ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

聖書の奥義

 

 「イスラエルの家よ。わたしはあなたがたをそれぞれその態度にしたがってさばく。―神である主の御告げ。―悔い改めて、あなたがたのすべての背きの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。

 あなたがたの犯したすべての背きの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。

 わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。―神である主の御告げ。―だから、悔い改めて生きよ。」(エゼキエル18:30-32)

 

 神は、御自分が造られた御自身の民イスラエルに、生きることを命じられました。

 聖書は、神の民に向かって生きることを命じ、生きるための戒めが書かれた神のことばです。

 

 聖書には、旧約聖書と新約聖書とがあります。旧い契約書と新しい契約書です。神は、神の民イスラエルと契約を結んでおられます。

 神とイスラエルは、契約によって結ばれている一つのものなのです。

 

 神は被造物を支配する管理者として「人」を造られました。しかし、神に敵対する悪魔が、その管理者である人を惑わし、管理能力を狂わせて正しい支配者としての歩みを止めました。

 

 被造物を支配しなければならない人は、神のことばを失い、的外れな管理者となりました。この管理者は、罪の報酬の死を、すべての被造物にもたらしたのです。被造物はうめきました。

 

 神は、女を騙し人をそそのかした蛇のかしらである悪魔を呪い、女のすえに、悪魔を踏み砕く人の子(肉体を持つ神のひとり子キリスト)を起こされること、また、悪魔は神の御計画が成し遂げられないように妨げて、キリストのからだのかかと(ヤコブはかかとを意味する名前)に噛みつくことを仰せられました。

 

 神は、アブラハムが生まれる前から、アダムとエバのふたりの人に、ヤコブの子らイスラエル(ユダヤ民族)をご覧になっておられました。

 このイスラエルに神の御子キリストを生むことも、また、キリストが悪魔を砕くことも、悪魔がイスラエルに悪霊を送ってキリストに逆らわせることもご覧になっておられたのです。

 

 悪魔の欺きによって、人は死ぬ者となりました。神のいのちの息を吹き込まれて生きた者となった人が、悪魔の策略によって死ぬ者となってしまったのです。

 

 神は、御子とともに、万物を御子のために、また、御子によって造られました。

 コロサイ1:15-17にこのように書かれています。

 「御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。

 天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。

 万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。」

 

 御子は土から造られた人を見限って、代わりのものを造ることもできました。しかし、御子は人を愛し慈しまれました。死ぬ者となってしまった人を、生かしたいと願われたのです。御子のために造られた人を、ご自分のうちに取り戻すことを願われたのです。

 

 神は、御子のために、イスラエルを造られました。そして、御子はご自分の民イスラエルに遣わされて、悪魔を砕く人の子となって女から生まれたのでした。御子は、人を愛し、イスラエルを慈しまれます。

 

 「イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。わたしは、だれが死ぬことも喜ばないからだ。だから、悔い改めて生きよ。」

 神の御子イエスは、イスラエルの背きの罪をご自分の血できよめて不義を取り去り、新しい心と新しい霊を用意されました。

 

 神は、生きるための律法(神の戒め)をイスラエルに与えられておられました。

 

 律法学者がイエスに尋ねました。

 「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか。」

 イエスは答えられた。

 「一番大切なのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』

 この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:28-31)

 

 イエスは、イスラエルに与えた命令を二つに要約されました。神を愛し、人を愛することです。愛は多くの罪をおおうからです。(ペテロ一4:8)

  

 「憎しみは争いを引き起こし、愛はすべての背きの罪をおおう。」(箴言10:12)

 

 「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を妬みません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(コリント一13:4-7)

 

 愛の行ないをするならば、律法のすべてを守ることになるのです。

 神の御子イエスは、この愛をイスラエルに示されました。父なる神を愛して、父のことばに従順に従い、また、人を愛して、十字架で罪の贖いの子羊となられたのです。

 イエスは父なる神を愛するゆえに神のことばに従い、また、人を愛するゆえにイスラエルの罪の贖いのために、ご自分を献げられたのです。イエスは、神のことばのうちにあって、愛を全うし、律法を完成させられました。

 

 イエスは、イスラエルに愛を示し、新しい心と新しい霊を与えられました。肉の割礼も、モーセの律法も、血肉のイスラエルとの契約のしるしでした。イエスは、その契約を古いとし、イスラエルに新しい心と新しい霊を得させ新しい契約を与えられました。キリストの御霊による契約です。

 イエス・キリストの民となる、霊のイスラエルと結ぶ契約です。霊のイスラエルは、永遠に生きる者として新しく創造されるイスラエルです。

 

 聖書は、いのちを得るための契約の書です。神が用意されたいのちの契約です。それゆえ、聖書は宗教ではありません。良い行ないのための書でも豊かに生きるための書でもありません。創造主である神から永遠のいのちを得るための契約書です。

 

 死にゆく人に、神の民イスラエルを造り、イスラエルを生かすために与えられた契約の書であり、戒めの書です。すべての罪をおおい罪の滅びから救うために、十字架の血で証された神の御子イエス・キリストの愛によって罪をおおい、聖霊(キリストの御霊)によって永遠のいのちを得させるための、神の契約なのです。

 

 契約の神を知らない異邦人にはわかりづらいことですが、契約なので、違反しない限り、覆されることのない確かなものなのです。

 

 聖書を要約すれば、「神の御子イエスを信じ、罪を悔い改めて、新しい霊(キリストの御霊)を受けて生きよ。」という命令です。

 神の御子イエスを信じることは、御子イエスをイスラエルに遣わされた神を信じることです。永遠に生きる新しい霊(聖霊)を受けることは、死から甦られたキリストの霊を受けることです。

 

 使徒ヨハネは言います。

 「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:31)

 

 聖書(神と神の御子イエスのみことば)を守る者は、ユダヤ人も異邦人もなく、新しい霊(聖霊)によって新しく造られるイスラエルです。御霊による新しい創造です。

 新しく創造されるイスラエルは、イスラエルの王(キリスト・イエス)の国民となって平和な世界をキリストとともに治め、また、キリストとともに天の御国を相続するのです。

 

 神の御子キリスト・イエスと、神の民イスラエルは一つです。

 神が造られた血肉のイスラエルは、キリストの血の贖いと聖霊(キリストの御霊)によって、永遠のいのちを得る新しいイスラエルに創造されるのです。