ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

イスラエル王国の王

 

 神の御子イエスがイスラエルにお生まれになると、東方の賢者たちがイスラエルの都エルサレムにやって来て、こう言いました。

 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」(マタイ2:2)

 

 異邦人である賢者たちは、星のしるしによって「ユダヤ人の王」がお生まれになったことを知りました。イスラエルのうちのだれもが、まだイエス・キリストの王たることを知らされていないのに、東方の賢者たちは、神がイスラエルに約束していたメシアを「ユダヤ人の王」として知ったのでした。

 

 イエスが生まれてまだ嬰児であった時、神は羊を飼う羊飼いたちに御使いを送って、イスラエルに約束されていた「救い主」が生まれたことを告げました。

 「きょうダビデの町(ベツレヘム)で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(ルカ2:11)

 

 御使いに告げられた羊飼いたちが、おそらくイスラエルで最初に、イエスを主キリストであると知った人々でしょう。

 

 その当時、ローマ帝国の圧政に苦しむユダヤ人たちは、ローマ帝国の支配から救い出してユダヤ人の国を再興してくださる「救い主」を待ち望んでいました。

 イスラエルのあちらこちらで、キリストの噂がささやかれていました。「あの人がキリストだ。」「いや、この人こそキリストだ。」と、キリストと思われる人が幾人も現われては消え、また、現われるというように、キリストの正体ははっきりとしていませんでした。

 

 そんなユダヤ人たちの噂が行き交う中、羊飼いたちに神の御使いが現われて、羊飼いたちは御使いに本物の主キリストの降誕をはっきりと告げられました。そして、行って、嬰児のイエスを見たのでした。

 

 ユダヤ人の彼らは、イエスを「救い主」「主キリスト」として知らされました。

 

 その後、東方から来た賢者たちは、「ユダヤ人の王」として聖なる神に遣わされた御子を探し、幼子イエスを見、ひれ伏して拝んだのでした。おそらく、ユダヤ人の王が平和の世を実現してくださることを知っていたのでしょう。

 

 ヨセフとマリアが、幼子イエスを主に献げるために、エルサレムに連れて行きました。そこには、イスラエルの慰められることを待ち望んでいる、正しい敬虔な人がいました。シメオンと言い、聖霊が彼の上に留まっておられました。

 

 シメオンは、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていました。

 シメオンが御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が入って来ました。シメオンは、神の霊によって、幼子イエスが主のキリストであると悟り、幼子イエスを腕に抱き、神をほめたたえました。

 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。私の目があなたの御救いを見たからです。

 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」(ルカ2:29-32)

 

 聖霊によって、シメオンは幼子イエスの御救いを知り、神をたたえました。シメオンは、幼子イエスを、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄である主のキリスト(イスラエルの神が遣わされた救世主)として、知らされました。

 

 主キリストの出現を待ち望んでいたユダヤ人の羊飼いたちも、シメオンも、幼子イエスを、主キリストとして知りました。彼らはイエスが公生涯に立つ前に、幼子イエスを「主キリスト」として知ったのでした。

 しかし、異邦人の東方の賢者たちは、ユダヤ人の王の出現を待ち望み、幼子イエスを「ユダヤ人の王」として拝んだのです。

 

 異邦人である東方の賢者たちは救い主を待ち望んでいたのではありません。「ユダヤ人の王」を待ち望んでいたのです。異邦人は、「ユダヤ人の王」にひれ伏して拝みました。

 

 イスラエルの神は、ユダヤ人たちに、イスラエルに救い主キリストを遣わすことを約束しておられました。

 万物を治められる偉大なる神は、異邦人の賢者たちに、世界に平和をもたらす「ユダヤ人の王」を遣わすことを示しておられたようです。

 

 イスラエルは、イエスに救い主を見ていました。神の御子キリストです。

 イエスの弟子たちも、イエスを「神の御子、救い主、キリスト・イエス」と告白していました。

 

 イエスがつけられた十字架の罪状書きには、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と、ヘブル語、ラテン語、ギリシャ語で書いてありました。それは、異邦人の総督ピラトが書いたものでした。

 ユダヤ人の祭司長たちがピラトに「ユダヤ人の王、と書かないで、彼はユダヤ人の王と自称した、と書いてください。」と懇願しましたが、聞き入れられませんでした。

 

 異邦人は、東方の賢者たちも、ローマ人のピラトも、イエスを「ユダヤ人の王」として知っていました。

 

 この世に悪が満ちると、神に属するユダヤ人とクリスチャンは迫害され、殺戮されます。反キリストが世界を支配し、二ムロデが築き始め中断していたバベルの塔を完成させます。すると、天から主キリストと天の軍勢がやって来て、反キリストと偽預言者と、反キリストの国と反キリストの民を滅ぼして悪魔を縛り上げます。

 

 その後、多くの死体を取り除き整地された世界に、イスラエルのオリーブ山に、主イエス・キリストが立たれます。イスラエルの王として、エルサレムに入城されます。

 

 二千年前、イエスがろばの子に乗ってエルサレムに来られました。

 過越しの祭りに来ていたユダヤ人たちは棕櫚の枝を取って、「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と大声で叫んで出迎えました。

 しかし、彼らの霊の思いは閉じていました。

 イエスの弟子たちにも隠されていました。「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」(ゼカリヤ9:9)のみことばがわかりませんでした。

 

 しかし、イエスが死から甦って天に上られてから、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、弟子たちは思い出したのです。

 ゼカリヤのみことばとイエスに対して人々が行なったことを一つのものとして理解できた時、弟子たちは、イエスを「イスラエルの王」として知ったのでした。

 

 救い主が与えられるという神の約束を受けていない異邦人は、「ユダヤ人の王」に望みを抱いていました。

 しかし、ユダヤ人の王は、十字架で死なれました。そして、ユダヤ人たちに捨てられ屠られたユダヤ人の王イエス・キリストは、死に勝利して死から甦り、復活のからだで永遠に生きる「イスラエルの王」となられたのです。

 

 イエス・キリストは、ユダヤ民族の王として完成されました。ユダヤ人の王は、ご自分の民イスラエルを死から救い出し、永遠に生きる者とするために、ご自分の命を神に献げられました。そして、死と滅びに勝利して、イスラエルの罪を贖い死から復活されました。

 

 肉のからだでユダヤ人の間を歩まれたイエスは、もうおられません。ユダヤ人の王は木にかけられたのです。ユダヤ人の王は、ご自分の民を生かすためにご自分の命を捨てられました。神の子羊イエスの贖いの血によって、イスラエルの罪は贖われました。そして、ユダヤ民族の垣は取り除かれました。

 

 復活したキリスト・イエスは、血肉のからだのユダヤ人の王から、霊のからだのイスラエルの王となられました。ユダヤ民族だけの王ではありません。ユダヤ人と異邦人との隔ての壁はキリストの血で砕かれました。呪いは打ち砕かれたのです。

 ユダヤ人であっても異邦人であっても、キリストの御霊によって新しく生まれ霊のからだで創造される者はみな、イスラエルの王の国民なのです。

 

 イスラエルの王は、異邦人の中からもご自分の民を集められます。御救いは万民の前に備えられました。イスラエルの王である主イエス・キリストは、異邦人を照らす啓示の光となられました。イエスのことばは、イエスを信じるすべての者の希望です。

 イエス・キリストの御救いを求める異邦人は、イスラエルの王の国民として招かれます。創造主の存在を知らせ、神の御子イエスを生み、神のみことば聖書をゆだねられたユダヤ民族と同じ国民とされるのです。

 

 復活し天に上られた主イエス・キリストは、イスラエル王国を治めるために再び天から来られるイスラエルの王です。

 

 イスラエルの王が治めるイスラエル王国は、子羊イエスの血によって罪が贖われた者の国であり、いのちの書に名前が記された者がいのち木の実を食べて永遠のいのちを受ける、いのちの国です。

 イスラエルの王は、永遠のいのちを得た民を諸国の王に立て、平和な世を治められます。

 

 東方の賢者たちがひれ伏した「ユダヤ人の王」は、肉に死に、死に勝利し、死から復活して、平和な世界を治める「イスラエルの王」となられました。