「ユダヤ人の指導者であるパリサイ人のニコデモが、『神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。』とイエスに言うと、イエスは答えて言われた。
『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』
ニコデモは言った。『人は老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。』
イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがごこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者も、そのとおりです。』」(ヨハネ3:2-8)
パリサイ人のニコデモは、イエスがなさる不思議な奇跡やしるしを見て、神がともにおられることを認めました。それで、イエスを神のもとから来られた教師であると告白しました。
イエスは、ニコデモの告白に対して、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない、と言われました。つまり、御霊によって生まれ霊の子とならなければ、イエスがなさる神のしるしや奇跡(癒しや悪霊追い出しや死人の生き返りや人力を超えた様々な不思議なわざ)を現わすことはできないのです。神の国のわざは、神の霊(御霊)によるものだからです。
ニコデモは、イエスの言われる「新しく生まれる」ことを、再び肉によって生まれることだと思いました。人間にとって生まれるとは、母の胎から生まれることしか思い浮かびません。
しかし、イエスが新しく生まれると言われたとき、神の国を見ておられたのです。神の国は霊です。つまり、霊の子の誕生を言われたのです。肉によって新しく生まれ変わるようなことがあったとしても、それはやはり肉です。肉なる者は、霊なる神の御国を受け継ぐことはできません。霊の国の国民は、霊の人でなければならないのです。
イエスは言われました。
「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」
人の子イエスは、バプテスマのヨハネから水のバプテスマを受けて、天から鳩のように下られた御霊を受けられました。
水のバプテスマは、悔い改めのバプテスマです。「私は救い主イエスを信じます。私は神に対して罪を犯し神から遠く離れていた罪人です。聖さのない罪深い私をお赦しください。聖なる神に受け入れられる者としてください。」と言って自分の罪を告白して、神に義とされるための悔い改めの誓いです。
御霊によって生まれるとは、主キリストが授けられる聖霊のバプテスマを受けることです。イエス・キリストを主と告白して、「私はイエスのことばに従い、キリストの父なる神のもとに帰る者となりたいです。イエス・キリストのことばに聞き従う者とならせてください。」と、霊なる神に仕えるための新しい心を求める者の神への誓いです。
自分の罪を言い表わし、水の誓いによって罪がきよめられます。大洪水を潜り抜けて、一新した世で再スタートしたノアの状態です。暴虐の民は滅びました。神は、ノアに罪を認められませんでした。水によってきよめられた新しい世界で生きる者とされました。肉のからだのままで、心を新たにされます。
神が天から遣わされた主キリストが来られると、天のことを教えられました。神は、十字架で肉の心を滅ぼされました。肉のものは永遠に生きることができないからです。
神は、死んで墓に入った神の子羊イエスを、永遠に生きる栄光のからだ霊のからだで甦らせられました。御霊によって生まれる新しい創造です。
人は、神が定められた水(イエス・キリストの血による罪の赦しを受けるための悔い改めの誓い)と御霊(イエス・キリストの御名によって聖霊を受ける)によって新しく生まれなければ、神の国に入る者とされないのです。
御霊によって生まれた者は霊です。肉の心はキリストの十字架につけられ、御霊とともに生きる者とされるのです。肉体はありますが、肉に頼る者ではありません。御霊によって生まれた者は、自分の肉の思いと戦い肉の心を破られ、痛み苦しみ失敗を繰り返しながら御霊に従うことを学んでいきます。
御霊は風のような方です。目には見えないけれども、人は、草花や木々の揺れを見て、髪がなびき頬をかすめる風を感じます。感じることはできますが、目に見ることはできません。また、風は思いのまま吹き、どこから来てどこへ行くのかを人は知りません。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりであると主イエスは言われました。
水によって生まれた者は、キリスト教会に見られ祝福されます。教会の兄弟姉妹は、水のバプテスマを見ることができ、教会の子になったことの証人となります。
しかし、御霊によって生まれた者は、風のようでいつ生まれたのかどのようにして育っているのか、人の目にはわからないのです。御霊によって生まれることは、個人的体験のようです。兄弟姉妹と机を並べて学ぶことではありません。信仰によって受け取り、自分で御霊の御声を聞くのです。
同じキリスト教会の中で、密かに生まれ神に育てられているのです。
34年前に夢で知らされました。大きな木造の古い会堂が大きな揺れによって一瞬で崩れ落ちると、中から鉄筋コンクリートのような味気なく見栄えもしないけれども小さく真っ白な建物が現われました。大きな揺れの中でも倒れることなく、しっかりと堅く建っていました。
見た当時は、意味がわかりませんでした。でも、キリスト教会が神によってふるいに掛けられることは理解しました。白い頑丈な小さな建物は何でしょう。いつ、その建物が建てられたのでしょう。人々が知らない間に、神がキリスト教会の中に、いつまでも残る教会をかたち造っておられたのです。
今は、それを理解することができます。神は、密かに御霊によって霊の子を生み、御霊の御声を聞き、御霊に聞き従う神の子どもを育てておられたのです。
永遠に残される教会は、キリストの御霊が新しく創造された御霊の教会です。永遠のいのちは、御霊の教会とともにあるのです。