ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

第二のアダム

 

 人の子として、天から遣わされた神のひとり子イエス。人の罪を贖う者として、世に来られました。

 

 神の御子イエスは、父なる神とともに人を創造された創造主でもあります。御父は御子とともに、最初の人アダムを造られたのです。人は、神の作品でした。非常に良いと神が満足された被造物でした。

 

 神は、ひとりだった人に助け手を与えるために彼のあばら骨から、もうひとりの人を造られました。最初の人は、自分を男、男からとられた人を女と名付けました。そして、自分をアダム(土から取られた人)、女をエバ(生命を生み出す人)と呼んだのでした。あとから造られたエバは、もともとアダムの一部分だったのです。

 

 聖書で第一のアダムというのは、エバと一体である最初の人のことを言います。エバがまだ、アダムのあばら骨であった、最初の人のことです。エバが善悪を知る知識の木の実を食べた時、アダムのあばら骨は死にました。あばら骨が壊死したくらいでは、人は死にません。しかし、アダムが食べたその時、アダムは死んだのです。

 

 神のことばを間接的に知る無知なエバは、蛇の言葉にそそのかされて、神のことばに背きました。

 エバのことを楽しむアダムは、エバの声に聞き従い、神のことばよりも妻の声を選んだのでした。

 

 アダムは、神からすべての被造物を支配する管理者として命じられており、エデンの園を管理する者でした。しかし、最も近しい妻を正しく管理していないばかりか、妻の声に聞き従って道を外し、主人である神に不服従の罪を犯したのでした。

 

 主人である神は、責任者でもあります。管理者が罪を犯して、闇と死が支配する滅びに落ちて行きました。神が立てられた正しい支配者(アダム)を失った被造物は、神に敵対する悪魔に荒らされ放題です。

 

 被造物全体がうめいています。責任者は、創造主である神です。この被造物のうめきに対して、責任者である神が責任を取られました。

 

 神のひとり子を、罪の生贄の子羊として世に送り、神の子羊の贖いの血によって、罪の呪いを打ち砕くということです。罪の呪いとは、死と滅びです。アダムは、死と滅びに閉じ込められてしまったのです。

 

 神である主は、御自身のひとり子に肉のからだを造られて、「人の子」として、地上に遣わされました。アダムを造られた神の御子みずからが、神の被造物となって、世に来られたのです。

 

 神のひとり子が地上に遣わされたのは、アダムの罪を贖うためです。アダムの罪を贖うとは、アダムの犯した罪の身代わりとなって、神の御子みずからが懲罰を受けて、アダムの罪を帳消しにすることです。帳消しにされた罪は、もはや罪に問われることがありません。アダムは、神の御子の贖いの血と死によって、罪が赦された者とされるのです。

 

 神のひとり子は、ナザレのイエスとして世に来られ、イスラエルを歩まれました。世は、暗闇の中をさまよっていました。霊に死んで、思いが暗くなっているユダヤ人たちに、真理の光を照らされたのです。

 

 イエスが語ることばは、父なる神のことばであり、いのちのことばです。ユダヤ人が足のともしびとしていた神のことばが、イエスによって、生きて働くいのちのことばとして届けられました。彼らは、イエスにいのちを見ました。神の栄光を見ました。

 

 神の子羊イエスは、十字架で屠られ、神の御子、子羊イエスの死によって死の呪いを打ち砕き、イエス・キリストの贖いの血によって、アダムの罪を赦されました。

 

 天地万物を創造された創造主みずからが、うめく被造物に対して、責任を取られたのです。

 

 神の民イスラエルは、神が約束されたメシアを待ち望んでいました。イスラエルを贖う主キリストを待ち望んでいたのです。イスラエルは、イスラエルの神に逆らい、呪いの道を歩んでいました。彼らは、神の祝福の道に帰りたいのです。彼らの罪を贖い、呪いの道から解放してくれる主キリストを待ち望んでいたのです。

 

 被造物全体がともにうめきともに産みの苦しみをしています。被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいます。世は、悪魔に支配されています。死と滅びが支配しているのです。神の子どもが救ってくれるのを、被造物たちは知っているようです。神の子どもたちには、いのちがあります。

 

 神の子どもたちが現われたならば、被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。(ローマ8:21)

 

 ユダヤ人も異邦人も、心の中でうめきながら、神の子どもとしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいるのです。(ローマ8:23)

 

 罪の贖いのわざを完了された神の子羊イエスは、死に勝利して、死から甦り、復活のからだで復活されました。永遠に生きる第二のアダムとなられたのです。

 

 イエスのことばは、異邦人を照らす啓示の光です。暗闇の中で死を恐れる異邦人の希望の光です。

 

 第一のアダムは、土から造られた者で、地に属します。そして、罪びととして死に、滅んでいきます。彼らの向かうのは、永遠の火の池です。

 第二のアダムは、神の子羊イエスの血で罪が贖われ、死に勝利し、死から甦り、新しい霊のからだをいただいた者です。天から来られた神のひとり子、主キリストの御霊によって新しく創造された、永遠に生きる新しい人です。

 

 第一のアダムは、肉によって生まれ、肉によって歩み、血肉のからだで死に、朽ちて、永遠の火の池に入ります。

 第二のアダムは、御霊によって生まれ、肉に死んで、霊によって生き、御霊とともに歩み、復活のからだをいただいて神の御国で永遠に生きる者です。

 

 第一のアダムには、裁きと、滅びと、永遠の死が定められています。

 第二のアダムには、裁きの過越しと、新しい霊のからだと、永遠のいのちが用意されています。

 

 世の中には、二種類の人がいるのです。第一のアダムと第二のアダムです。

 第一のアダムは、罪が贖われていない、生まれつきのままの人間です。

 第二のアダムは、被造物に責任を持っておられる創造主である神に立ち返る者。自らの罪を認めて悔い改め、神の子羊イエスの贖いの血を感謝して受ける者。神が遣わされた神のひとり子イエス、主キリストを信じる者です。

 

 第二のアダムは、死から呼び戻された、復活の子どもです。「きょう、わたしが生んだ。」と神が仰せられる、御霊によって生まれる神の子どもです。女から生まれたのではなくて、御霊によって生まれた者です。彼らが現われると、被造物は慰めを受けるのです。