ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

神の国に向いて歩む

 

 「いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:21)とイエスは言われました。

 

 神の国とは何でしょうか。

 「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。」(ルカ17:20)とイエスは言われました。

 

 神の国は、人の目に見えるものではないようです。

 イエスが水のバプテスマを受けて水から上がられると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのを、イエスはご覧になられました。(マタイ3:16)

 一方、『聖霊がある方の上に下って、その上に留まられるのがあなたに見えたなら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授けるキリストである。』と神から語られていた、イエスに水のバプテスマを授けたバプテスマのヨハネもまた、イエスの上に聖霊が下り留まられるのを見たのでした。

 

 神から遣わされたエリヤであるバプテスマのヨハネと、神から遣わされたキリストであるイエスには、聖霊を見ることができました。しかし、ほかの人々は見ることができませんでした。人には、聖霊を見ることができません。

 

 イエスは言われました。

 「人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」(ヨハネ3:5-8)

 

 イエスは、水と御霊によって新しく生まれた最初の人でした。天から下られた聖霊とともに、父のわざをなされたのです。イエスのキリストとしての公生涯は、水と御霊によって始まりました。

 

 イエスは、聖霊を見ることのできない人々に、御霊について教えられました。それは風のようなものである、と。

 風は人の目には見えません。風は思いのままに吹き、人はその音を聞いて風の存在を知りますが、その風がどこから来てどこへ行くのかを悟ることはできません。

 御霊によって生まれる者もまた、御霊の声がどこから来て、どこに導こうとしておられるのか悟ることができません。ただ、御霊の声に従って歩みを続ける先に、神の働きの御手を見、聖霊の導きに気づくのです。

 

 御霊を受ける者は、御霊によって新しく生まれる者です。人は御霊を受けて、神の御国を味わいます。御霊のうちに神の御国があるからです。

 

 御霊は、聖霊のバプテスマを授ける権威を神から与えられた主キリストが与えるものです。イエス・キリストの御名によって授けられる神の賜物です。

 イエスは、御霊を受けた人々のことをこのように言っておられます。

 「まことに、まことに、わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。」(ヨハネ14:12)

 

 御霊に神の御国があるので、御霊によって新しく生まれる者は、イエスのなされたわざを行なうことができると言われたのです。しかも、イエスのされたわざよりも大きなわざを行なうと言われたのです。

 

 イエスは、ユダヤ人の間を歩まれました。イエスは、イスラエルに遣わされていたからです。イエスは、ご自分を遣わされた父なる神に従われたのです。

 聖霊を受けたイエスの弟子たちは、聖霊によって神の教会を生みました。イエス・キリストを神の御子救い主であると信じる者たちの神の教会を、ユダヤ会堂とは別に新しく生んだのです。

 御霊を受けたイエスの弟子たちは、聖霊に導かれて、イスラエルの垣を超えて異邦人にも福音を語り、異邦人にもキリストの御救いをもたらしました。

 

 天に上られた主キリストが与えられる御霊のうちに、神の国があります。(ルカ13:18-21)

 神の国は、からし種のようなものです。からし種は生長し、空の鳥が枝に巣を作るほどの大きな木となります。

 神の国は、パン種のようなものです。粉にパン種を入れると、粉は全体が大きくふくれます。

 

 御霊には勢いがあります。キリストは、生かす御霊です。御霊によって新しく生まれた者のうちに、生かす御霊が住んでおられます。

 御霊のうちに、神の国があります。神の臨在と神の栄光があるのです。御霊は、世が悟ることのできない真理を教え、神の御国に向かって進ませてくださいます。

 

 地上に造られる神の国(イエス・キリストがイスラエルの王として治められる平和な世界)へと導かれます。それは、人の目に見えないものではありません。だれの目にも明らかに存在する神の国です。

 暴虐に満ちた闇の世を打ち砕き、人を惑わした悪魔を縛り、神の御子イエス・キリストが王となって治められる、実在する国です。

 

 イエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており言葉に尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっているのは、御霊を受けている結果です。御霊は、魂の救いを得させてくださいます。

 

 うちなる御霊は、神の御国を味合わせてくださるとともに、地上に神が用意される、のちの時代に現われる神の国に向かって、歩みを進ませてくださいます。

 

 御霊によって新しく生まれた者は、生かす御霊によって生きる者です。御霊は、この世にあって新しい創造を施し、神の子どもに造り変えてくださいます。イスラエルの王であるキリストのために、神の国の聖なる国民として造り変えてくださるのです。

 

 地上の神の国は、イスラエルの王に治められます。都には、神の神殿はありません。神であられる主と、子羊(神の御子キリスト)とが都の神殿なのです。(黙示録21:22)

 

 御霊によって生まれた神の子どもたちは、神の国の国民として集められます。辱しめも悩みも苦しみも、神の国の国民に造り変えられるための過程でした。いばらの道を通って神の国に入ります。

 

 いのちの木がケルビムと輪を描いて回る炎の剣で守られていることを思い出しましょう。最初にたどり着いたイエスが血を流されました。後に続く者もまた、回る炎の剣によって傷を受けるでしょう。しかし、そこをくぐると、信仰の勝利者たちのために神が用意された神の国に入るのです。

 

 御霊によって新しく生まれた者の目ざすのは、キリスト・イエスが王となられる神の国です。その国は、復活する者の国です。永遠に生きる者たちの国です。

 神に義とされたユダヤ人たちとキリストにある死者たちは墓から甦り、イスラエルの王の国民となります。

 

 イエス・キリストを信じ、愛する者は、キリストが治められる平和な世に現われた神の国に入る者です。私たちが目ざすのは、神の国です。

 神の国を目ざす者にとって、この世はやがて消え去る幻です。ここに実体はありません。

 

 ペテロは言います。

 「愛する者たちよ。あなたがたに勧めます。この世の旅人であり寄留者であるあなたがたは、魂に戦いをいどむ肉の欲を避けなさい。異邦人(この世の人々)の中にあって、立派な行ないをしなさい。」(ペテロ一2:11,12)

 

 御霊によって新しく生まれた者は、御霊の声に聞き従い、神の国に思いを向けて歩みます。日常生活の中で様々なことが起こりますが、心の向きを神の国に定めましょう。

 

 神の国に入る者たちは、最後の裁きのとき、神のみもとに集められ、永遠に生きる神の子どもたちに用意された新しい天と新しい地を受けて、キリストとともに天の御国を相続するのです。