ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

裁き主が世に与えたイエス・キリストの御名

 

 「イエス・キリスト以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。」(使徒4:12)

 

 神が天地万物を創造されました。神にはひとり子がおられます。イエスは、神に遣わされて神の祭司の国民イスラエル(ユダヤ人)から生まれた神の御子キリストです。

 

 この世は、創造主であられる神によって保たれています。神は、イスラエルを選び、御自分の民とされて、イスラエルから救い主を誕生させられました。朽ちて行くはかない世から、人々を救い出す救い主キリストです。

 

 神はすべてのものを造られた創造主であり、すべての民族は、この神によって造られ存在しているのです。

 イスラエルに遣わされた神の御子イエスは、ユダヤ人たちの間を歩まれて、イスラエルが仕えている天の神は、イエスの父であり、天の父であることを説き明かされました。イスラエルに知らされていなかった真理です。

 

 イエスは、「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださる。」(マタイ5:45)と言っておられます。

 

 天の父は、すべてのものに太陽と雨を与え、養っておられます。神の選びの民イスラエルにもそのほかの民族にも、また、悪い人にも良い人にも等しく、命のために必要なものを与えて生かしておられるのです。

 

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに。世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでに裁かれている。」(ヨハネ3:16-18)

 

 イエスは、イスラエルに遣わされたキリストですが、世の救い主キリストです。

 創造主である天の神は、悪魔の働く地を悪魔とともに滅ぼされる裁き主でもあります。

 

 裁き主なる神が、ともに裁きをされる神のひとり子を世に遣わされました。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではありません。かえって、御子によって世が救われるためなのです。

 

 御子によって世が救われるとは、御子イエスのことばを聞いて、信じて悔い改める者、また、イエス・キリストの御名を信じる者に約束された御救いのことです。

 

 預言者ヨナは、イスラエルの敵国であるアッシリアの都市ニネベに遣わされ、イスラエルの神に告げられた神のことばを伝えました。

 「もう四十日もすると、ニネベは滅ぼされる。」(ヨナ3:4)

 

 裁き主なるイスラエルの神は、ニネベを滅ぼす前に警告を与えられたのです。ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで、王と大臣から町民に至るまで、断食をして悔い改めました。王は王服を脱ぎ、人も、獣も、牛も、羊もみな、食べも飲みもしませんでした。

 

 王はすべての者に命じました。

 「人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行ないとを悔い改めよ。もしかすると、神が思い直して憐れみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」(ヨナ3:8,9)

 すると、神は、ニネベの人々が悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になり、ニネベの町に下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされませんでした。

 

 このように、世を裁かれる主は、悔い改める者に寛大な神であられます。この神は、御自身を「イスラエルの神」と名乗っておられます。イスラエルの神はまことの神であり、裁き主なのです。

 

 義なる神は、不義なものを裁かれます。人がどんなに裁きを否定しようとも、その時は必ずやって来ます。しかし、イスラエルの神は、愛と哀れみの神です。

 

 イスラエルの神は、ニネベにイスラエルの預言者ヨナを遣わして滅びが定められたニネベに神のことばを与えられたように、滅びが定まっている世を裁きと滅びから救い出すために、イスラエルの救い主イエス・キリストの御名を世に与えられました。御子によって、世が救われるためです。

 

 ニネベの人々は、ヨナのことばを聞いて信じました。信じて悪の道を悔い改め、滅びを免れたのです。

 世の人々は、神の御子イエス・キリストの御名(救い主の名)を信じて悪の道を悔い改めるならば、滅びることなく、永遠のいのちを持つのです。

 

 裁き主が、裁きの前に用意された御救いは、神の御子イエス・キリストの御名(救い主の名)です。救いの道は、神の御子イエス・キリストの御名を信じることです。義なる神が用意された、唯一の正しい道、義人の道です。神の御子を信じる者は裁かれません。

 

 信じない者は、神が遣わされたメシア(救い主)である、神のひとり子イエス・キリストの御名を信じなかったので、すでに裁かれています。世で息をしていても、その命は肉体の死とともに滅びるということです。神が悪魔と悪霊どものために用意されたゲヘナ(永遠に燃え盛る火の池)に投げ込まれるということです。

 

 最後の裁きの前に、すでに裁かれているので、イエス・キリストの御名を信じない者は滅びから救い出されることはありません。

 

 神の御救いは、イエス・キリストの御名とともにあるのです。

 

 世には様々な宗教があり、それぞれ、救いの名を持っています。おのおの、救ってくださると信じているものの名を呼び求めます。

 

 しかし、人を造られた神が、御救いのために、世に与えられた名は、ただ一つです。その名は、人間に与えられた名ではありません。神のひとり子に与えられた名です。

 世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていません。

 

 イエス・キリストの御名は、父なるまことの神に繋がる名です。イエス・キリストの御名によって祈ることは、父が聞いてくださいます。イエス・キリストの御名によって求めることは何でも、父なる神が与えてくださる、ということが約束されています。(ヨハネ16:23)

 

 裁き主が世にお与えになった御救いは、神の御子イエス・キリストの御名です。

 イエスは言っておられます。

 「わたしの名によって求めなさい。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。それはあなたがたがわたしを愛し、また、わたしを神から出て来た者と信じたので、父御自身があなたがたを愛しておられるからです。」(ヨハネ16:24,26,27)

 

 イエス・キリストの御名に力があります。

 弟子のヨハネが、イエスの名によって悪霊を追い出している者が、自分たちの仲間ではないのでやめさせたとイエスに伝えると、イエスは言われました。

 「やめさせることはありません。わたしの名を唱えて、力あるわざを行ないながら、すぐあとで、わたしを悪く言える者はないのです。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。」(マルコ9:39,40)

 

 イエスは、信仰者ではない者でも、イエスの名によって祈ったことを父が聞いてくださることを言われたのです。イエス・キリストの御名に力があるからです。まことの神に繋がる恵みの力です。

 

 イエス・キリストの御名の中に、神の子羊イエスの十字架の贖いの死も、キリストの血による罪の赦しも、死から甦る復活のからだも、キリストが与えられる永遠のいのちも、キリストの御霊による新しい創造も、父なる神を「アバ、父。」と呼ぶ御霊も包含されているのです。

 

 イエス・キリストの御名を信じた者は、神の御子イエスを遣わされた父なる神を信じた者であり、裁き主の寵愛を受ける者です。

 裁き主なる神は、世の裁きから救い出されるために、世にイエス・キリストの御名を与えておられます。

 

 イエス・キリストの御名を信じる者は裁かれません。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでに裁かれています。