イエスは弟子たちに言われました。
「わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。
このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
『わたしは去って行き、また、あなたがたのところに来る。』とわたしが言ったのを、あなたがたは聞きました。あなたがたは、もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くことを喜ぶはずです。父はわたしよりも偉大な方だからです。
そして今わたしは、そのことの起こる前にあなたがたに話しました。それが起こったときに、あなたがたが信じるためです。」(ヨハネ14:24-29)
イエスは弟子たちに、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」(ヨハネ14:18)と言われました。
イエスは、父のみもとに帰られます。「わたしは父から出て、世に来ました。もう一度、わたしは世を去って父のみもとに行きます。」(ヨハネ16:28)
弟子たちは、イエスを愛し、また、イエスを神から出て来た者と信じたので、父御自身がイエスの弟子たちを愛しておられます。それゆえ、イエスが弟子たちに代わって父に願うのではなく、神の御子であるイエスの名によって父に求めるならば、父は、ひとり子の名によってそれをあなたがたに与えられる、と約束されました。
父はイエスよりも偉大な方です。父のもとに帰ることは、神の御子イエスにとって最上のことです。また、父は、御子が帰ることによって、弟子たちを孤児にはされません。御子イエスの弟子たちに、もうひとりの助け主をお与えになります。
この助け主は、ひとりひとりのうちに来られ、いつまでもともにおられます。霊なる方なので、いつでも、どこにいても、ひとりひとりのうちにともにいてくださるお方です。
イエスが弟子たちとともにいて話されたように、御霊はともにいてイエスの話されたすべてのことを思い起こさせ、また、理解させてくださるのです。もうひとりの助け主は、真理の御霊です。たとえではなく、はっきりと告げられるのです。
イエスは肉体をもって、弟子たちに現われた神の御子です。しかし、神の御子が救いのわざを完成し、死から甦られると、栄光のからだとなって現われます。そして、父のみもとに帰り、約束の聖霊を弟子たちに授けられます。このことを、イエスは前もって弟子たちに話しておられたのです。
「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。」
ことばどおり、イエスは、死から甦って弟子たちに現われました。ご自分が生きておられることを証されたのです。キリストは永遠に生きておられるので、永遠にともにいてくださいます。
イエスは約束どおり、永遠に生きておられるキリストを見た弟子たちに、約束の聖霊を授けられました。聖霊は、キリストの御霊です。肉体のイエスが語っておられたことを再び、思い起こさせてくださいます。まるで、イエスとともにいるようです。
神の御子イエスは、父のことばを話されました。聖霊は、イエスのことばを思い起こさせてくださいます。聖霊は、御子イエスを愛する者、信じる者のうちに、父が遣わされるキリストの御霊です。イエスとともにおられた御霊が、弟子たちのうちに住まわれます。
神の御子イエスは、父と一つでした。聖霊と父もひとつです。聖霊とイエスも一つです。イエスは、父の中に安息しておられました。聖霊も、父の中に安息しておられます。御子イエスとともに、父の安息の中におられる聖霊が、キリストの御霊となって、私たちのうちに住まわれるのです。私たちは、キリストの御霊によって、イエスがもっておられた平安のうちに入るのです。
世の与える平安とは違います。変わらぬ平安であり、神にゆだねる安息です。
「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕して眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。
『先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。』
イエスは起き上がって、風を𠮟りつけ、湖に『黙れ、静まれ。』と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
イエスは彼らに言われた。『どうしてそんなに怖がるのです。信仰がないのは、どうしたことです。』
彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。『風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』」(マルコ4:37-41)
復活されたキリストの与えられた平安は、キリストご自身の平安です。イエスが持っておられた平安です。父への信頼です。この信仰を、イエスは弟子たちに残されました。聖霊を受けた弟子たちは、キリストの御霊によって、キリストの信仰を受け取りました。
御霊によって、神の家族のメンバーとしてくださいました。御霊によって、イエスがされた父のわざを行ない、イエスのことばを語り、父への信頼、キリストへの信仰を得させてくださいます。これが、イエスが弟子たちに約束しておられた平安です。
「平安あれ。」とは、「聖霊を受けよ。」と同義語です。
父がイエスを愛する者、信じる者に遣わしてくださるもうひとりの助け主、聖霊を受けることが、キリストの持っておられた平安を味わうことであり、また、キリストご自身の平安です。
弟子たちが聖霊を受けることが、また、御霊に聞き導かれるのをご覧になることが、神の安息です。
キリストの御霊は、キリストの御思いそのものです。弟子たちは、キリストの御霊によって、「アバ、父。」と、父なる神を呼びます。御子イエスの御名によって、父にお願いすれば、父は、御子イエスの御名ゆえに、父に求めることは何でも、お与えになります。
「あなたがたに耳を傾ける者は、わたし(イエス)に耳を傾ける者であり、あなたがたを拒む者は、わたしを拒む者です。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方(父なる神)を拒む者です。」(ルカ10:16)
イエスは、弟子たちを神の交わりの中に入れられました。そして、聖霊によって、神の家族、神の子どもとしてくださるのです。
御霊の住まう人を、神の国の人として扱ってくださるのです。
イエス・キリストの御名によって授けられる聖霊を受けた者は孤児ではありません。