ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

蛇に噛みつかれたかかと

 

 エバを惑わした蛇に、主である神は仰せられました。

 「おまえが、こんなことをしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりも呪われる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。

 わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとに噛みつく。」(創世記3:14,15)

 

 神は、蛇と女との間に、敵意を置くと言われました。エバが蛇の言葉を受け入れ、蛇の思いと通じて蛇に心を許したのですが、神は、その好意を敵意に代えられました。人と蛇とを一つ心にされませんでした。はっきりと分離されたのです。

 

 神は、蛇の子孫と女の子孫との間に、敵意を置かれました。神が両者の間に置かれた敵意は、代々に至るのです。子や孫、子孫にまで続く敵意です。

 

 その終わりは、女の子孫(ひとりの人の子、キリスト)が、蛇の頭(蛇を支配する悪魔)を踏み砕きます。そして、蛇(悪魔の子ら)はキリストのからだのかかとに噛みつくのです。

 

 イスラエル(ユダヤ民族)の父ヤコブの名は、訳すと、「かかと」という意味の名前です。蛇が噛みつくのは、かしらなるキリストのからだのかかとです。

 

 かしらである主キリストが蛇に噛まれることはありません。十字架につけられて死にましたが、蛇に噛まれたのではありません。蛇に動かされた祭司たちや民衆によって、十字架につけられましたが、それは、御父に従ってのことでした。イエスは、罪の贖いの神の子羊なのです。最後まで御父への信仰を持ち続けていました。神の子羊イエスは、信仰を失いませんでした。死に至るまで、父なる神に従順でした。

 

 主キリストを生んだイスラエルは、自らの手で、イスラエルの救世主、イスラエルの神が遣わされたメシア、ユダヤ人の王を十字架につけたのです。

 

 キリストのからだのかかと(ユダヤ民族)は蛇に噛まれて、神の御心に反逆する行ないをしたのです。イスラエルは、イスラエルの神に背信の罪を犯しました。

 

 エバが、蛇に騙され、神の命令を退けて蛇の言葉に従ったように、蛇に噛まれたユダヤ民族は、神が遣わされた主キリストを信じることなく、蛇の思いを受けてキリストを殺しました。

 

 かかと(ユダヤ民族)は、蛇に噛みつかれたのです。蛇に噛みつかれたユダヤ人たちは、神に反逆しました。そして、神の祝福を失いました。

 

 肉を裂かれ、十字架につけられたナザレのイエスは、こう叫びました。

 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

 

 蛇に噛まれて正気ではないユダヤ人を憐れみ、ユダヤ人たちが罪に問われないように、と御父に執り成されたのでした。ご自分をののしり、殺意に燃えて十字架につけたご自分の民の赦しを請われたのでした。

 

 聖書には、イエスのキリストとして歩まれた公的生涯を証する四つの福音書があります。イエス・キリストの言行録です。記者のマタイ、マルコ、ヨハネはユダヤ人です。しかし、使徒の働きの記述もしたルカはシリア人のようです。

 

 十字架上で、ユダヤ人たちのために執り成されたイエスのことばが、ユダヤ人記者の福音書にはなく、異邦人のルカによって、書き残されていることに、神のはからいを感じます。異邦人たちは、ユダヤ人の罪が赦されていることの証人であることが望ましいのです。

 

 神のひとり子イエスが、ユダヤ人の罪の身代わりとなって死に、墓に入りました。そして、神の子羊「女の子孫である人の子イエス」は死に勝利をして、三日目に墓から甦られ、死から復活されました。

 

 女の子孫(ナザレのイエス)は、蛇の頭(悪魔の支配)を踏み砕き、罪と闇と死の支配を滅ぼされました。

 

 神が天から遣わされたダビデの子、ナザレのイエスは、復活のキリストとして永遠に生きる主キリスト、ユダヤ民族が待ち望んだメシアです。

 

 復活の主キリストがかしらとなって、永遠に生きるキリストのからだを、御霊によって建て上げられます。

 

 かかと(ユダヤ民族)も、復活のユダヤ民族として新しく生まれなければなりません。血肉のからだのかかとではなく、復活する霊のからだのかかとです。

 

 ユダヤ教徒の中から、ナザレのイエスを主キリストであると告白する者たちが起こされます。すると、ユダヤ人たちから激しく攻撃を受けます。かかと(ユダヤ民族)は蛇に噛まれているからです。

 

 イエスの弟子となったパウロもまた、イエスに出会うまでは厳格なユダヤ教徒で、イエスを主キリストであると告白するイエスの弟子たちユダヤ人を殺意を持って迫害していたのです。

 

 ユダヤ教徒の中に、蛇の殺意が置かれています。主キリストの血の贖いによる新しいイスラエル、つまり、血肉ではなく、死に勝利するキリストの血と御霊によって新しく創造される主キリストのからだ(新生したイスラエル)のかかと(新しく生まれる御霊にあるユダヤ人)は、蛇の殺意ある攻撃を受けているのです。

 

 それは、知恵のないクリスチャンからの攻撃であり、ユダヤ教徒からの攻撃です。ユダヤ人たちが御霊によって新しく生まれるためには、血肉の死が要求されます。同胞のユダヤ人たちから迫害されます。新生は、同胞のユダヤ人には歓迎されない事ですが、かしらである主キリストは、彼らに永遠のいのちをお与えになります。

 

 復活のキリストのからだのかかととなるはずのユダヤ民族が、主キリストへの信仰を持つことを、頭を踏み砕かれた蛇が必死に阻止しています。

 

 ユダヤ人たちが神の遣わされた主キリストを拒んでいるうちは、キリストのからだは、復活の霊の部分と朽ちる血肉の部分が混在しており、復活できません。死を抱えたままです。

 

 かかと(ユダヤ民族)が主イエス・キリストにへりくだるとき、キリストのからだは、イスラエルの根(神と契約を結ぶ聖書のことばとそれを信じる神の民ユダヤ民族)に堅く立ち、かしらなる主キリストをお迎えするのです。

 

 蛇の頭(悪魔の支配)は、すでに、復活の主キリストにとって踏み砕かれています。主キリストを信じ、御霊を持つ者たちを、死に閉じ込めておくことはできないのです。

 

 蛇に噛みつかれたかかと(ユダヤ民族)が、主キリストの贖いの血潮を受けて、背信の罪を悔い改めて神に立ち返るならば、キリストのからだは、かしらである復活の主キリスト・イエス(イスラエルの王)を、地上にお迎えすることができるのです。