御使いガブリエルは、神のしもべダニエルに現われました。
ダニエルが見ている幻の意味を悟りたいと願っていたとき、ガブリエルはダニエルの前に立ちました。それは、「ガブリエルよ。この人に、その幻を悟らせよ。」と呼びかける声があったからです。そして、ガブリエルはダニエルに幻の意味を明かしました。しかし、ダニエルはこの幻のことで、驚きすくんだ。と、ダニエル8:27にあります。ダニエルはそれを悟れなかったのです。
バビロンに捕囚されていたダニエルは、アハシュエロスの子ダリヨスがカルデヤ人の国の王となった年に、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟りました。
そこでダニエルは、顔を神である主に向けて祈り、断食をし、荒布を着て灰をかぶって(深く悔い改めて)、神に願い求めました。ダニエルはイスラエルの罪を言い表わし、神に逆らったイスラエルの不信の罪を告白し、神の憐れみと赦しの恵みを請い求めました。
「主よ。不面目(恥)は、あなたに罪を犯した私たちと私たちの王たち、首長たち、および先祖のものです。憐れみと赦しとは、私たちの神、主のものです。これは私たちが神にそむいたからです。
私たちは、私たちの神、主の御声に聞き従わず、神がそのしもべである預言者たちによって私たちに下さった律法に従って歩みませんでした。イスラエル人はみな、あなたの律法を犯して離れ去り、御声に聞き従いませんでした。そこで、神のしもべモーセの律法に書かれている呪いと誓いが、私たちの上にふりかかりました。私たちが神に罪を犯したからです。
神は、大きなわざわいを私たちにもたらすと、かつて私たちと、私たちをさばいたさばきつかさたちに対して告げられたみことばを、成就されたのです。エルサレムの上にに下ったほどのわざわいは、今まで天下になかったことです。
このわざわいはすべて、モーセの律法に書かれているように、私たちの上に下りましたが、私たちは不義から立ち返り、あなたの真理を悟れるよう、私たちの神、主に、お願いもしませんでした。
主はそのわざわいの見張りをしておられ、それを私たちの上に下しました。私たちの神、主のみわざは、すべて正しいのです。私たちが、御声に聞き従わなかったからです。」(ダニエル9:8ー14)
ダニエルは、モーセのように民のために執り成しました。
「私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている町をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行ないによるのではなく、あなたの大いなる憐れみによるのです。
主よ。聞いてください。主よ。お赦しください。主よ。心に留めて行なってください。私の神よ。あなたご自身のために遅らせないでください。あなたの町と民とには、あなたの名がつけられているからです。」(ダニエル9:18、19)
ダニエルが主の前に伏して願いをささげて、語り祈っているとき、ガブリエルがすばやく飛んで来て、ダニエルに告げました。ガブリエルは、ダニエルに悟りを授けるために遣わされて来たのです。ダニエルは、終りの時のことを知らされました。
イスラエルは、モーセの律法から始まり、神の預言者たちによって導かれ、神の目的を実現する神の民です。
ダニエルは、預言者エレミヤの預言の文書によって、バビロン捕囚の終わりの時を知り、御使いガブリエルによって、世の終わりの時の預言をいただきました。
イスラエルは、一つです。どの世代にあるユダヤ人も、神の御計画のうちにあって、神の民としての役割を担う一つのものです。預言は後の世代の預言者に引き継がれて預言が解き明かされる時を設け、時が来れば、預言の成就を見る世代が起こるのです。
祭司ザカリヤに御使いが現われ、彼の年老いた不妊の妻エリサベツが男の子(バプテスマのヨハネ)を産むことを告げました。
御使いは言いました。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。」(ルカ1:19)
御使いガブリエルは、神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来ました。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人の許嫁のマリアです。ガブリエルは、マリアが聖霊によってみごもることを告げました。
「こわがることはない。マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼(イエス)にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼(御子イエス)はとこしえにヤコブの家(イスラエル)を治め、その国は終わることがありません。」(ルカ1:26-33)
バプテスマのヨハネの誕生も、主キリスト・イエスの誕生も、御使いガブリエルによって伝えられました。神は、御使いガブリエルを神の御計画を告げる聖なる御使いとして遣わされています。
地上に住む聖なる神の民の聖なる働きに立てられた人のところに遣わされる御使いは、ガブリエルでした。
一方、御使いのかしらミカエルは、悪魔と論じ、悪魔と戦う御使いです。ユダの手紙の9節と、黙示録12:7に書かれています。
神がダニエルのところに遣わされた御使いに、ペルシヤの国の君が二十一日間立ち向かって妨げました。しかし、第一の君のひとり、ミカエルがこの御使いを助けに来てくれたので、この御使いはペルシヤの王たちをミカエルにまかせて、終わりの日にイスラエルに起こることを悟らせるためにダニエルのところにやって来たことが、ダニエル10:12-14に書かれています。
ダニエル10:21では、ミカエルのことを、「あなたがたの君ミカエル」と呼んでいます。ミカエルは、神の民ヤコブの家(イスラエル)を守る、イスラエルの君なのです。
ダニエル12:1には、その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がると書かれています。その時とは、反キリストが世界の覇権を握りイスラエルを苦しめる時のことです。ミカエルは、イスラエルの君であり、悪魔と戦う御使いです。
ガブリエルは、神のことばを告げる御使いであり、ミカエルは、神の民イスラエルを守るために悪魔と戦う御使いです。
ガブリエルは神の人の前に現われますが、ミカエルは人の前に立つことはありません。
聖書に出てくる御使いミカエルは、人の前に立つことはなく、霊の世界で、イスラエルのために戦っている御使いです。もし、ガブリエルのように、人の前に現われて語る霊的存在で「ミカエル」と名乗る者があるならば、それは神から出た御使いではありません。聖書的ではありません。
キリストの名前を名乗る偽キリストがいるのですから、御使いの名を名乗る偽御使いもいるのでしょう。