ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストをかしらとする新しい人

 

 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ1:23)

 

 「神は、私たちを暗闇の圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたものです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

 また、御子はそのからだである教会のかしらです。」(コロサイ1:13-17)

 

 神の御子イエス・キリストの血によって贖われた者の集合体である教会は、キリストをかしらとする、キリストのからだです。

 

 十字架につけられたキリストの死は、神の契約の民ユダヤ民族と、神との契約の外にいる異邦人との隔ての壁を打ち砕きました。

 

 もはや、ユダヤ人も異邦人もありません。割礼の民と無割礼の民との区別はありません。主キリストの血(いのち)で贖われた者は、キリストの御霊によって、御霊の割礼、心の割礼を受けて、新しいひとりの人となるのです。

 

 キリストは、死から復活されました。かしらなるキリストが復活されたゆえに、キリストのからだは死から甦るのです。神の教会は、復活のキリストをかしらとする新しいひとりの人に創造されます。

 

 神の御子、神の子羊イエスは、十字架で贖いの血を流し、律法の下にいる者も律法の下にいない者をも、キリストの血によって罪が贖われ、罪が赦された義なる者とされました。

 

 キリストが父にお願いして遣わされたもうひとりの助け主御霊は、キリストの血によって義とされた人々のうちにあって、信仰を育てます。イエスのことばを思い起こさせ、キリストを愛する者、神に受け入れられる者に造り変えてくださるのです。

 

 キリストを信じても、人はだれも自分の力で神の子に変わることはできません。神に気に入られようとしても、神を知らなければ、何が神に喜ばれる事であるのかということすら知ることができません。神のことを思って行なったとしても、それは、ただの自己満足となるだけです。

 

 御霊は、キリストの思いを受ける神の霊です。神ご自身なのです。神の御子イエスは御父に従順に従われました。イエスは、ご自分で御父が喜ばれるであろうことを選択して歩まれたのではありません。イエスは御霊とともに歩まれました。イエスは、神の御子であり、ご自身も神でありながら、父なる神に聞き従われたのです。ご自分で判断されることはありません。御父に命じられたことだけを語り、行なわれたのです。

 

 神の御子イエスは、御父の栄光を望んでおられました。ご自分の栄光ではありません。ただ、御父の望まれることを願い、御父に聞き、御父のことばに従われたのです。御父の御計画が完全であることを知っておられたからです。

 

 御子イエスは、御父に、十字架の死まで従い通されました。御父は、御子イエスにあって、罪の贖いのわざを完成されました。十字架のイエスが神が遣わされた神の御子キリストであることを信じる者の罪を赦し、その信仰によって、その人を義とするためです。

 

 神が遣わされた御霊は、御子キリストの血で義とされた者を、いよいよ神の子として新しく創造されます。

 

 肉による人の子の時代は死によって、終わりと遂げました。御霊は、死から甦られた復活のからだの主キリストのからだを建て上げられます。肉の律法ではなく、心に書きつける御霊の律法を義の実を結ぶ(贖いの子羊の血を受ける)人の心に与えられます。

 

 復活の主キリストをかしらとする、新しいイスラエル、新しいひとつの国民を造られます。彼らは、新しいイスラエルの国民、キリストのからだです。

 

 肉の体を生かしているのは血です。血はいのちなのです。血の行き届いていないからだの部分は、機能を失い壊死します。血がからだを生かしているのです。

 

 主キリストの復活により創造された新しい霊のからだのいのちは御霊です。御霊が行き届いていない部分は、かしらなるキリストの指令を受けとることができません。キリストの指令を受けない者は、キリストのからだとはいえません。

 

 キリストの指令は、御父の指令なのです。御父の指令に聞き従わない者は、神の御国の住民になることができません。御霊が通わないからだは、いのちのないからだです。いのちのないからだには、「死」があるのです。

 

 天の御国に死は入りません。天の御国は、生きた者の住まいです。永遠に生きる者たちの住まいなのです。

 

 天の御国に入るキリストの体は、御霊によって新しく生まれ、御霊によって導かれる神の子どもの集合体です。神のひとり子イエスを長子とする神の子の集合体です。神の御子キリストとともに天の御国を相続する者たちです。

 

 御霊が創造される「新しいひとりの人」は、復活のキリストをかしらとして御霊によって生きるキリストのからだなのです。

 

 地上の教会がそのまま、復活のキリストのからだではありません。

 地上の教会の中には、良い麦と毒麦がともに育っています。イエスご自身がそう言っておられるのです。天の御国を知り、救いの喜びを味わっています。

 

 復活のキリストのからだは、御霊によって新しく生まれ、御霊によって創造される、御霊の教会であり、天の御国に入る新しいイスラエルなのです。