ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

最後のアダムは、生かす御霊

 

 「聖書に『最初の人アダムは生きた者となった。』と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。

 最初のものは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。」(コリント一15:45,46)

 

 人は、創造主である神に造られた被造物です。神のいのちの息が吹き込まれて生きた者となったのですが、御霊のものではありません。血肉のものです。肉のからだを持つ被造物です。神によって土で造られ、神のいのちの息を受けた者であって、御霊のものではありませんでした。

 

 人の堕罪により、神の霊は人のうちに留まることがありません。神のいのちの息によって生きるものとなった人は、神の息が取り去られると、死んだ者となるのです。血肉のからだは朽ちていきます。

 

 神は、罪人から神の霊を取り去ることを定められました。神に逆らい神を汚す罪人たちは、百二十年のうちにいのちの息が取り去られます。

 

 神は、神のひとり子のために、御子とともに人を造られました。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」と仰せられた主は、人を神に従順な聖なる者として造られたのです。その神に似た聖なる人が、悪魔のそそのかしによって、神を汚す者となりました。

 

 人は、蛇の語る悪魔の言葉に従って、神を主とせず、自分を主とする者となりました。人は、いのちを自分の命ととらえ、自分を自分の命の所有者と考えて、まことのいのちの所有者(神)に対して高ぶりました。

 

 神は、神のいのちから外れて死を選んだ人が、いのちの神から外れたままで永遠に生きることがないようにと、いのちの木への道を閉ざされました。神の支配から外れた人は、悪魔の支配下に入りました。それゆえ、人は死ぬ者となったのです。神のことばから外れた罪人のあとには、ハデス(死の国)がつき従います。

 

 最初の人アダムは死にました。

 アダムを死に至らせた蛇と悪魔に、神は裁きを下されます。彼らの上に、神の呪いが置かれました。蛇は、悪魔に仕えるものです。

 人は、御子のために造られたものです。アダムにエバを造られたのも神です。女を騙した蛇と女との間に、また、蛇の子孫と女の子孫との間に、神御自身が敵意を置かれました。

 

 そして、神は、女から生まれる者の中から蛇のかしら(悪魔)を踏み砕く者を起こすことと、悪魔はそれに反逆して、その者のかかと(ヤコブ、ユダヤ民族)に噛みつくことを仰せられました。

 

 神は、アダムとエバが蛇の言葉に従い、善悪を知る知識の木の実を食べて死ぬ者となったとき、死ぬ者となったアダムの救済を約束されたのでした。

 

 そのときすでに、神は、世界に増え広がった人類をご覧になられ、人類の中に神の契約の民ユダヤ民族をご覧になられ、契約の民の中に遣わす神のひとり子イエスの姿をご覧になっておられたのです。神は、アブラハムが生まれる前にすべてをご覧になっておられたのです。

 神は、悪魔がユダヤ民族を主キリストに逆らわせて神の御子イエスを十字架にかけること、十字架にかかった神の子羊イエスの血が罪の呪いの力を打ち砕くこと、女の子孫として人の子となられた神の御子イエスのいのちに悪魔のもたらす死は打ち勝つことができないことをご覧になられました。

 

 神が契約の民イスラエルに遣わされた子羊イエスの血は、罪を犯されない聖なる血でした。血肉のからだのいのちは、血にあります。血液の行き届かない細胞は壊死します。血はいのちです。罪のない血は永遠のいのちです。神の御子イエスは人の子としてイスラエルに遣わされて、永遠のいのちの全き聖なる血をイスラエルに与えられました。

 

 子羊イエスの聖なる血は、死をもたらす罪をきよめる血です。罪を悔い改める者に注がれるきよめの血です。ナザレのイエスを、神が遣わされた救い主、神の御子キリストであることを信じる者に、イエスの血がつけられます。神は、イエス・キリストの贖いの血を受ける者の罪を赦し、イエス・キリストを信じる者の信仰を義とされます。

 主イエス・キリストを信じる信仰が、神に義とされる唯一のものなのです。

 

 神は、イスラエルに救い主キリストを遣わすことを、モーセの律法と詩篇と預言者たちによって語っておられました。「神の子羊イエスを神が遣わされた主キリストであると信じる信仰」こそが、神の用意された「神の義」です。

 イエス・キリストを信じることは、神のことばが成就し神が真実なお方であることを告白することであり、神を信じ神のことばのうちに入ることです。

 神のことばから外れて罪に落ちたアダムが、イエス・キリストを告白する信仰によって、罪赦されて神のことばのうちに帰るのです。

 

 人は、信仰によって、神の義を受け取ります。神の義は神の御子イエスとともにあり、神の御救いは主キリストの御霊とともにあります。

 

 最初の人アダムは罪人となりましたが、最後のアダムは生かす御霊となられました。

 最後のアダムは、十字架で死んで墓に入り三日目に甦られた主キリスト、罪の贖いの血を注ぎ、死に勝利して、霊のからだで復活されたキリストの御霊です。肉体の中におられた血肉のイエス、人の子イエスではなく、復活されたキリストの御霊です。

 

 最後のアダムは、罪人の代わりに罪の処罰を受けて、死んでいた人を死者の中から取り戻す神の霊、復活のいのちを与える生かす御霊です。

 

 神は、死人のために、復活のいのちを必要とされました。いのちの木の実を食べることが許されない罪人に、まず、罪を取り除き、死なない聖なるいのちを得させてくださるのです。

 

 神のいのちの息で生きた者となった血肉のアダムではありません。最後のアダムは、聖霊によって生きる神の子どもです。

 神が遣わされた神の子羊イエスは、水のバプテスマを受けると天から鳩のように下って来られた聖霊が留まられて、キリストとしての歩みをスタートされました。

 

 イエスは言われました。

 「わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」(ヨハネ16:7)

 

 神は、罪人の罪を赦し、死人に復活のいのちを得させるために、神のひとり子に肉体を造り、罪のない人の子イエスの血によって罪を贖い、罪人の罪を赦されました。そして、罪人の身代わりに死んだ子羊イエスを死者の中から復活させて、キリストの御霊とされました。

 

 肉体のままのイエスは生かす御霊となることができません。人に永遠のいのちを与えるのは、死から甦ったキリストの生かす御霊なのです。

 イエスが罪なき全き血によって罪(悪魔)の力に勝利し、死から復活してキリストの御霊となられました。

 

 神が、死んだアダムのために用意された最後のアダムは、キリストの御霊でした。永遠のいのちを与える生かす御霊です。

 

 キリストは世を去り、助け主(真理の御霊)が世に遣わされました。聖霊のバプテスマによって与えられる真理の御霊は、キリストの御霊です。

 

 イエスの「聖霊を受けよ。」のことばに従って、聖霊を受ける者は、キリストの御霊を受けます。キリストの御霊は、その人のうちにあって、イエスのことばを思い起こさせ、道を教えます。

 

 主キリストは生かす御霊となって、死んでいた者を甦らせます。生かす御霊は、神の霊(神のいのちの息)が取り去られても、その人の霊とともにあって、永遠に生きる神の子どもとしてくださいます。

 キリストの御霊は、復活のキリストのいのちを与え、神の子どもたちに永遠のいのちを得させられるのです。

 

 聖霊は、生かす御霊によって、キリストをかしらとする新しいひとりの人(最後のアダム、イエス・キリストのからだ)を完成させられます。