ふしぎないのち

神が働く不思議な体験

天に入るものは一つ

 

 「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

 からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。

 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。

 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」(エペソ4:1-6)

 

 イエス・キリストの御名を呼ぶ者たちを捕縛する権限を祭司長たちから授けられていたサウロ(のちのパウロ)は、イエス・キリストの弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えていました。

 パウロは、八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者で、生粋のへブル人で、律法についてはパリサイ人、教会を迫害するほど熱心なユダヤ教徒で、律法による義についてならば非難されることのない者でした。

 

 主は弟子のアナニヤに、サウロに手を置いて祈るように命じられました。主の弟子たちを迫害するサウロを恐れるアナニヤに、主はこう言われました。

 「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。

 彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。」(使徒9:15,16)

 

 アナニヤに祈られて目からうろこのような物が落ち、目が見えるようになったサウロは、聖霊に満たされて、「イエスは神の子である。」と宣べ伝える者となりました。

 

 祭司長たちから権限を受けて主の弟子たちを迫害していたパウロは回心すると、今度は、祭司長たちから命を狙われる者となったのです。

 

 パウロは、言います。

 「ユダヤ人から三十九のむちを打たれたことが五度、むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上を漂ったこともあります。

 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民から受ける難、異邦人から受ける難、都市の難、荒野の難、海上の難、偽兄弟の難に会い、労し苦しみ、たびたび眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さに凍え、裸でいたこともありました。

 このような外から来ることのほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心遣いがあります。」(コリント二11:24-28)

 

 パウロは、自分を「主の囚人」と言っています。イエス・キリストに回心したパウロの人生は、主のために生きていました。パウロは、主に召された、選びの器なのです。

 

 主イエスに回心するのは、神に召されていることでもあります。神に召された者にふさわしく歩むことを、パウロは勧めます。

 

 「高ぶらないで神にへりくだり、謙遜と柔和の限りを尽くし、主の持っておられる寛容な心で、愛をもって主にある兄弟姉妹と互いに堪えて、キリストの平和が心を支配するように努め、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」

 

 キリスト・イエスは、ご自分の肉において、敵意を廃棄されました。十字架によってユダヤ人も異邦人も一つのからだとして、神と和解させられました。それゆえ、割礼の民(神の選びの民)と無割礼の民(異邦人)との間にある敵意は葬り去られました。

 「ユダヤ人も異邦人も、イエス・キリストによって、一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。」(エペソ2:18)

 

 救い主イエス・キリストを与えられた父なる神は、もうひとりの助け主聖霊も与えてくださいました。

 

 神の御子イエス・キリストを信じたユダヤ人も異邦人も、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができます。

 

 約束の契約のなかった無割礼の異邦人が、イエス・キリストと、そして、一つの御霊において、神の選びの民ユダヤ人と同じ国民になるのです。

 「もはや他国人でも寄留者でもありません。神の聖徒イスラエルと同じ国民であり、神の家族です。」(エペソ2:19)

 

 救い主キリストのからだは一つです。ユダヤ人も異邦人もなく、また、ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、カトリックも聖公会もプロテスタントもありません。イエス・キリストをかしらとする、一つのキリストのからだです。

 

 御霊は一つです。死から復活されたキリストの御霊です。だれもが、この一つの御霊によって造り変えられ、キリストの御霊によって、キリストに似た者に変えられていくのです。

 

 この一つの御霊によって、結ばれるとき、平和が訪れます。御霊の思いは、キリストの思いであり、父なる神の御思いです。父なる神と御子イエスと聖霊が一つであるように、一つの御霊によって新しいひとりの人にされていくのです。そのために、御霊の一致を熱心に保つことが大切です。御霊の一致は、神の御国であり、神の平和です。

 

 私たちがイエス・キリストを信じて、神の家族として召されたとき、召しのもたらした望みは天の御国でした。天の御国は永遠のいのちです。すべてのイエス・キリストにある者の望みは、永遠のいのちと天の御国です。召しのもたらした望みは一つです。

 

 「私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。」(コリント一8:6)

 

 私たちは父なる神によって存在し、救い主イエス・キリストによって永遠に生きる神の子どもとなるのです。主は一つです。私たちはひとりの救い主イエス・キリストによって、誕生しました。

 

 信仰は一つです。父なる唯一の神が遣わされた、唯一の主なるイエス・キリストを信じる信仰です。すべての神の子どもは、主イエス・キリストを信じる者たちです。

 

 主キリストが与えられるバプテスマは一つです。キリストの御霊を授けられます。すべての神の子どもは、イエス・キリストの父なる神を、「アバ、父。」と呼ぶ御霊を受ける神の子どもです。

 

 すべてのものの上にあり、すべての時空を貫き、すべてのもののうちにおられるいのち、すべてのものの父なる神は一つです。神の御子イエス・キリストも、キリストの御霊を受けた神の子どもたちも、ひとりの父(父なる神)の子どもです。すべてのものの父なる神は一つです。

 

 天から来たもの、天に帰るもの、天に入るもの、すべては一つです。