ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の御子キリストの契約

 

 神は、塵からアダムを造られました。アダムの子孫の中からアブラハムを選び、アブラハムと契約を結ばれました。彼を祝福の基とすることと、神がお定めになった神の都エルサレムのあるカナンの地(現イスラエル)を与えることです。この契約は、アブラハムの子イサクに、イサクの子ヤコブに、ヤコブの子イスラエル(ユダヤ民族)に受け継がれました。

 

 神の契約どおり、イスラエルはイスラエルの地に国家を築き、また、彼らの中から救世主である神の御子イエス・キリストがお生まれになりました。イエス・キリストは、ユダヤ人のメシアであり、異邦人の啓示の光です。神がお定めになられた唯一の救い主です。世を救うキリストです。イスラエルを贖い、世の罪を贖うお方です。神が万民の前に備えられた御救いです。

 

 ユダヤ民族は、御救いであるキリストを生むために神が聖別された神の民です。彼らには、神の契約がありました。肉に割礼を受け、神のことばに従うように命じられていました。彼らには、神がモーセを通してお与えになった律法がありました。神の民としての神の戒めです。

 

 神の民の前には、神のことばに従う祝福の道と、神のことばに背く呪いの道が用意されました。神は、御自分の民を懲らしめられます。しかし、決して捨てられません。

 

 神のことばに従うことは、肉なる者には容易なことではありません。神に忠実に聞き従ったモーセでさえ、神に罰せられました。

 神に「岩に命じよ。」と言われたのに、モーセは怒りにまかせて「この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」と言って自分の杖で岩を二度打って水を出したのです。モーセは神のことばではなく、自分の杖を頼みとしたのです。神から預かった権威(杖)を神御自身(神のことば)よりも頼みとしてしまったのです。

 聖なる神を聖としなかったと、神はモーセにお与えになった、民をカナンに導き入れる指導者の任務を解かれました。イスラエルの民を奴隷の家エジプトから救い出したモーセは、先祖の地カナンに導き上ることが許されずに荒野で召されました。

 

 律法を守るとは、すべてのことを守ることです。一つでも守らないものがあるならば、律法を守ったことにはなりません。律法の違反者とされるのです。

 

 肉なる者が律法を守ることは不可能なことです。ユダヤ人は、祝福だけではなく、呪いも受け取っています。律法の違反を恐れ、呪いに怯えなければなりません。これは、神の律法をいただいた神の民イスラエルの苦悩です。異邦人にはわかりません。

 

 異邦人は、肉の思いのまま好き勝手に生きています。神の存在を意識することもありません。同じように、この世に生を受けながら理不尽なことです。しかし、ユダヤ人は、神に選ばれた民であるという選民意識に支えられました。彼らには神が用意された救いが約束されているのです。それで、律法を子から孫へと伝承し、先祖の教えやしきたりを守ってきました。

 

 神が約束されていたのは、メシアです。救い主です。そして、神の約束どおり、また、イスラエルの民が待ち望んだように、救い主はイスラエルに生まれ、罪の贖いのわざを成し遂げられました。イエス・キリストは、ユダヤ人の律法の違反の罪を贖うために、ご自分のいのちをお与えになりました。人として来られた神の御子が、罪の無い「人の子」、律法を完全に守ったユダヤ人として、罪の贖いの生贄の子羊となられたのです。これで、律法の呪いは取り除かれました。

 

 ユダヤ人たちは神の祭司の国民として、神が用意された神の子羊イエスを十字架で屠りました。十字架で流された子羊イエスの血は、すべての罪を贖い、キリストの血は、神の赦しを与えたのです。

 

 神が天からイスラエルに遣わされた御子イエスは、三日目に墓から甦り死から復活し、永遠に生きる主キリストとして、弟子たちに現われました。

 そして、新しい契約を与えられました。新しいイスラエルと結ぶ、新しい契約です。聖霊のバプテスマを授ける権威者主キリストのお与えになった契約です。神のひとり子が、被造物である「人」にお与えになった契約です。

 

 新しい契約が現われたとき、先にあったイスラエルとの契約(律法)を古いとされるのです。それで、ユダヤ人の聖書を古い契約の「旧約聖書」と呼び、イエス・キリストがお与えになった新しい契約を「新約聖書」と呼びます。

 

 古い契約では、肉に割礼を受け、神の律法を額の上に置きました。

 モーセは、イスラエルに言いました。

 「イスラエルよ。聞いて、守り行いなさい。私がきょう。あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。

 これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書き記しなさい。」(申命記6:3,6-9)

 

 イスラエルは、肉の上に神の民のしるしを記しました。そして、自分の努力と熱心、肉の力で守ったのでした。

 

 イエス・キリストがお与えになった新しい契約は、キリストの血によります。キリストの血によって義とされた者との契約です。新しい命令は、「聖霊を受けよ。」です。先にあった契約(旧約)の律法は、イエスご自身が全うされたので、新しい律法が与えられました。

 

 新しい契約は、石に書き記された律法ではなく、真理の御霊がうちに来られるのです。律法はイエス・キリストによって完成され、キリストの贖いの血によって律法の違反は赦されました。神の御子イエスを信じる者は、神に罪を赦され義とされた者です。

 

 新しい契約は、義とされた者と結ばれました。神の御子キリストの血によって義とされた者が天の御国に招かれるイスラエルだからです。

 

 血肉のイスラエルとの契約は、新しい契約となって更新されました。血肉のイスラエルは、新しい契約に切り替らなければなりません。この世が終わり新しい世が訪れると、天のエルサレムが下りて来るからです。地上のエルサレム、イスラエルの時代は終わり、永遠のイスラエルの時となります。

 神の御子キリストの契約は、永遠のイスラエル、永遠に生きる者との契約なのです。

 

 神の御子キリストの契約は、肉との関わりがありません。イエス・キリストの御名による聖霊のバプテスマを受けて、心にキリストの御霊を受けます。

 律法を与えたモーセの契約は古いのです。御霊を与えるキリストの契約を持つ者が、イスラエルと呼ばれます。

 彼らは、肉に死んで御霊によって生きる神の民です。自分の力で契約を守りません。神の法は、肉なる人には守れないのです。キリストがお与えになった御霊に守られ、御霊の助けによって契約の道を歩みます。キリストがお与えになった御霊の信仰によって生きるのです。

 

 古い律法は人の額(思い)に書き記されましたが、新しい律法は人の心のうちに御霊が住まわれることで記されます。

 そして、肉体の割礼が神の契約のしるしではなく、御霊の住まわれる心の割礼が神の契約のしるしであり、割礼の民と呼ばれるのです。

 

 キリストの十字架のわざを記念する聖餐のパンは罪を贖う神の子羊イエスの肉であり、葡萄酒はキリストの契約の血です。キリストと契約を結ぶ者は、神の子羊イエスの肉であるパンと子羊イエスの血である葡萄酒を飲むことで信仰を更新します。

 神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、御自分の憐れみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。(テトス3:5)