ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

ユダヤ人の犯した罪

 

 「主からエレミヤにあったみことばは、次のとおりである。イスラエルの神、主はこう仰せられる。

 『わたしがあなたに語ったことばをみな、書物(聖書)に書き記せ。

 見よ。その日が来る。―主の御告げ。―その日、わたしは、わたしの民イスラエルとユダの捕われ人を帰らせると、主は言う。わたしは彼らをその先祖たちに与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」(エレミヤ30:1-3)

 

 神は、神が世界に散らしたユダヤ人たちをアブラハムに約束した先祖の地(カナンの地)に帰らせ、彼らにその地を所有させることを語られました。

 

 神は、アブラハムに、「妻サラの子イサクの子孫がアブラハムの子孫と呼ばれる。」と言われました。他のアブラハムの息子たちは、アブラハムの血肉の子孫であって、神と契約を結ぶアブラハムの子孫には数えられません。

 神との契約を相続するのは、イサクの子ヤコブの子孫(イスラエル)だけなのです。それは、神が定められたことです。それゆえ、カナンの地は、イスラエルに与えられています。

 

 カナンの地には、アブラハムと妻サラ、イサクと妻リベカ、ヤコブと妻レアの墓があります。彼らは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫イスラエルがその土地(カナンの地)に暮らし、約束の子孫(主キリスト)が支配される日を待ち望んでいるのです。

 

 イスラエルが四百年間の奴隷の家エジプトから救い出されて、カナンの地にイスラエル国家を築きました。しかし、他の国々のように王を求め、偶像を慕ったイスラエルは神の怒りによって、十部族はアッシリアに、二部族はバビロンに捕囚されました。

 バビロンに捕囚されていた二部族はエレミヤの預言どおり、七十年の捕囚期間を終えてイスラエルの地に帰還しました。帰還者は、以前のようではありません。偶像崇拝のバビロンの地で、生けるまことの神に立ち返ったのです。イスラエルの神こそが唯一まことの神、全知全能の神であることを知ったイスラエルは、偶像礼拝をやめました。霊なる神を、神の神殿で礼拝しました。

 

 彼らは、苦難を通して主キリストをお迎えする民として整えられたのです。そして、イスラエルに、神のひとり子イエスがお生まれになりました。神が約束しておられたキリストです。エバをそそのかした蛇の頭(悪魔)を踏み砕くアブラハムの子孫(ダビデの子)です。

 

 霊なる神に仕えたイスラエルは、神の祭司の国民となっていました。祭司の国民ユダヤ人が、神が天から遣わされた生贄の神の子羊イエスを、罪の贖いの子羊として、十字架につけて屠りました。

 神は、祭司の国民(ユダヤ人)が屠った神の子羊イエスの血を受け入れられ、罪の贖いを宣言されました。十字架につけられたナザレのイエスは、罪の贖いを成し遂げた神の御子キリストでした。

 

 かつて、サウル王がサムエルの到着を待ちきれずに自分で生贄を献げ、神を怒らせて王位を退けられました。神は、祭司から生贄を受け取られるのです。神がそう定めておられるのです。祭司は、神が聖別したものです。聖別されていない者は、たとい王でも許されません。

 神の祭司の国民ユダヤ人が屠ったからこそ、キリストの血は神に受け入れられたのです。

 

 クリスチャンは、ユダヤ人がイエス・キリストを殺したと思っていますが、殺したのは私たち一人一人の罪です。ユダヤ人は、罪の贖いのために祭司の国民の務めを果たしたのでした。ユダヤ人がキリストを殺したと考えるのは、異邦人の罪です。神は、そのような考えをお認めにはなりません。

 

 ユダヤ人の罪は、神が遣わされた主キリストを信じなかったことです。十字架の死と復活と昇天をされた後イエスが神が遣わされた主キリストであったことに気づき、悔い改めて、ナザレのイエスを神の御子、神が遣わされた主キリストであると信じたユダヤ人もいました。

 しかし、多くのユダヤ人は、信じないどころか信じたユダヤ人を迫害し、殺意に燃えたのです。

 神が遣わされた救い主イエス・キリストを信じないことが、ユダヤ人の罪です。

 モーセが「彼を信じなければ神の選びから取り外される。」とイスラエルに語っていた呪いを受けたのでした。

 

 神は、ユダヤ人たちから先祖の地イスラエルを取り上げて、彼らを世界に散らされました。彼らは、世界の国々で忌み嫌われ、憎まれました。彼らは、預言者のことばを信じないで、救い主イエスとキリストを信じる民を迫害したのです。

 

 しかし、神は御自分の民イスラエルをいつまでも怒ってはおられません。

 

 神のことばは、一つも地に落ちることがありません。神の語られたことば、神の預言者のことばは、すべて実現するのです。

 「あなた(エレミヤ)がこの民(イスラエル)にこのすべてのことばを告げるとき、彼らがあなたに、『なぜ、主は私たちに、この大きなわざわいを語られたのか。私たちの咎とは何か。私たちの神、主に犯したという、私たちの罪とは何か。』と尋ねたら、あなたは彼らにこう言え。

 『あなたがたの先祖がわたしを捨て、―主の御告げ。―ほかの神々に従い、これに仕え、これを拝み、わたしを捨てて、わたしの律法を守らなかったためだ。

 また、あなたがた自身、あなたがたの先祖以上に悪事を働き、しかも、おのおの悪い、かたくなな心のままに歩み、わたしに聞き従わないので、わたしはあなたがたをこの国(イスラエル)から投げ出して、あなたがたも、先祖も知らなかった国へ行かせる。あなたがたは、そこで日夜、ほかの神々に仕える。わたしはあなたがたに、慈しみを施さない。』

 それゆえ、見よ。その日が来る。―主の御告げ。―その日にはもはや、『イスラエルの子らをエジプトの国から上らせた主は生きておられる。』とは言わないで、ただ『イスラエルの子らを北の国や、彼らの散らされたすべての地方から上らせた主は生きておられる。』と言うようになる。わたしは彼らの先祖に与えた彼らの土地に彼らを帰らせる。

 見よ。わたしは多くの漁夫をやって、―主の御告げ。―彼らをすなどらせる。その後、わたしは多くの狩人をやって、すべての山、すべての丘、岩の割れ目から彼らを狩り出させる。」(エレミヤ16:10-16)

 

 神の命令は、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」(出エジプト20:3-5)

 偶像とは目に見えるものだけではありません。心を神以外のものでいっぱいにすることでもあります。物欲、金銭欲、肉欲、あらゆる欲望が偶像となるのです。

 ユダヤ人たちは、世界の国々の中で異邦人と同じように生活し、心がイスラエルの神以外で満たされました。

 

 神は国々に追われても、イスラエルの神を覚え正しい心で生活するユダヤ人たちや、聖書のことばを信じ、先祖の地に帰ることを待ち望むユダヤ人たちをご覧になられました。神は、神の方法で、定めたユダヤ人に、十字架につけたイエスがユダヤ人のメシアであることを知らされました。十字架のイエスを主キリストと信じるユダヤ人が起こされました。神の和解のときが来たのです。

 

 神は、ユダヤ人の先祖の地に国を与えられました。1948年にイスラエルは建国されました。世界中に離散していたユダヤ人がイスラエルの国に帰還し、自分たちの国を得たのです。先祖の言語であるヘブライ語で生活し、神の預言は成就しました。

 

 これはシオニズムという思想によるものではありません。聖書の神の命令なのです。神が神の民イスラエルの捕われ人を帰らせると約束されたからです。「わたしはユダヤ人たちをその先祖たちに与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」と言われたのですから、それに従わなければなりません。

 従わないで、先祖の地に帰還しないことは、神の真実を証していないのです。

 

 聖書のことばを理解した異邦人のクリスチャンたちが、漁夫のように、隠されているユダヤ人を見つけ出しイスラエルの国への帰還を助けています。

 

 帰還しないならば、財産を残して命からがら集められることとなります。神は、先祖たちに与えた地に帰らせる、と言っておられるからです。神のことばは必ず実現するのです。

 

 「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。」(イザヤ40:11)このように仰せられる神に従うことが賢明です。

 

 「イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る。」(エレミヤ31:10)

 かつてはユダヤ人に敵対していたクリスチャンが神に悔い改めて、イスラエルを祝福し、イエス・キリストを愛する愛によって神に愛されているユダヤ人を憐れみ、ユダヤ人のために執り成し、彼らの牧者であるイエス・キリストの御霊によって祈りの城壁を築きます。

 

 ユダヤ人とクリスチャンの和解のときが訪れました。ともに、聖書の神の預言の成就のために協力するのです。

 ユダヤ人は、神のことばに従い、預言の実現を見るときです。

 ユダヤ人は、主キリストが天から来られるのを、預言の成就した先祖の地で、待ち望むように、神が定められているからです。