ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神のイスラエルと異邦人

 

 「ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。

 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ち壊し、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。

 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。

 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。

 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:11-22)

 

 神と契約を結ぶアブラハム、イサク、ヤコブの血肉の子孫ユダヤ民族は、神御自身によって神の民として召された民族です。ユダヤ民族は、まことの神の祭司として召されたイスラエルです。

 

 神の御前には、神の選ばれた神の民族と、そうではない民族とがいました。イスラエルと異邦人です。

 イスラエルは、預言者たちを通して多くの神のことばが委ねられています。しかし、異邦人はまことの神から遠く離れた者たちで、神を知らず、救いの希望のない者たちでした。異邦人であれば、どの民族に属する者であっても同じです。どの民族がどの民族よりもすぐれているか、良いものであるか、ということは関係ありません。異邦人は、どの民族の者でも、行き着く先は同じです。

 それぞれの民族がおのおのの神々を持って神を慕っても変わりません。まことの神に仕えるイスラエルに対して、偶像の神偽りの神々に仕える異邦人は、みな、まことの神から離れている者でした。

 

 イスラエルは、まことの神と契約を持つ割礼のしるしのある民です。割礼によって、まことの神のものであることが証されています。しかし、割礼のしるしの無い無割礼の民(異邦人)は、まことの神のものではありません。この世の神(悪魔)に捕らえられている民です。悪魔の奴隷なのです。悪魔の報酬は死です。

 

 しかし、まことの神はイスラエルに、世の神々から救い永遠のいのちを与えて、いのちの世界で永遠に生きる神の子どもたちを集めるために、神の御子キリストを遣わされました。

 

 この世の君悪魔の与えるものは、怒りと憎しみ、悲しみと嘆き、そねみと妬み、偽りと騙し合い、背きと裏切り、敵対と争い。悪魔の性質を与えます。

 しかし、まことの神の与えられるものは、平和と、希望と、愛と、確かな約束と、信仰と、喜びと、平安です。

 

 この世の神々の上に立つ神のひとり子キリストが、イスラエルに遣わされ、罪を贖う聖なる血を流し、死と滅びの悪魔に捕らわれていた魂を解放されました。

 

 イエス・キリストは、まことの神が世に遣わされた救世主です。イスラエルと契約を結ぶ神が、イスラエルにその契約を実現されました。イスラエルに約束しておられた御救いは、神の御子イエス・キリストをさしていたのです。

 

 イスラエルの預言者たちに告げておられた預言は、イエス・キリストによってことごとく成就しました。主キリストに関わる預言や、詩篇に書かれていることや、モーセの律法は、十字架にかかられたナザレのイエスによって成し遂げられます。

 イエス・キリストは、まことの神の契約の目に見えるかたちであり、まことの神の全地に現わされた御姿でした。

 

 イスラエルと異邦人。神と契約を持つ民と契約を持たない民。割礼の民と無割礼の民。神の約束のある民と約束のない民。この神の御前で区別されていた二つのものが、イエス・キリストの十字架のわざによって、隔ての壁が打ち壊されました。

 

 神の律法の下にいるイスラエルと、神の律法の外にいる異邦人。律法によって、イスラエルは律法の下にいない者を汚れた者として忌み嫌い、律法の外にいる異邦人は律法を固持するイスラエルを憎みました。二つのものには、はっきりとした敵意があったのです。

 

 しかし、イエスはご自分の肉を裂いて二つのものの敵意を廃棄されました。律法を守るから義とされるのではなくて、十字架で流された贖いの神の子羊イエスの血によって義とされるのです。キリストの血は、律法の下にいるイスラエルの罪も律法の外にいる異邦人の罪をも赦し、義とします。

 

 全地は、罪を赦し、まことの神に義とされる神の子羊イエス・キリストの贖いの血を、神によって得たのでした。

 

 イエス・キリストを信じる者は、キリストの血によって神に近い者とされます。キリストは私たちの平和です。キリストの血は、神と和解させる血であり、平和を与える血です。

 

 イエス・キリストはご自身の血によって、イスラエルと異邦人の二つのものを新しいひとりの人に造り上げられます。イスラエルも異邦人も、両者ともに一つの御霊(キリストによって与えられる同じキリストの御霊)によって、ひとりの父、キリストの父なる神のみもとに近づくことができます。

 

 イスラエルも異邦人も、イエス・キリストによって、ひとりの父の子ども、神の子どもとなり、神の家族、同じ国民となるのです。

 

 神が新しく造られる神の家族は、復活のイエスのことばを宣教したキリスト・イエスの使徒たちの働きやイスラエルの預言者たちの預言のことばの土台の上に建てられています。そして、その家の礎石は、使徒たちに御霊を与え、預言をことごとく成就されるイエス・キリストご自身です。

 

 神は、神の御子イエス・キリストにおいてイスラエルと異邦人を一つのものとして新しいひとりの人に造り上げ、両者を一つのからだとして、神の御子キリストの十字架の贖いによって、神と和解させられるのです。

 

 神の目には、イスラエル(血肉のユダヤ人)も異邦人もありません。神の御子キリストに属する民か、キリストに属さない民か、で区別されます。

 

 証するものは、キリストの御霊です。キリストの御霊を宿す者は、神の聖なる宮となります。御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

 キリストが世に現われる前は、肉による割礼によって、イスラエルと異邦人が区別されていましたが、キリストが現われた今は、御霊による心の割礼を持っているかいないかで、イスラエルと異邦人が区別されます。