ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

新しい人は生かすいのち

 

 「聖書に『最初の人アダムは生きた者となった。』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。」(コリントⅠ 15:45)

 

 最初のアダムは、塵から造られました。

 「神である主は、土地の塵で人を形造り、その鼻に息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」と創世記2:7に書かれています。

 

 塵から造られた造物である「人」に、神の息が吹き込まれて、人は、いのちを宿す生きた者となったのです。人は、いのちある者として造られたのではありません。造られた後で、神の息が吹き込まれて生きる者となったのです。最初はいのちが無かったのです。いのちは後から吹き入れられました。

 

 神の息が吹き込まれて、はじめて、ものを見、聞き、動き、感じる、いのちある者となったのです。

 

 最初のアダムは、神の息によって、生きた者となりました。土で造られた者であり、血肉のものでした。神の息が取り去られると、いのちの無い造物に戻ります。人は、神の息によって生かされているのです。

 

 神はいのちの根源であり、神の息はいのちです。いのちを与えるのも、いのちを取り去るのも、神の御心次第です。神の許しがなければ、生まれる事も、死ぬ事もありません。いのちの実権は、御自身の息を吹き込まれた神にあるのです。

 

 神は、血がいのちである、と言われます。血肉のからだを行き巡る血液にいのちがある、と言われるのです。

 

 神の息が吹き込まれて生きた者となった人は、いのちの源を知らず、いのちの根源である神のことばから自ら外れました。神のことばは、「光よ。あれ。」と仰せられれば、光が現われる、生み出す力のある創造の力です。

 

 人のいのちは、創造主のことばとともにあったのです。しかし、神のことばから外れた最初の人アダムは、深く根を張る木の幹から切り取られた枝のようになりました。しばらくの間は、いのちがあるかのように生きていますが、やがて、枯れてしまいます。木から離れて枯れた枝は、腐敗して、土となります。

 

 木から切り取られた枝のような人が、アダムから生み出されていきます。最初の人アダムが、木から切り離され枯れて行く枝ならば、その枝から生まれる者たちもまた、根のない枯れ枝です。

 

 アダムには、すべての被造物を神の御心に従って、支配する任務が与えられています。神のことばから離れた人は、霊の目が塞がれ、霊の耳が塞がれ、霊の感覚が塞がれて、神の御心をとらえる事ができません。

 

 神は、創造主です。木から切り取られた枝を造り変え、根の張った木に繋ぎ合わせて根から養分を与え、実を結ぶ枝にすることがおできになります。枝にいのちを与えることができるのが、いのちの根源である創造主です。

 

 最初の人アダムの違反は、アダムを罪に定めました。罪の報酬は死です。枯れ枝は死んだも同然のものです。アダムの違反により、死が支配するようになりました。ひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされました。

 

 神は、枯れ枝にいのちを与えるために、地上に、新しい根を造られました。新しい創造をされるのです。枯れ枝を生かすための根っこです。

 

 神は、神を畏れる正しい人アブラハムと契約を結ばれました。アブラハムは神の声を聞き、神の栄光を見ました。神の御使いを迎えました。そして、信じました。神は、アブラハムの信仰を義とされたのです。神を信じたアブラハムは、義人です。神の御心に従い、御声に聞き従う者です。

 

 神は、アブラハムの子イサクと契約を結び、イサクの子ヤコブと契約を結び、ヤコブの十二人の息子と契約を結ばれました。神は、ヤコブの子ら(ユダヤ民族)に律法を与えて、神の戒めを守って神に仕える神の祭司の民とされたのです。

 

 律法が与えられるまでの時期にも罪は世にありました。律法によって、罪が罪と認められました。神の律法ゆえに、ユダヤ人は罪を知らされて苦しみました。罪を犯す違反に苦悩します。

 

 ユダヤ民族は、神の律法を代々に受け継ぎ、神の民としての務めを果たして来ました。彼らには、神のことばがありました。預言者たちが起こされました。彼らは、神の祭司として果たさなければならない役目を担っていました。神の約束がありました。イスラエルは、救世主を生む民だったのです。

 

 神が地上に造られたいのちの木の根(イスラエル)は、長い年月をかけて育てられました。多くの失敗もしましたが、神の怒りと呪いを受けつつ、神に立ち返り、赦しと祝福の道に辿り着きました。

 

 神の時が来ました。神が造られたダビデの根から若枝が芽生えたのです。この若枝は大きく育って、いのちの木の幹となりました。この若枝こそが、神がイスラエルに約束しておられた、メシア、主キリストでした。

 

 神の子羊イエスは、この木の根っこにご自分の血潮を流されました。血はいのちです。神のひとり子イエスは、イスラエルに、ご自分のいのちを与えられました。

 

 アダムは、完全な人として造られていました。神が非常に良かった、と満足される者でした。神が完全な人として造られたアダムは、ふたりいます。ひとりは、神の息を吹き込まれた最初のアダムです。もうひとりは、「人の子」として天から遣わされた神のひとり子イエス、最期のアダムです。

 

 最初の人アダムは、地から出て、土で造られた者です。神の息によって生きた者となりました。

 

 最後のアダムは、天から出た者です。神の子羊イエスは、女から生まれました。彼は、蛇の頭(悪魔)を踏み砕く、主キリストです。子羊イエスは、ご自分の血(いのち)を注ぎ、生かす御霊となりました。最後のアダムは、生かす御霊となられたのでした。

 

 ひとりの人(最初のアダム)の違反によって死が支配し、多くの人が死にました。神の恵みは、ひとりの人イエス・キリストの贖いの血により、多くの違反が義と認められ、ひとりの人イエス・キリストによりいのちが与えられ、いのちにあって支配するのです。

 

 ひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。

 

 イエス・キリストを信じる者は、恵みと義の賜物(御霊)とを受け、御霊によって新しく生まれ変わるのです。

 

 主キリストは、死から甦られました。悪魔の支配と死に勝利したキリストは、死に支配された罪人に悔い改めの霊を注ぎ、肉に死んで、御霊によって生きる新しい人を創造されます。死から甦られたキリストのいのちは、生かすいのち、生かす御霊です。

 

 主キリストは、イスラエルの根に堅く立つ、いのちを与えるいのちの木です。枯れ枝もイエス・キリストの木に接がれれば、生きた枝となります。イエス・キリストに繋がれば、生きるのです。イエスの血は、生かすいのちだからです。キリストの御霊は、永遠のいのちなのです。

 

 最初のアダムは、神の息によって生きた者となりました。

 最後のアダムは、生かす御霊となり、御霊によって永遠に生かす者となりました。

 

 神からキリストの御霊をいただいている人もまた、生かすいのちを持っているのです。永遠のいのちのことばを持っているのです。イエスのことばを持っているのです。

 

 イエスのことば、キリストの福音は、信じる者を生かすだけではありません。信じる人々を通して、いのちのことばは伝えられます。こうして、キリストの御霊は、多くの人々を生かします。キリストの御霊を持つ人は、人々を生かす御霊を持っているのです。