ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

キリストの御霊を持つ

 

 イエスは言われました。

 「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)

 

 母の胎から生まれたままの肉の人、生まれながらの人間には、神の国を見ることができないようです。

 イエスが言われた「新しく生まれる」とは、生まれながらの神に対して閉じられた人間の意識に死んで、神が遣わされて天から来られた救い主キリスト・イエスとともに神に思いを向けて、キリストの与えられる生かす御霊によって、新しいいのちを受けることです。

 

 いのちは神にあります。神以外のところで求めても、いのちを得ることはありません。神が与えるいのちとは、この世を生きながらえる肉体の命ではなく、永遠に生きる天上のいのちです。永遠のいのちです。神がキリスト・イエスにあって与えられる永遠のいのちは、新しく生まれなければ受けることができないようです。

 

 新しく生まれるとは、神が与えられる永遠のいのち(生かす御霊)を受けて生きることです。

 キリストは、十字架で肉に死に、墓に入って三日目に甦られました。肉のからだ(肉体)の命に死んで、霊のからだで甦られたのです。

 イエスの肉のからだは、限りある命を入れた朽ちて行く死ぬべきからだでした。死から復活されたキリストの霊のからだは、永遠のいのちを入れる永遠に生きるからだです。

 

 新しく生まれる者に、神は、永遠のいのちと霊のからだを用意しておられます。

 

 イスラエルが四百年間の奴隷の家エジプトから解放されるとき、神は、イスラエル人とエジプト人を羊の血によって区別されました。神の御使いがエジプトの地を打つとき、羊の血を塗ったイスラエル人の家を過越し、羊の血が塗られていないエジプト人の家の初子をことごとく死に至らせました。御使いは、羊の血によって区別しました。

 

 同様に、終わりの時、神の御子キリストの民とこの世の民とは区別されます。この世の者は多くのわざわいを受けますが、神の御子を信じ、キリストの贖いの血を受けた者は守られます。

 

 「新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」とあります。これは、この世のことではなく、天上にある神の御国のことをさします。キリストの血で区別されるこの世とは、また、別の話のようです。

 

 イエスが、「まことに、まことに、あなた(あなたがた)に告げます。」と言われるときは、決して変わることのない真理、神が定められている事柄を語っておられます。

 

 また、イエスは言われました。

 「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。」(ヨハネ3:5-7)

 

 イエスはご自分のからだによって、神の子どもを現わされました。新しく生まれる霊の子どもの道を、まず、イエスご自身が歩まれ、あとに続く弟子たちに示されたのです。イエスを信じる私たちを神のみもとに導くためでした。

 

 イエスは罪がないお方なのに、私たちのために、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けられました。神を知らないこの世の生き方を改め、神御自身のために生きるという神との誓いです。

 神から外れていた的外れな意識を、神に焦点を合わせた意識に立ち返るのです。それで、水のバプテスマを、神の御子イエスも実践されました。そして、イエスの公生涯が始まりました。

 

 「水のバプテスマは、肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いです。」(ペテロⅠ 3:21)

 

 イエスがバプテスマを受けて水から上がられると、聖霊が鳩のように天から下り、イエスに留まられました。御霊は神の子どもである証です。

 

 肉の母親から生まれた者はみな、肉です。御霊によって生まれた者は霊です。肉は朽ち、霊は永遠に生きます。

 イエスは死から復活して、弟子たちに会われました。そして、聖霊を受けるように命じられたのです。弟子たちは、イエスのことばに従って、キリストの与えられる聖霊を待ち望み、聖霊のバプテスマを受けました。

 

 聖霊を受けると、キリストが分け与えられる御霊が住まわれます。御霊を宿す人は、御霊によって新しく生まれた者です。肉のからだでありながら、思いはキリストとともにあり、目に見えない神のこと、天上のことに意識が向けられます。

 それは、御霊によって新しく生まれ、神の子どもとしての歩みに入っているからです。肉によって生きる者から、御霊に導かれる新しい人になったのです。

 

 イエスが十字架で肉に死んで死から復活されたように、私たちもこの世の思いに死んで、御霊によって生きるのです。

 

 キリストの御霊を持つから、キリストのからだなのです。キリストの御霊は、キリストの御思いを知らせ、キリストに似たものに造り変えていかれます。

 

 御霊は、この世のものではありません。この世の者には理解できません。御霊は、天上の生き方を教え、導かれます。永遠のいのちの歩みに導かれるのです。死んでも甦る者とされます。

 

 「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」と言われたイエスのことばは真実です。キリストの御霊を持っていなければ、キリストのからだになれないのです。

 

 キリストの御霊を持っていなければ、肉のままだということです。肉のままで、キリストを信じる努力をしているだけです。その人のうちには、喜びがありません。永遠のいのちがないのです。

 

 永遠のいのちは、キリストの御霊のうちにあるのです。キリストを信じる者の霊が永遠に生きるのではありません。キリストを信じた者のうちに住まわれる御霊に永遠のいのちがあるのです。つまり、御霊を持たない者に、永遠のいのちはないということです。

 

 イエスを神の御子キリストと告白する者は、イエスの約束であるキリストの御霊を求めましょう。イエスのことばを信じて聖霊を待ち望み、御霊を受ける者に、神は、イエスへの愛と、信仰と、魂の救いを得させてくださるのです。

 

 「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。

 これは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。」(ペテロⅠ 1:8,9)

 

 神は、キリストの御霊とともにあり、キリストの御霊を持つ者とともにおられるのです。キリストの御霊を持つ者は、イエスが「インマヌエル(主がともにおられる)」と呼ばれたように、インマヌエルなる主イエスのうちにいるのです。

 主は、イエス・キリストのうちにいる者とともにおられます。