々は、真理を、地に探し求めました。しかし、真理は、人が見ることのできない、宇宙の外にあったのです。真理の光のない暗闇の世に、真理の光が輝きました。永遠のいのちの輝きです。死のない、いのちの輝きです。神のひとり子(主イエス・キリスト)の栄光です。
主キリストが来られた後の世は、真理の光が輝いています。主イエス・キリストを通して神に近づくことができます。絶対者は、世に、主イエス・キリストの名を与えられました。主イエス・キリストが真理であり、主イエス・キリストの名が真理と繋がる尊き御名なのです。
キリストが来られる以前の世は、どんなに暗かったことでしょう。しかし、今は、真理の光に照らされています。求めれば、その光のうちに入ることができるのです。
「わたしはあなた(預言者たちのことばとキリストのことば)を立てて、異邦人の光とした。あなたが地の果てまでも救いをもたらすためである。」
異邦人たちは、それを聞いて喜び、主のみことばを賛美した。そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰に入った。(使徒13:47,48)
絶対者なる神が世に与えてくださった主キリストが、真理の光であり、永遠のいのちに続く道なのです。