ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天と繋がる霊

 

 この世には、様々な霊が働いています。人の霊はそれが霊の働きであるという認識を持っていなくても、様々な目に見えない霊に動かされています。なぜならば、人は霊を持つ存在として造られているからです。

 

 人のうちには、神の霊で埋められる神聖な密室があります。それは、創造主である神が、「われわれ(父、子、聖霊の神)に似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられて造られているからです。

 

 その密室は、他の人を入れることはできません。そこは、霊を入れる所です。思いや願いや心にあるものが入る、その人が大切にするものを入れる宝箱のようなものです。目には見えないけれども、その人にとって価値を感じる精神の源のようなものです。

 

 神の霊を入れる宝箱が一人一人のうちに造られています。神はまた、人に自由意思をお与えになっています。神の霊のために造られた部屋ですが、神はその所有を主張されません。御自身の部屋ですが、その管理は、その人に任せられます。

 

 アダムが蛇の語る悪魔の言葉を選び、神のことばから外れると様変わりしました。神に背き神に敵対する悪魔の手に落ち悪魔の支配下に置かれた人は、神に与えられた自由意思をも悪魔に奪われて、自由を失いました。人の意思は悪魔の支配下に置かれて、人は罪の奴隷となったのです。

 

 神が造られた人のうちにある神聖な密室は、悪魔に汚され、悪魔の持ち込む汚れたものでいっぱいになりました。人の密室は、悪魔の物置きとなりました。欲望や汚れたもので埋め尽くされています。

 

 悪魔の性質で生きる人は、この欲望に満ちた物置小屋からこの世の霊の助けによってあらゆるものを引き出します。そして、悪魔の邪悪な性質を共有します。

 

 神聖なる密室を悪魔によって汚されてもなお、良いことを求める人もいます。彼らの良心は、汚れた密室に心を向けないように努力して、本当に正しいことを探り求めます。

 

 アダムが食べた善悪を知る知識の木の実は、悪だけではなく、善をも知らせるからです。ただし、この善は人にとって良いと思われる善であって、神に受け入れられる善とは違います。彼らは、知識を駆使して、普遍の善を求めます。

 神が人に永遠を思う思いを与えられたので、人は、普遍ということに憧れを持つのです。

 

 アダムが食べた善悪を知る木の実の影響は、代々にわたります。人はみな、この実のもたらす死を受け継ぎます。この実は、人に罪を植えつけました。罪とは、神のことばから外れて、神に背くことです。人がどんなに努力して善行を積もうが正しいとみられる生き方をしようが、その罪を消すことはできません。罪の報酬は死です。神と断絶した死が、罪の結ぶ実だからです。

 

 神が造られた神聖な密室は、罪の物置部屋となりました。罪を犯す悪魔の性質がその密室に入ったのです。これが、人の生まれ持った原罪です。罪を犯したくなくても、原罪がある限り、自分でコントロールすることができないのです。罪に逆らおうとすればするほど、蟻地獄のように罪に引き込まれ罪にとらえられてしまいます。

 

 一人一人は、自分の密室の管理者です。神から自分の密室の管理が義務づけられています。人は、自分自身の管理ができません。人は、自分自身たった一人の管理すらできない弱い者、力のない者なのです。

 

 神は、管理を任せた一人一人の人に代わって、管理する管理者を用意されました。彼は、神の御心どおりに管理する正しい管理者です。神から管理者の油を注がれた御霊です。神が造られた神聖な密室は、聖なる霊が住まわれる部屋です。その密室に神の御霊を住まわせられるのです。神の御霊が密室に入り住まわれると、神の御思いを教えられます。そして、人は、神の御心どおりに造り変えられて完成します。

 

 神は、神の御計画のうちにあって、罪から逃れることのできない人々の間に、神の民イスラエルを造られました。神はイスラエルに神の律法を与えて、律法を守ることのできない罪の性質の根源(原罪)を知らされました。律法の一つを守らなかったなら、律法全体を破ったことになるのです。そして、律法の違反者として裁かれるのです。イスラエルは、罪と罪の違反の罰に苦しみました。罪の報酬は死です。

 

 真面目に律法を守ろうと努力すればするほど、律法の義は遠のいていくのです。ユダヤ人はうめきました。罪を知る者のうめきです。神の律法を知る者は、神の義に到達できないことで苦悩します。そして、自分のからだのうちに、心の律法に対して戦いを挑み、罪の律法のとりこにする、抵抗できない力が働いていることを見出しました。

 

 厳格なパリサイ人であったパウロは言います。

 「私は、本当にみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)

 神の律法を知るゆえの苦悩です。イスラエルは、律法の違反の裁きと死の呪いを知っていたのです。

 

 律法に心がとらえられ律法の奴隷となったイスラエルに、神は、律法の呪い(違反の恐れと死の恐怖)から解放する、神の子羊イエスを遣わされました。

 神の子羊は、罪を犯さない神の御子イエスです。一度も罪を犯さず、神のことばのうちを歩まれた人の子イエスが、罪の生贄の神の子羊として木にかけられ、イスラエルの律法の違反の身代わりとなって死なれました。神の子羊イエスの血は、罪の根源である原罪の性質を打ち砕き、神が造られた人の密室を聖められました。

 

 神は、神の御子イエス・キリストの血によって、イスラエルの罪を贖われました。神の民の罪を贖われたのです。神は、神の子羊イエスの血によって、イスラエルの罪を赦されました。神の民の罪は赦されたのです。

 

 神は、神の子羊イエスの贖いの血によって、罪赦されたイスラエルを義とされました。神に罪が赦された者は、もはや罪に問われることがありません。私たちの罪の身代わりとなって、罪のない神の御子イエスが罪の呪いを受けてくださったからです。イエスの十字架の死は、私たちの死です。罪の呪いの死を受けました。私たちは、イエス・キリストのうちにあって十字架でともに死んだのです。

 

 私たちの密室を占拠し、罪の物置きとした悪魔の支配は打ち砕かれました。キリストの贖いの血によって密室は聖められました。キリストが悪魔の支配を破り、キリストの贖いの血によって、私たちの密室を買い戻してくださったのです。

 

 私たちの神聖な密室は、キリスト・イエスによって悪魔から取り戻されました。そして、神は、イエスを死から復活させた聖霊を、キリストが買い戻された密室に遣わされます。

 

 キリストの贖いの血によって取り戻された密室も、神からいただく聖霊の住まいとしなければ、また、悪しき霊が来て住み着いてしまいます。キリストの血によって買い戻された密室には、神の御子イエス・キリストの父が遣わされるキリストの御霊を入れなければなりません。

 

 キリストの御霊は、真理の御霊です。人の子の助け主であり、密室を正しく管理する良い管理者です。

 

 神が約束された聖霊を受け、神聖な密室にキリストの御霊を住まわせる者は、心の王座をキリストに明け渡す者です。キリストの御霊は、イエスのことばを思い起こさせキリストの御思いを知らせて、キリストが歩まれたいのちの道へと導かれます。

 

 聖霊は神格者であって、天から来て天に帰る御霊です。密室にキリストの御霊を持つ者は、主イエス・キリストと繋がり、天の神のみもとに帰る永遠のいのちを持っているのです。

 私たちの霊は、キリストの御霊によって、天と繋がっているのです。御霊は、天のことを教え、天に帰る道へと導かれます。そして、御霊の御声に聞き従う者を神の子どもに造り変えていかれます。キリストの御霊は、キリストのものとなった人の子に新しい創造を施されるのです。

 

 天と繋がる霊は、永遠のいのち(聖霊)を得て霊の子どもに造り変えられて、天の御国を相続する神の子どもとされるのです。