ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストが与えられた神の法

 

 イスラエルを奴隷の家エジプトから救い出された神は、シナイ山で、神のしもべモーセに神に属する民としての法を与えられました。

 モーセは、イスラエルに告げました。神はイスラエルを神の民として召されたのです。アブラハムと結ばれた契約どおり、アブラハムと妻サラの子イサクの子孫であるイスラエルは、四百年間、彼らの国ではない国(エジプト)で奴隷となり、今、まさにその奴隷の家から解放されて、アブラハムに与えると約束されたカナンの地(現イスラエル)に導き上るために、荒野を通っていたときのことです。

 

 神は、諸国の民の戦いを見て、恐れをなしてエジプトに引き返すといけないと思われて、イスラエルに諸国を通らせず、荒野に導かれたのでした。

 

 モーセは、神である主の御告げによってシナイ山に登り、石の板に神御自身の指で書かれた十戒を受け取りました。神は、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫イスラエル(ユダヤ民族)と神の民としての契約を結ばれました。

 神の民イスラエルは、他の民族とは区別されます。この世にあるすべての民族は、それぞれ自分たちが作った法に従って、それぞれの思いのままに生きていました。しかし、神が選んだイスラエルは、神がお与えになった法に従わなければなりません。

 彼らの法は、神がお与えになったものでした。天地万物を造られた創造主であられる全能の神が、御自分の民イスラエルのためにお与えになった律法です。

 

 モーセは主のみもとに上って行きました。

 「主は山から彼を呼んで仰せられた。

 『あなたは、このように、ヤコブの家(ユダヤ民族)に言い、イスラエルの人々に告げよ。

 あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたをわしの翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。

 今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。

 あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。

 これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。』」(出エジプト19:3-6)

 

 主は、アロンとナダブとアビフとイスラエルの長老七十人は、主のところに上り、遠く離れて伏し拝むようにと、モーセに仰せられました。

 モーセは来て、主のことばと、定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えて言った。「主の仰せられたことは、みな行ないます。」

 モーセは山のふもとに祭壇を築き、またイスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てた。それから、モーセはイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼の生贄を献げ、また、和解の生贄として雄牛を主に献げた。

 モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。

 すると彼らは言った。「主の仰せられることはみな行ない、聞き従います。」

 そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」

 それからモーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は上って行った。

 そうして、彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。(出エジプト24:1-10)

 

 神は、イスラエルの指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いしました。聖なる神が、イスラエルの民を受け入れられたのです。アダムの堕罪以来、神に背いた人類の中で、イスラエルは神と和解した神の民となりました。

 

 その後、モーセは神の山に登って、十戒を受けたのでした。神は、イスラエルに神のおきてを与え、それを実行すれば生きることのできる神の定めを教えられました。イスラエルは、神の義と、神の聖なることを知らされたのです。

 

 聖なる血の注ぎを受けて、イスラエルは聖別された神の民となり、神はイスラエルの神となられたのでした。

 神は、イスラエルの指導者たちに、御自身の御姿を現わされました。神は、イスラエルを、神の御姿を見る民、神を知る民、神のことばに聞き従う民とされたのです。イスラエルの中から多くの預言者が起こり、神のことばを告げました。

 

 終わりの時代に、神の契約を受け取ったイスラエルの民の中に、神のひとり子が人となってお生まれになりました。神がイスラエルに与えると約束しておられた救い主メシア(主キリスト)です。

 

 人の子としてイスラエルに来られた神の御子イエス・キリストは、神がイスラエルにお与えになられた律法を、「イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」と、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」の二つに要約されて、愛がすべてを覆うことを明かされました。

 

 聖なる神の義を知るイスラエルに、神の御子キリストは、神の愛を知らされました。律法は愛によって全うされることを教えられたのです。神を聖と義とで捉えていたイスラエルにとって、新しい教えでした。

 イエスは、父なる神と聖霊と御子キリストの交わりにイスラエルを招き、神は愛であることをイスラエルに示されたのでした。

 

 神と和解した唯一の民族ユダヤ民族ですが、心において神から遠く離れていました。イスラエルの指導者たちは、聖と義の神を恐れ敬うのですが、神を愛する者はいなかったのです。

 

 モーセを通して神と和解したイスラエルですが、神は、再び、神の子羊イエスを遣わして、永遠の和解を用意されたのでした。

 モーセは、イスラエルに、この方(キリスト)が来られたならば、彼に聞き随うようにと、命じていました。この方に聞き随わない者は、イスラエルから取り除かれると言って、神の裁きが用意されていることも告げていました。

 

 神との和解を持って来られた神の御子イエスは、イスラエルに優しく語りかけ、病める者や貧しい者や悪霊に捕われた者や罪に苦しむ者たちに赦しを宣言されました。神の御子は、イエスを信じない民の指導者たちを退けて、民の中で見栄えのしない者、ユダヤ人たちに蔑まれる者たちの友となられたのです。

 

 神の義を求め、聖なることを尊んだ指導者たちの心は高ぶり、自分を正しいとする者、自分で人を裁く者となっていました。彼らは憐れみや愛を求めていませんでした。律法に厳格な自分たちよりも、罪人たちに寄り添うイエスを蔑みました。愛を語るイエスを嘲りました。

 

 キリストがイスラエルに与えた法は、天上の法でした。永遠に変わらぬ神の法です。それは愛であり、交わりです。

 

 肉の人間にはない「永遠の愛」です。イエスは、十字架につけられて神との和解を成し遂げられました。キリストの血は、すべての罪を贖い、罪を赦し、神に義とされる契約の血です。

 人は律法の行ないによっては義と認められる者は、ひとりもいません。律法を完全に守られたイエスによって、律法の義は完成しました。その律法の完成者が、生贄の神の子羊となられたので、律法の違反の罪は贖われました。

 初めの契約を完了された御子イエスによって、神は、新しい契約をイスラエルと結ばれました。律法の行ないによる義は廃棄され、神の御子キリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められるのです。新しい契約のために、神の子羊イエス・キリストの血が注がれました。キリストの血による契約です。

 

 キリストを信じる者は、キリストの血によって、神と契約を結びます。その契約の証が、キリストの御霊なのです。神が義とされた者に与えると約束された「もうひとりの助け主」です。

 

 キリストの御霊は、天上の法を教え、救い主である神の御子キリストのことばを思い起こさせ、従う力を与えてくださるのです。

 

 「愛」はキリストの中にあり、キリストの御霊のうちにあります。キリストの御霊を受けた者は、御霊によって、肉の意識から御霊の意識、地上の思いから天上の思いに新しく生まれ変わるのです。

 御霊によって新しく生まれた者は、御霊によって新しい創造を施されて神の子どもとして造り変えられます。

 

 キリストがお与えになった神の法は、御霊の愛です。御霊に聞き従い、御霊とともに歩むうちに、御霊の愛がいのちの泉となり、感謝と喜びとキリストを愛する愛で満ちていくのです。

 

 御霊は、神の御子イエスを信じて神に義とされた人々に平安を与え、イエス・キリストを愛する者、喜ぶ者としてくださり、愛する者たちの交わりを祝福されます。

 

 イスラエルにお与えになった律法は、神の御子イエス・キリストの十字架の死(神の愛)によって全うされました。

 神の御子を信じる者にお与えになった御霊は、聖霊の新しい創造によって、キリスト者(イエスを神の御子キリストと信じる者)の救いを完成されるのです。

 キリストがお与えになった神の法(御霊)は、キリストの御霊に聞き従うことで全うされ、神の御国に導き入れられます。

 キリストの御霊に聞き従う者(新しい契約を受け、新しい神の法に従う者)は、天の御国に帰る狭き門を通っていのちの道を歩み、永遠のいのちを受けるのです。