ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

福音の実を結ぶ者は天の御国の奥義を知る

 「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。

 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心遣いと富と惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。

 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人は本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」(マタイ13:19-23)

 

 御国のことばとは、イエスの語られることばのことです。天の御国から来られた神の御子イエスは天上のことばを語られました。イエスは、父なる神の仰せられることばをユダヤ人たちに語られたのです。

 御国のことばは、永遠に生きるための天の御国の奥義を知らせています。イエス・キリストは、永遠のいのちを与えるために来られたからです。

 

 イエスは、世の初めから隠されていることどもを物語られたのです。それは、預言者たちを通して「わたしはたとえ話をもって口を開き、世の初めから隠されていることどもを物語ろう。」と言われたことが成就するためでした。

 

 イエスが、神から心が離れているユダヤ人たちにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。

 

 預言者イザヤの告げた預言「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしに癒されることのないためである。」が、彼らの上に実現したのです。(マタイ13:14,15)

 

 しかし、イエスは弟子たちに言われました。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。」そして、弟子たちには、たとえ話の説明をされました。

 

 イエスの語る御国のことばを聞いても悟らないと、惑わす者やよこしまな者が来て、その人の心に蒔かれた永遠のいのちを得る御国のことば(イエスのことば、神の国の福音)を奪い去って行きます。信仰のない、道ばたのような固い心の人のことです。

 

 自分のうちに深い求めのない人は、みことばを聞くと、良い話を聞いたと喜んで受け入れますが、しばらくの間そうするだけで、イエス・キリストのことばを信じることで世間にあざ笑われたり、憎まれたり、困難や迫害が起こると、すぐに疑ったりこの福音には幸福がないと言って、失望し怒って離れて行きます。神を慕い求める心のない岩地のような信仰の薄い心の人です。

 

 心が世にある人は、イエスの福音を聞いて受け入れつつも、この世と調子を合わせてしまいます。そして、この世の心遣いと富の惑わしとに誘惑され、イエスのことばを糧として信仰を育てないために、実を結ばないのです。世のしがらみ、いばらの中に身を置いたままイエスのいのちを受けようとする人です。

 

 イエスの福音、みことばを聞いてそれを悟る人は、天の御国に入るための良い実を結びます。あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。神(真理)を求めてみことばに引き寄せられ、イエスのことばを心の支えとする、真理に飢え乾く正しい心の人です。みことばの種を受けたら信じて育てる良い地の心の人です。

 

 正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。(マタイ13:43)

 

 「毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子(イエス・キリスト)はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまづきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。」(マタイ13:40-42)

 

 イエスはユダヤ人たちに言われました。御国とは、神の民のことです。イスラエルを指します。イスラエルが神の民ならば、キリストの福音を信じる主の民であるキリスト教会も神の民であり、御国なのです。

 

 つまづきを与える者や不法を行なう者を御国から取り集めるとあります。世から集めるのではありません。御国(キリストの福音を信じるキリストの教会)から、御霊を求めるのをやめさせたり、真理に従う者を中傷し迫害する者を取り集めるというのです。

 

 良い種を蒔く者は人の子(主イエス・キリストとキリストの御霊を持つ者)であり、毒麦を蒔く者はキリストの敵である悪魔であり、また、悪い者の子ども(神の御子キリストに逆らう悪魔の欲望を成し遂げたいと願う者)たちです。

 

 同じ神の畑(地上の御国、イスラエルとキリスト教会)で、良い麦と毒麦が収穫まで、ともに育っていることを、イエスはマタイ13;24-30のたとえ話で示しておられます。

 

 御国(キリスト教会)の中に、神の子らにつまづきを与える者や不法を行なう者がいるというのです。彼らは、真理のことばを聞いても悟ることができません。彼らには、天の御国の奥義を知ることが許されていないからです。

 

 神は、彼らを火の炉に投げ込まれます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。(マタイ13:42)キリストの福音を聞いていながら、心で悟って立ち返ることがなかったからです。イエス・キリストの御名を語りながら、永遠のいのちを受け取っていなかったからです。

 彼らは世の人とは違います。福音を退けた人でも、福音を聞いたことのない人でもありません。キリストの福音を聞き、キリスト教会で御国を味わっていた人です。主キリストの救いのことも、永遠のいのちのことも、最後の裁きのことも、天の御国のことも知っていた人です。心に妬みと憎しみと怒りと許せない心を持ち続け、主イエスの贖いの血にへりくだることのなかった、自分の義に生きた人です。彼らは、キリストの御霊による新しい創造を受け取りませんでした。御国の知識を持ちながら、天の御国の奥義を悟ることのできなかった人です。

 

 良い地の心でみことばの種を受け、心を主に向け、本当に良い実を結ぶ正しい者たちは、キリストの御霊によって天の御国の奥義を知らされます。イエスのことばに従い、キリストの御霊に聞き従う正しい者たちは、天の父の御国で永遠に太陽のように輝きます。