ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

死からいのちへ

 

 人は生まれて来ると、必ず死にます。三百年の五百年も生き続ける人はいません。なぜ、死ぬのかと思う人もいれば、死は必ず訪れるもので逃れることはできないこの世の定めだと思う人もいれば、いのちには限りがあるから生きている時を大切に生きようと思う人もあります。

 

 だれも死を望みません。なぜか、死には恐怖が伴います。体験をしたことのない未知のことなので、どう向き合ったらよいのか心は落ち着きません。

 

 苦しいことがあって死を選ぶ人も、死にたくて死を選んだのではなくて苦しみ痛みから解放される方法として意識が無になると思われる死に逃げるわけです。しかし、実際に死の世界に入ってみると、意識がなくなるどころか、生きていたときの悩み(苦しみ、痛み)は肉体の死とともに消えても、後悔という消えることのない重荷を背負うことになるようです。

 肉体を失った魂はからだの痛みではなく、消えることのない霊の痛みで打ちひしがれます。肉体を脱ぐと、霊は丸裸です。その霊がうめきます。肉体の死によって肉体の痛みは消えました。しかし、新たに霊の痛みを抱え込むことになるのです。

 肉体のうちに生きているときには、自分の霊について考えることがありませんでしたが、丸裸となった死の世界では、霊の痛みが直接的に感じられるのです。

 肉体の痛みには、さすったり叩いたり痛みを和らげる行動を起こすことができましたが、霊の痛みには慰める方法がありません。

 

 人が生まれると、死はセットでついてきます。

 「人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている。」(へブル9:27)と聖書に書かれています。

 

 聖書の神は、天地万物の創造主であり、人を造られた主です。神は、目的をもって人を造られました。しかし、人は、自ら神の目的から外れ、神に敵対する悪魔に捕らえられてしまいました。

 神の目的は、神の主権に立ち向かい神に背く悪魔の暴虐を天から取り除くことだったのでしょう。人は、神の秩序の中で神に仕える者であるはずなのに、神の命令を破り、神に敵対する悪魔の背きの罪をともにする者となったのです。

 

 罪の報酬は死です。

 人は、罪の報酬として死を受けたのです。死を受けるとは、そこで肉体の命が終わるということです。死が訪れると、どんなに元気な人でもそこで人生終了になります。

 

 人は自ら悪魔の道に入り込んでしまったのです。そこは、死と暗闇、そして、神の裁きが待っています。

 人は、一度死ぬことと死後に裁きを受ける道を選んだのでした。それは、神が、神に背いた悪魔のために定めた道でした。

 

 一度死ぬことが定められた人間は、必ず土にかえります。人は土から造られたものだから、命を失えば、土にかえります。

 死が定まっている人は、神が吹き入れた息が抜き取られると、土の器(肉体という物体)に戻るのです。

 

 死から逃れようと望む人々が、死なないための術を求めます。ある人は、生老病死の悩みからの解放を追求します。多くの知恵ある言葉が生まれました。人々はそれにすがります。

 しかし、その救いの言葉を語っていた人たちも死の世界に入っていきました。死の世界から戻って来た人はだれもいません。本当に死に勝利していたのでしょうか。

 

 死ぬことと裁きが定まった悪魔の道を行く人のために、神から救いの御手が伸ばされました。それは、神の掟を守ろうと努力する人を見出されたからです。

 神は、神を信じる正しい人アブラハムを選び、アブラハムの子孫のイスラエルを神の民として立てられました。神はイスラエルに神の掟を与え、イスラエルはその掟を守る努力をしました。

 

 神は、神の掟を与えたイスラエルに、死と裁きから救い出すメシアを遣わされました。神の子羊イエスです。

 神は、神の子羊イエスを罪の生贄として屠り、子羊イエスの贖いの血によって、神の御子イエス・キリストにつく人の死と裁きを取り除かれました。

 

 イエスは天から来られ、天に帰られた神のひとり子です。イエスは神のもとから来られ、神のみもとに帰られた神の御子です。イエスはいのちから出て、いのちに戻られた主キリストです。イエスは永遠のいのちを持って来られ、永遠のいのち(キリストの御霊)を与えられるメシアです。

 

 一度死に定められていた人が、永遠のいのちを受けるのです。肉体の死のあとで、永遠に生きる霊のからだをいただきます。神の子羊イエスの贖いの血は、裁きを過ぎ越してくださいます。なぜなら、主イエスの血は罪のない者のしるしだからです。

 罪の認められない者は裁かれることがありません。神は、その者を義とされるからです。

 

 生老病死の悩みを抱え、死なないことを切望してきた人の望みは、神の御子イエス・キリストによって実現しました。

 イエスは十字架で死に、三日目に墓から甦り、永遠に生きる栄光のからだで復活して天に上られました。

 イエスは、ご自分を信じる者たちに、イエスのあとに続くようにと、彼らに聖霊を授けられます。キリストの御霊が正しい歩みを導いて助けてくださいます。

 

 イエスは言われます。

 「わたしは、甦りです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」(ヨハネ11:25,26)

 

 イエスの贖いの血を受けることなく裁かれる者は、第二の死、霊の死を受けます。肉体の死のあとに来る霊の死です。死んだ霊は、永遠に悪魔のために用意された火の池で苦しむことになります。そこから救い出される方法はありません。

 

 しかし、イエス・キリストの救いを受ける者は、死からいのちに移るのです。いのちの主キリストに繋がる彼らにとって、第二の死は何の力もありません。