「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。」(マタイ7:13・14)
イエス・キリストを信じる者は狭い門から入る者で、そうでないこの世の人々は広い道を歩み、そこから入って行く者だと思っていました。
「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれだ。」とイエスは言われました。
世界のキリスト教を信じる人口は、32%くらいだと言われています。次にイスラム教、ヒンズー教、民族の伝統宗教、仏教、無宗教、無神論と続くようです。
なんと、キリストを信じる人々の数は、世界の宗教人口の中で、最も多いのです。キリスト教は、狭い門ではなく、広い門のようですね。
「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11:12)
キリストを証するために神に遣わされたバプテスマのヨハネ以降、神の福音の宣教が始まりました。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ3:2)
バプテスマのヨハネは、世の罪を取り除く神の子羊イエスをユダヤ人たちに知らせ、イスラエルを憐れみエルサレムを贖う神の救いの訪れを告げました。神の子羊はイスラエルの罪を贖う方、キリストは聖霊のバプテスマを授けられる方です。
イスラエルの罪を贖われる神の子羊は、罪をきよめて神の霊を注いでくださいます。神の御救いのときが来たのです。この方はダビデ王に約束されたダビデの子であり、とこしえにヤコブの家(ユダヤ民族)を治め、その国はとこしえに続くと言われています。
主キリストによる御救いは、イスラエルの神が万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光であり、神と契約を持つイスラエルの光栄なのです。
バプテスマのヨハネは、神の御救いを告げ、のちに現われる神が遣わされた主キリストをユダヤ人たちに信じさせるために遣わされました。
イエスはバプテスマのヨハネのところに来て水のバプテスマをお受けになり、天から聖霊が鳩のように下って、イエスに留まられました。バプテスマのヨハネは、聖霊がイエスの上に下って、その上に留まられるのを見て、このイエスが聖霊のバプテスマを授けるキリストであると知ったのです。
聖霊が留まられたナザレのイエスは、福音の宣教を始められました。
「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)
福音とは、神の良き知らせです。律法の違反の呪いの身代わりとなって、神の子羊イエスが屠られ、子羊イエスの血がすべての罪を赦すということ。人は、罪の呪いから解放され、死と滅びから解き放たれるのです。
「人は、神の御子イエス・キリストを信じる信仰によって神に義とされ、キリストが授けられる聖霊によって聖められ、神の子どもに造り変えられ、永遠のいのちを得て天の御国に入る。」という御救いが備えられたのです。
それゆえ、聖なる神を知らない生き方を悔い改めて、神が遣わされた主キリストを心に迎えるようにと、宣教するのです。神の御子キリストの与える聖霊のバプテスマを受けて、御霊によって新しい創造を受けるという神の恵み、永遠のいのちを受け取るように、教えるのです。
イエスが神の御子キリストであることを証言するバプテスマのヨハネですが、なぜかイエスと行動をともにすることはありませんでした。イエスの周りには、父なる神が選びイエスにお与えになった弟子たちがいました。
神は、この弟子たちを、イエスが神が遣わされたキリストであること、先祖たちに語っておられたメシアであること、また、贖いの神の子羊であり、復活のキリストであり、聖霊のバプテスマを授けられる神の御子であることの証人とされたのです。
バプテスマのヨハネは、イエスに聖霊がお下りになったのを見て、この方が聖霊のバプテスマを授けられるキリストであると証する証言者であったのに、のちには、イエスが本当に主キリストであるのかがわからなくなりました。
神の御国が近づいたと宣教したバプテスマのヨハネ自身がキリストであるとユダヤ人たちから思われたり、ほかの者が我こそがキリストだと名乗ったり、まことのキリスト(イエス・キリスト)の他にも、キリストと呼ばれる人々が大勢現われました。
ユダヤ人たちは、バプテスマのヨハネの宣教で、キリストが来られることを悟りました。しかし、誰がキリストなのかまでは正しく伝えられなかったようです。
それで、バプテスマのヨハネの日以来、天の御国は激しく攻められているのです。我を信じたら天国に入ることができるという偽りのキリストが多く現われ、イエス・キリスト以外の救いを語る偽預言者も多く現われました。
バプテスマのヨハネの証言によって、天の御国があることを知った者たちは、思い思いに天の国を思い描き、救いを語っています。
イエス・キリストが水のバプテスマを受け、聖霊が留まられて福音宣教を始められたように、イエスの弟子たちも聖霊のバプテスマを受けて、復活のキリストの福音を宣教する者となりました。
聖霊が福音宣教の力であり、神の子どもの証であり、神の御救いの証でした。イエスの弟子である使徒たちが世を去ると、異邦人の信者たちがユダヤ人の信者の数を上回って力を持ち、契約の民ユダヤ人の契約を否定するようになりました。神の御子キリストを十字架につけたヤコブの子ら(ユダヤ民族)は神に退けられて、神の御救いはキリストを信じる者が受け、もはやユダヤ人も異邦人もない。初めの契約(律法)に留まるユダヤ人はキリストの御救いを否定する者である。として、ユダヤ人の契約を真っ向から否定しました。
使徒たちの神の教会は、神の契約によらずキリストを神とする異邦人のキリスト教会となったのです。
イスラエルは、神に仕える民でした。彼らにとって神はイスラエルの神ただおひとりです。イエスは、イスラエルの神が遣わされた主キリスト(救い主)なのです。彼らは、イエス・キリストの御名によって、先祖の神イスラエルの神をたたえました。
ユダヤ人たちは、キリスト教会を去り、「神の契約」という概念を持たない異邦人が、神の選民というアイデンティティーを持ったのでした。契約の無い異邦人たちは、ユダヤ民族と結ばれた神の契約の土台を嘲りました。
それで、契約の神は、契約の土台のない異邦人のキリスト教会から聖霊を取り去られました。ユダヤ人たちが恐れていたイスラエルの神(父なる神)を恐れるわずかな異邦人の上に、キリストが約束された聖霊は留まられたのでしょう。
聖霊のおられないキリスト教会は、もはや神の教会ではありません。聖霊(真理の御霊)を否定する教会も現われました。
偽預言者や偽使徒らが、キリスト教会を悪魔に売り渡したのです。
しかし、時至って、ユダヤ人の中に、イエス・キリストを主とする者たちが現われました。ユダヤ人たちの中には、父なる神への恐れと信仰があります。すると、契約の神は、また、キリスト教会に聖霊のバプテスマを授けられるようになりました。
イエスは言われました。
「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。」(ルカ13:24)
神の御子イエスのことばは真理です。イエスは、父なる神のことばを語っておられるからです。
キリスト教会は神の御救いを知り、御救いを得たいと天の御国を激しく攻める者たちが奪い取った群れです。地上のキリスト教会がそのまま天の御国に入る狭き門ではありません。
神が集められ、天の御国に入れられる神の教会は、使徒たちが御霊に聞き従ったように、神がキリストの御名によって授けられた御霊に聞き従う御霊の教会です。肉眼で見ることはできません。しかし、御霊によって、確かに導かれる御霊の教会です。
御霊の信仰は、地上のキリスト教会の中に隠されている狭き門です。御霊によらなければ見出すことができません。「入ろうとしても、入れなくなる人が多い。」とも、「いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者はまれです。」とも、イエスは言っておられます。
黙示録2,3章の御霊の教会が、天の御国に入る教会なのです。永遠のいのちに至る教会です。
天の御国の門は、小さく、その道は狭く、御霊に教えられなければ見出すことのできない門であり、それを見出す者はまれなのです。